第57話「Mother《母》」


 野々花さんと二人、前に喜多が置いてったスナック菓子なんかを晩飯がわりに摘んでいたが、ずいぶんと夜も更けて野々花さんの目が時折りフタする様になってきた。


 ちなみに膝枕はもうしてない。今は畳んだ座布団を枕にしてる。さすがに小四女児には荷が重いからな。


 喜多から続報はまだ来ない。

 カオルさんも目を覚まさないし、どちらにしてもまだ二人を帰す訳にはいかない。


「野々花さん。カオルさんと一緒に横になってやすんで下さい」


 とろんとした目で、トイレだけ済ませてそうします、そう返した野々花さん。偉い。

 カオルさんの背に貼り付くような形で野々花さんが横になり、ほんの数分で寝息が聞こえ始めた。


 本当に仲の良い親子だよな。

 二人とも屈託なく笑う良い笑顔の持ち主だ。


 この二人に対してDVなんて……ちょっと私には考えられん。


 私は自分の意思で殺しをした事はないし、誰かを殺したいと思ったことはない。

 すでに殺し屋じゃなくなった私が殺しをする事はもうない。これだけは絶対だ。


 しかし、いま目の前に美横みよこ 熊一ゆういちがいたら殺してしまうかも知れない。

 どうせなら四年前、奴を仕留めたのが私だったら良かったのにとさえ考えている。


 ふん、それこそどうでも良い事か。

 熊一ゆういちだろうが熊二ゆうじだろうが殺さない。

 殺さずにこの二人を守るだけだ。


 野々花さんが寝付いて十分ほどか、入れ替わりでカオルさんが目を覚ました。


「……なんかあたし、すんごい寝てました?」

「ぐっすり眠れたなら良かったじゃないですか」


 可愛い寝顔も見れましたし。なんて言ったら気持ち悪いだろうから言わない。

 そう言や凛子ちゃんが前に言ってたな。


 『イケメンの寝顔見るの楽しい』だっけ。今ならそれよく分かるよ。



「ごめんなさ――」

「ごめんなさいは禁止です。言ったでしょう?」


 少しだけ、小さく舌を出したカオルさんが肩をすくめた。可愛い。


「店長、ありがとうご――」

「あ、そう言えば今は仕事中じゃないんじゃ?」


 私が口にした内容の主旨が分からなかった様子のカオルさんがこてんと首を傾げた。これ、たまにカオルさんがやるんだが、可愛すぎて身がもたない。好きだ。


「あ――」


 どうやら思い至ったらしくポッと頬を染め、少し躊躇いがちに続けた。


「ありがとう、ございます、


 ぼふん、と私の顔面が朱に染まる。自分で言わせた様なもんなのに。でも、私達を包む空気が少し穏やかになった、ような気がしないでもない。


「そ、その後、どうですか? 具合の方は――?」

「ええ、お陰様でスッキリしてます。よく寝たから、かな?」

「でしたら良かった」


 ちらりと時計を見遣ると、もう日付けが変わるまで二時間もない。

 その時ちょうど喜多からのメールが届いて速やかに確認する。特に返信はしない。


「野々花さんから聞きました。昼に来てたお客――元御主人だそう、ですね」


 穏やかになった空気がまたピリつく。

 けれど……


 カオルさんは『にへら』と、いつもの様に笑ってみせた。


「聞いちゃったか……お恥ずかしいことですけど、あたしの結婚、そんなだったんです」


 カオルさんは少し無理した笑顔ながらも、淡々と、かつて築いた家庭の事を話してくれた。


 よく考えずに勢いで籍を入れたこと。

 熊一元旦那がおかしい事に気付いた頃にはお腹の中に野々花さんがいたこと。

 たまに帰って来ては殴られ、野々花さんだけはと必死に守ったこと。


 帰ってこないでくれと怯えながら暮らしていたら、本当に帰って来なくなったこと。

 何があったか知らないが、それに心から感謝したこと。


 怖かったが、野々花さんを守る為だと弁護士に相談し、晴れて離婚が成立し逃げる様にこの街に逃げて帰ったこと。

 ロケットベーカリーで働けることに心から感謝していること。


 『にへら』のままで、静かに涙を流したままでさらに言った。


「それでも結婚した事に後悔はないんです。このがいるから」


 隣で眠る野々花さんの頭を優しく撫でながら俯くカオルさん。さらにそのカオルさんの頭を、卓袱台越しに手を伸ばしてぽんぽんして立ち上がる。

 冷蔵庫を開き、つけっぱなしだった台所の灯りを消して戻る。


「少しだけ、飲みませんか?」

「…………頂きます」


 お互いにパシッと開けたビールをカチンと合わせた。



「ゲンゾウさん。あたしね、野々花に言ったことあるんです」

「なんてですか?」


「今度に会ったら……思いっきり引っ叩いてやる、って。なのにダメですね……いざとなったらがくがく震えるばっかりで……」


「引っ叩いてやりましょうよ」


 そう言って立ち上がり、灯りの紐を二度引いて豆電球に変えた。

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