19 話を聞かない者

 城みたいな家へ来て十日目。俺は初めて、別の部屋へ入った。

 階段を一つ上り、左に曲がって突き当りにある部屋だ。

 俺が寝起きしている部屋も広いが、この部屋は更に広い。

 全体的に女性が好みそうな、華やかな装飾と家具が置いてある。


 例の小娘、侯爵令嬢シーキィの部屋だ。


「お嬢様、仕込みが終わりました」

 まずシーキィに挨拶したのは、先日より更に顔を腫らしたゴンデンだ。せめて手当しろと言っても「俺のことは気にするな」と頑なだった。

「ようやくね。これからよろしく、ヨシヒデ」

 俺の名前はシーキィに伝えられていた。

「まだ不慣れですが、誠心誠意お仕えします」

 俺は教わった通りの台詞を棒読みしながら、挨拶の仕草をした。左手はまっすぐ体の側面につけたまま、右手を胸に当てて、浅めに一礼。

「形にはなってるわね」

 これでよかったようだ。

「では……」

 シーキィが更になにか言いかけた時、部屋の扉がばたんと開いた。ここは貴族の家のはずなのに、住人は扉をノックするということを知らないのか。


「こいつか、お前が見つけてきたっていう執事は」

 染めたのじゃない完璧な金髪に、青い瞳は、シーキィと同じ色だ。顔つきも似ている。

 親子というよりは、兄弟くらいの年の差に見える。

「ええ、そうですわ、フリスお兄様」

 合ってた。

 フリスとやらは俺のすぐ前にやってきて、俺を睨め上げた。

 おかしいな、侯爵って貴族の中でも上から二番目に高貴な血筋だと習ったのに、こいつの行動は安いチンピラみたいだぞ。


 と、俺の左手が勝手に上がって何かを掴んだ。

「おっ?」

 声を出したのはフリスだ。俺が掴んだのは、その右拳で。俺を殴ろうとしたらしい。

「……おい、離せ」

「どうしてこんなことするのか教えていただけたら離します」

 こんな事態に遭遇した場合の執事仕草は習っていない。俺はなるべく敬語を心がけた。

「お前を試したんだよ。妹の護衛がそこのチビスケみたいな弱っちいやつだと困るからな」

 なるほど、と思い手を離した。

 すぐに今度は右手が上がる。


 俺はどうやら、自分に対する攻撃に対して敏感なようだ。

 反射神経も異常なまでに上がっているから、酒場でも酔っぱらいの対処に役に立った。

 こんなところで役に立つとは思わなかったが。


「ふん、少しはやるじゃないか」

 フリスは俺に握られたままの左手を思い切り引いたようだが、俺にとっては大した力じゃない。

「離せ、もうしない」

「二度あることは三度あるので」

「なんだそれは」

「私の故郷にあることわざです」

 一人称を「俺」から「私」にするのは、日本の会社に勤めていた頃から日常だったので、移行はスムーズだった。

「ヨシヒデ、いいわ。フリスお兄様、もうよろしいのでしょう?」

「ああ、そうだな。これならいいだろう」

 何が良いのかよくわからないが、執事講習で最初に教わったのは「お嬢様の命令は絶対」だ。

 俺は左手を開いて、お兄様を解放した。

「ふう、まあせいぜいそいつを守ってやるんだな」

 フリスはそんな捨て台詞を吐いて、入ってきたときと同様、雑に扉を開けて出ていった。


 シーキィはフリスの後ろ姿を妙に寂しそうに見送っていたが、俺が見ていることに気づくと、取り繕うように笑みを浮かべた。

「では、ヨシヒデに最初の仕事を申し付けますわ」


 シーキィから命ぜられた最初の仕事は、話し相手だった。


 シーキィには俺の他にゴンデンと、メイドが数名ついている。

 俺は部屋に隣接しているテラスのテーブルへ案内され、シーキィの命令でシーキィの正面の椅子に座った。

 メイドたちはシーキィと俺の前に茶や菓子を並べて、壁際にぴしっと整列する。


 本来なら、俺は壁際に整列している立場のはずだ。

 ゴンデンも壁際で立っている。俺もそっちがいい。


「まずは、酒場から無理やり連れ出したことをお詫びしますわ。執事教育は貴方をここへ置く口実のために仕方なかったの。窮屈なら、着崩してくださっても構いませんわ」

 いきなり謝られた。

「口調や態度も気にせずにいて結構よ。ただ、お兄様やお父様……今ここにいない人間の前では、私の執事として振る舞ってくださると助かるの」

「色々と言いたいこと、聞きたいことはあるが……とりあえず、お言葉に甘えて」

 俺は着けっぱなしの白い手袋を外し、ネクタイを緩めた。これだけでもかなり解放感がある。

「どうして俺で、何故こんなことをしたのか。理由を教えてくれ」

「はい。ゴンデン、こちらへ」

 呼ばれたゴンデンは、こういう話になることがわかっていたようだ。

 ゴンデンは音も立てずにシーキィへ近寄ると、突然上着とシャツを脱いだ。

「!」

 ゴンデンの身体には、無数の傷があった。まだ瘡蓋の乾ききらない、生々しいものもある。

「これはフリスお兄様の仕業です。私には本来、執事はいません。ゴンデンは、私が自ら街へ出向いて、自力で探し出したのです」

 服を着直したゴンデンは、俺の隣に立った。

「お前のことをお嬢様にお伝えしたのは俺だ。素性の知れない、腕の立つ人間が欲しかったのでな」

 まだ話がよく見えてこない。

 俺がそういう意味の視線をシーキィに向けると、シーキィは目を閉じて、自分を奮い立たせるかのように、ふぅーと息を吐いた。


「私は昔から、何者かに命を狙われているのです。先程のフリスお兄様の行動やゴンデンへの行為は、私を守れるかどうか、フリスお兄様が試した結果です。今いる者たちでは手が足りないのです。どうか、私を守って頂けませんか」


 シーキィの表情は真剣だ。ゴンデンはその隣で沈黙を守っている。壁際のメイドたちの中には、目に布を当てる者もいた。


 まずは「面倒くさい」という感情が浮かんだ。

 俺の目的は元の世界へ帰ることであって、この世界のなにかに首を突っ込むつもりは毛頭ない。

 この世界にようやく順応しはじめたところだというのに、貴族だの訳ありお嬢様だのは、余計な要素だ。

「勿論、報酬はお約束しますわ。酒場の十倍といわず、二十倍でも……」

 俺の表情から、俺が乗り気じゃないことを察したのだろう。

「報酬の問題じゃない。俺には俺の目的がある。それがいつ、どこで、どんな風に達成できるか、全く手掛かりがない状態なんだ。こんなところでお嬢様の護衛をしている暇はない」

「それは……」

 俺のことを、いや庶民のことを、金さえ出せば何でも言うことを聞くとでも思い込んでいたのだろう。

 シーキィは一言発したっきり、絶句した。

 俺はわざと大きなため息をついて、立ち上がった。茶や菓子には手をつけていない。ネクタイは完全に外し、適当に丸めてテーブルに置いた。

「俺の事情なんてどうでもいいんだろう? この十日間、何も聞かれなかったし。聞かれて詳しく話すつもりもないがな」

「ま、待ってください! 事情があるならお手伝いしますから」

「俺の話を聞いていたか? 全く手掛かりがない、俺は事情を詳しく話すつもりはない。それでどうやって手伝うって?」

 唇を噛んで下を向くシーキィ。壁際やシーキィの隣のゴンデンからは、冷たい視線が刺さる。

「貴族ってのはこっちの都合を無視して話を進めようとするんだな」

 その視線を跳ね除けるように言い、壁際やゴンデンをじっと見つめ返してやると、連中は目をそらした。

「もう用は無いな。俺は帰る。俺が着ていた服だけ返してくれ」

「……前の服は汚かったので処分してしまいました。今着ている服を差し上げます」

 あの服はサニばあさんから金を借りていた時に揃えた品で、きちんと洗濯もしていたんだがな。


 ジャケットやベストは邪魔だったので、その場で脱いだ。

 ズボンや革靴も窮屈だが、これは仕方ない。


 俺は振り返らずに部屋を出た。


 そのまま勝手口へ向かおうとすると、フリスが肩を怒らせながら歩いてきた。やっぱり安いチンピラにしか見えない。

「おい、お前。シーキィの護衛をするんじゃなかったのか」

 あのテラスには盗聴器のようなものでも仕掛けられていたのだろうか。先程までの会話を全て知られている様子だった。

「その話は無しになった。では」

 早く帰りたい俺の腕を、フリスが掴んだ。

「お前が逃げたらシーキィが死ぬんだぞ。いいのか?」

「俺には全く関係ない。巻き込まれかけて迷惑してるんだ」

 俺が腕を軽く振ると、フリスはあっさり手を離し、その場にすっ転んだ。やり過ぎたか。

「すまん、そこまで……」

 やるつもりはなかったと手を伸ばした時だった。


 甲高い悲鳴が屋敷中に響き渡った。

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