第6話 カウンター

 イフリートの活動場所というのは、フランカの通っている学校の倉庫の一つだった。リーダーの少年が、親しくしている舞双姫好きの先生の許可をとって、使わせてもらっているらしい。あくまでその先生個人の許可であり、学校側のものではない。

 ガヴィーノとの対舞から三日、放課後にフランカはそこへと一人で訪れた。ガヴィーノとその妹は家の用事があるそうで、彼から事前にリーダーへと話は通してあるとのことだった。ちなみにアリアからの勧めで、その日のフランカたちのレッスンは休みとなっている。


 フランカは倉庫の前に着くと、扉をノックした。しかし返事はない。イフリートのことを知らない学校の先生たちが倉庫を訪れてノックすることはないのだから、来訪者はイフリートを知る生徒であるはずだ――――そんなふうに中にいる生徒が対応してくれるのを期待したフランカだったが、空振りだった。

 扉に手をかける。聞いていたとおり、開け方にコツがいるが施錠されてはいない。


「どなたかいますよね?」


 倉庫内に足を踏み入れたフランカはそう声をかけた。照明がついたままであるし、部屋の中央の丸テーブルには舞双姫盤が置かれている。ノックの音がしたから、咄嗟に隠れたに過ぎないだろうとフランカは思った。テーブルの脇にある椅子のひとつ、その向きがちょうど誰かが慌ててそこから移動したふうでもある。


(秘密の隠れ家にしては、倉庫っぽさがそのままね)


 舞双姫をするのに必要な最小限の物品が持ち込まれているだけで、他は改装してはいないようだった。そこまではできないと言ったほうが正しいだろうか。

 

「誰よ、あんた」


 ぬっと物陰から姿を現したのは、いかにも気が強そうな顔をした赤髪の少女だった。フランカやガヴィーノより年上だ。しかも背が高い。フランカはその少女にいきなり強い口調で誰何すいかされたことに戸惑いながらも、彼女に事情を説明する。


「そんなの聞いていない」


 ばっさりと。少女はフランカが最後まで言い終わらないうちにそう言った。困ったフランカはガヴィーノから聞いたリーダーの名を口にする。


「ええと、エラルドは?」

「なに、彼を気安く呼んでいるのよ! あんた何様?!」


 激昂する少女にフランカは狼狽えた。この人を無視してエラルドが来るのを待つのは難しそうだ、日を改めるべきかもしれない……そんなふうに退くことをフランカが考えているとすぐ背後から声がした。


「扉はすぐに閉めてくれ。部外者に見つかると厄介だ」


 フランカが振り返る。声の主は年上の男の子で、鼻筋がよく通っており中性的な顔立ちをしていた。彼は扉を閉めると、「きみは……?」とさらりとした暗い茶髪を手でかき分けながらフランカの顔を見つめた。


「エラルド! こいつ、あのおちびちゃんの紹介で来たんだって。何か聞いている?」


 少女が素早く駆け寄ってきて、フランカの身体を手で払いのけ、エラルド少年の前に立つ。よろめくフランカだったが、転ばずに済む。


「レベッカ、いいかげんガヴィーノのことをそんなふうに言うのはやめとけ。けっこう気にしているみたいだぞ。ここに来るのに、きみがいない日を見計らう程度に」

「ええ? でも、あたしのほうがずっと背が高いのは客観的事実よ? ついでに言えば、あたしよりも舞双姫が弱い。だからいいじゃない」

「その理屈が通るなら、きみは僕の言うことを聞いてもらわないと」

「もちろん、いいわよ! 今度の休みの日にデートしましょう?」

「おいおい、どんな思考回路を辿ったら、そうなるんだ」

「ね、いいでしょう? あのお嬢様よりあたしのほうが……おっと、そんな目をしないで、エラルド。いいわ、今日のところは引いてあげる。恋は駆け引きが大事だものね!」 


 フランカは二人とのやりとりを傍で眺めた。内容からして、この二人がガヴィーノの話した十五歳の二人で間違いなさそうだ。つまり実力で言うと上位二人。

 そしてそれが自分と同級生の会話と比べて、どことなく大人っぽく、ロマンスのあるものだとみなすと、いたたまれなくなった。このまま二人で話を続けられても困るので、フランカが口を挟もうとすると、エラルドから声をかけてきてくれる。


「きみがフランカ?」

「ええ、そう……です」

「なぁに、さっきのは出鱈目じゃなかったわけ?」

「レベッカ、ちょっと黙っていろよ。ん、ん。ガヴィーノから聞いたよ。あいつが誰かスカウトしてくるなんて初めてだ。もしかしたら、単にきみが可愛いから仲良くなりかったのかもしれないけれど」

「エラルド! つまらない冗談はいらない! そうでしょう?」

「冗談かはさておき、まぁ、言葉よりも必要なことがあるのはたしかだ」


 エラルドはそう言うと、視線をフランカでもレベッカでもなく、部屋の中央に投げかける。舞双姫盤が置かれたテーブルに。レベッカは何もせずに一人でエラルドを待っていたのか、駒は初期配置のままだ。


「さぁ、席につきたまえ。きみの力を僕らに示してくれ」


 芝居がかった調子で促してくるエラルドに、フランカは「はい」と返事をしてテーブルへと進む。


「あたしがやってもいい?」

「試験は僕が担当する。それが決まりだ。そうだろ」

「でも、ほら、この子ったらこんなにびくびくしているわ。きっと上級生と関わったことなんてほとんどないのよ。だから、ね? まずはあたしが舞って、緊張を和らげてあげたいのよ。お姉さんとして」


 レベッカがにっこりとする。その笑みはフランカにはまったく向けられていない。


「……本音は?」

「ぼこぼこにして、心をへし折って、エラルドと舞わせない」


 エラルドが顔をひきつらせて、小さく溜息をついた。レベッカの前で他の女の子に「可愛い」だなんて言うんじゃなかったなと後悔する。そのくせシャーロットには面と向かって褒め言葉を口にできないエラルド少年だったのだが。


「もしも私がレベッカ……さんに勝てたら、にゅ、入会できるんですか」


 フランカはなるべく気丈に、そうだ、いつもの自分であるようにと自身を鼓舞してそう言ってみた。だが最後のほうは、笑顔から一転して眉を吊り上げて睨んできたレベッカに圧されて、消え入りそうな声になってしまった。


「きみはガヴィーノに負けたって聞いているけど?」

「はぁ!? それでこのあたしに勝てたらですって? はっ、面白いこと言うじゃないの。気に入ったわ。妹にしてあげてもいいわよ。あたしのためにあれこれしてくれる、愛しい妹にね!」


 フランカは深呼吸した。大丈夫だ、そもそもイフリートに入れなくたっていいのだ。ただ、このまま上級生のペースに呑まれてそのままというのは嫌だし、アリアに顔向けできない。


「それでは、さっさと席に着いてくださいまし、お姉様」

 

 恭しい口ぶりで催促するフランカにエラルドが思わず笑う。フランカは自分で言っておきながらも羞恥に頬を赤く染め、それとは別の感情でレベッカも顔を赤くした。


「上等よ、泣かしてやるわ」

 

 わなわなと声を震わせ、ずかずかと進み出て、席に着くレベッカ。やれやれと肩を竦めたエラルドが倉庫内のどこからか椅子をもう一つとってきて、二人から少し距離を置いて座る。フランカは姫譜をとってもらうのを頼むか一瞬迷って、やめた。レベッカが怒り狂うのが目に見えている。なお、イフリートでは会員同士の対舞で姫譜をとることは稀だった。


 イフリートで使っている駒と盤はありふれたものだった。授業の一環で学校側が貸出すタイプの量産品である。ちょうど倉庫内にあったのを利用しているのだろう。レベッカが先手を、黒の駒を使うフランカに譲る。かかってきなさいよと言わんばかりに。

 まずはお互い、プロローグの構築を目指す。つまりは簡単に攻め込まれないように、かつ相手の陣営を崩すための陣形を組みやすい盤面へと自陣を導く。


(気性が荒さがそのまま舞い方に出るかと思えば、そんなことはないのね)


 フランカはレベッカのプロローグがアリアから教わったスタンダードなもののうちで、最も手堅い形であるのに気づいた。攻撃だけを考えている動きでは決していない。互いに序幕の陣形を整えた後、先に仕掛けたのはレベッカだった。


(火精に先陣を切らせつつ、風精も動かしてきている。これも攻め方としては正統派に分類される……だったよね? この戦法に対する受け方はこうよね)

 

 アリアとのレッスンを思い出しながら、フランカはレベッカの攻めに対応していく。水精を二列目に居座らせた状態を維持して、火精に隙を突かれぬようにしたうえで、姫を賢者と守護塔で固めておく。数手で崩せる守りではない。


「守り方は心得ているようだな」


 エラルドが素直に感心を示すが、それに対してレベッカはにんまりとした。


「けど、まるで安っぽい教本通りの陣形じゃないの。そんなのじゃ、あたしの攻撃を退けるのは不可能よ!」


 やっぱり攻撃重視の人なのか、とフランカは相手側に付け入る隙がないかよくよく観察するが、見つからない。ようするに守りを捨てて向かってきているのではない。


(防戦一方ではガヴィーノ戦の二の舞になるだけ。隙がないのなら、こっちも攻めて突破口を見出すしかないってことね――――待って。もしかしてこの盤面なら……?)


 フランカはもう一度、駒の配置を確認する。攻めてきている火精と勇士の位置取り、守りを固めている地精。そして何手かかければ、鋼馬で相手の灯をとることができる。しかしその鋼馬はすぐに相手の鋼馬の餌食になってしまう。


(でも、それでいい)


 アリアから教わったあのカウンター戦法、それを実践する機会が得られそうだと気づくと、フランカは高揚した。教わってから今日に至るまで、盤面が適した形になることはなかった。フランカ自身のあずかり知るところではないが、イフリートの会員以外の学校の子供たちには、容易に勝てる実力をフランカは身につけていたのだった。


 そしてそれから十四手後。


「なっ!?」


 レベッカは何が起こったのかわからず、思わず驚きの声をあげた。一方で、エラルドはフランカが鋼馬のうちの一つをみすみすレベッカにとらせたときに、違和感を覚えてこの状況を予期していた。レベッカの攻めをこうも巧みに守っている人間がそんなミスを犯すはずがない、と。


「くっ、そこで灯を盤上に戻してくるなんて……!」


 灯は十二種類の中でただひとつ、持ち駒が許されている灯であるが、相手の駒をとることができない唯一の駒でもある。ゆえに、持ち駒としては通常、盾役ないし壁役として用いて、相手の攻撃を一時的に防いだり、進路や退路を塞いだりする。囮として再配置しても、初心者でもなければ飛びつくことはない。

 今まさにフランカが仕掛けた盤面においてレベッカはフランカが持つ灯を意識から外してしまっていた。そういうふうにフランカが仕向けたのだった。

 フランカの陣営まで食い込んできたレベッカの白い火精がフランカの黒い守護塔を倒したそのとき、レベッカにはフランカの姫に手をかけるまでの軌跡が見えていたはずだった。しかしその勝利への軌跡こそがフランカが見せたかった幻想。勝利へと逸る気持ちがあったからこそ、灯を見落としたレベッカ。

 そこに灯を再配置されたことにより、レベッカの火精は身動きがとれなくなり死んだ。

 守りの灯をもって攻めの火精を落とす戦術がここに実現したのである。 


狐火返しカウンター・ブレイズ―――――できたよ! アリア!)


 そこからはフランカのペースだった。

 レベッカはいなくなった火精のリカバリーを風精で図るも、既にフランカは反撃の狼煙を上げ、敵陣へと駒を進めていく。フランカの鋼馬をとるために、前に出ていたレベッカの鋼馬、その配置こそがフランカの攻めの糸口となりもしたのだった。

 エラルドの見立てでは、それでもレベッカが守りのうえで最善手を舞い続けていればさらなる逆転は可能だった。しかしレベッカはそこまで冷静沈着には処理できずに、またフランカはその動揺を見逃しはしなかった。


「女神よ、微笑んで」


 それから二十一手後、フランカは宣言する。あっ、と小さな声を上げた後、レベッカは項垂れて、敗北を認めた。

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