第51話「Salmon《鮭》」


 定休日の月曜だがとりあえずパンを焼いている。

 なんと言ってももう私にはパンを焼くしかやる事がないからな。


 なんか、この週末は色々とありすぎて……

 部屋にいてもぼんやり色んなことを考えちまってどうにもいけない、って事で朝も早くから厨房だ。


 そんでもまぁ、手を動かしてたって考えちまうよな。

 カオルさんのこと、野々花さんのこと、凛子ちゃんのこと。


 死んだ劣才れっさいさんのこと、私が殺し屋じゃなくなってたこと、美横みよこのこと、カラオケデブのこと。


 色んなことが綯い交ぜになりつつも、手は粉を捏ね、パンを成形していった。


 無理にでも無心に無心にと努めてパンを焼いていたら、小ぶりな円筒形のクロワッサンがいくつも仕上がっていた。


「うん、悪くない」


 直径で5センチ、高さが3センチほど。レーズンは入れていないが渦巻き型に作るパン・オ・レザンの中央を敢えて大きく空け、1センチ弱の厚みで作った円筒形。

 サクリとした噛みごたえに、口に広がるバターの仄かな甘み。


 以前に喜多から酷評されたカスタードを詰めたものと違ってずっと小ぶりなクロワッサン。今はまだ中空だ。

 このままでも面白いとは思うが、味はただのクロワッサン。何か核に――個性的な核になるものが欲しいな。


 厨房の冷蔵庫を覗いてみたが、これだと思えるものはない。ドライフルーツなんか間違いなく旨いし面白そうだが、ややありきたりな気がする。というかそれこそパン・オ・レザンだ。


 二階の部屋の冷蔵庫も漁ってみるかと上がってみると、ようやく起きたらしい喜多がパンツ一丁で歯を磨いてやがった。


「よおゲンちゃん。早いな」

「全然早くない。もうすぐ昼だぞ」


 もう三十年近く前、を頼まれて劣才れっさいさんちでしばらく過ごした。その頃からちっとも変わりやがらねえなコイツは。


 ちらりと時計に視線をやった喜多だが、特に慌てるつもりもないらしい。そんなんで不動産屋の方は平気なのかよ。


「ほんでゲンちゃんは何やってんだ?」

「新作パンのアイデア探しだ」


 あまり自炊もしないからロクな物が入ってないのは分かってんだが、冷蔵庫も冷凍庫も探ってみる――


「鮭フレークと……海苔の佃煮……か」


 使えそうなのがコレだけとはな……。まぁ良い、ものは試しだ。


「喜多、オマエも来い。試食会だ」

「良いけどよ、なんか全然期待できそうに無えんだけど」




「う――旨え……ゲンちゃん天才じゃねぇ!?」


 縦四つに切り分けた円筒形クロワッサンに鮭フレークを乗せただけ、こんなのが旨いなんて誰が思うよ。

 そして海苔の佃煮はやっぱりゴハンに合わせるものだとよく分かった。『パンですよ』じゃないもんな。

 いやまさかとは思ったが、鮭フレークとクロワッサンの合い様――親和性といったら劇的だった。


 見た目だけ整えればこのまま商品にしたとて耐えうると思う。しかし、これではクロワッサンを開いてスモークサーモンを挟んだ『サーモンクロワッサンサンド』の廉価版でしかない。あれはこれよりさらにもう一段階旨い。


「ゲンちゃんなに悩んでんだよ。もうこれ新作パンで良いだろうが」

「いや、もちろん発想は良い。だがこのままじゃダメだ。見た目も悪いしバラン――」


「バッカ、貸してみろって俺に」


 喜多は私から取り上げた鮭フレークをスプーンいっぱいに乗せ、それをクロワッサンの筒へ投入、さらに崩れないようスプーンの背でギュッと押さえた。


「どうよコレ! クロワッサンの中のピンクがめっちゃえてねぇ!?」


 ――くっ。

 悔しいが……正直ちょっと映えてる――くそっ。


「ほんで味も当然――」


 摘み上げ、あんぐり開けた口へ喜多がひと口で……



「……あー。うん、ちょいとばかし多いな、中身が。こりゃほとんど鮭フレークの味だな」

「だからそう言おうとしたんだ。バランスが取れないって」


 しかしだ。これはイケる。


 方向性は定まった。

 新作パンはクロワッサンと鮭を合わせる事とする。

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