第26話「Rare《珍しく》」

 お客にゃ悪いが、これ以上パンを焼いちゃロスが出てしまう。

 売れ行きを見ながらゆっくり焼いてくとしようか。


「おうゲンちゃ――げふんっうほ……わり、せた。ゲンゾウ、そろそろ昼ピーだろ? 俺ちょっと千地球行ってくるわ」


 うほうほも簡易バージョンか。何事も無駄は良くねえよな。

 イートインも昼ピーク時は基本使用禁止だからな。


「あぁ、悪いな。ママによろしく伝えてくれ。後でカオルさん達にも行ってもらうから」

「かしこまりーん!」


 杭全くまた親子に向けて軽く手を挙げた喜多に、二人が笑顔でぺこりと会釈。

 なんか仲良さげでムカっとする――なんて言ったら器が小さ過ぎるな。実際ちょっとしたんだが。


 頑張り過ぎたせいで時間的には余裕がある。さて、何するかな。

 そうだ、久しぶりに手捏ねパン焼くか。勘が鈍ってるかも知れないしな。


 そうと決まれば早速取り掛かろう。


 粉はリスドォル、イーストはいつもの生イースト。他にはモルトシロップ以外には塩と水。ただそれだけ。

 そう、フランスパン生地だ。バゲットでも焼こう。


 ボウルに粉、そこへモルトを溶かした水にさらに生イーストを溶かして足す。

 私はゴムベラを使わない。一本指でくるくるぐるぐると混ぜ合わせると、自慢の指で粉の具合を同時に確認できる。纏まってきたらボウルの中で打ち付けたり畳んだり。


 フランスパンは捏ね過ぎてはいけない。

 生地が均一になればもう良い。発酵突入だ。


 ラップをする前に指先で触れる……うん、三十分でちょうどだな。


 よし、と呟き顔を上げたところでカオルさんと目が合った。


 カオルさんが口の動きで――


 珍しいですね


 ――なんて言うもんだから、私も声には出さずに――


 たまにはね


 ――とだけ返した。

 何故口パクなのかは置いておいて、なんか良い。


 からんころんと鳴るドアベルと、カオルさんの「いらっしゃいませこんにちはー!」が耳に届く。


 ああ、なるほど。店先にお客が来てたから口パクだったのか。

 ちらりと時計に目をやると、十一時半を少し過ぎたところ。さぁ、昼ピークの始まりだ。


 厨房に居ながらもカウンターの様子を伺う訳だが――これでも経営者だからな――、カオルさんに加えて小さな可愛い女の子店員がいる事にお客さんも興味津々だ。


 野々花さんはハッキリ言って美少女のウチだろう。

 おいおいせよ……もしかしてこの夏も売り上げ伸びるんじゃないだろうな……なんて言ったらバチが当たるな。




「……ママ。お客さん……あんなに来るんだ……」

「そうよー。凄いでしょう? ロケットベーカリーって」


 人気のパン屋に比べればそこまで多い訳じゃないんだ。ただ、こんな厨房ひとり、カウンターひとりの店にしちゃとても多いと思うがな。


「お疲れ様ふたりとも」


 ジャスミンティーを二つグラスにぎ、カウンターの二人に渡す。


 土曜日だから平日昼休みの怒涛の忙しさとは違うが、やや密度が薄まるものの昼ピークの時間が長い。


 だからやっぱり昼ピークのカウンターは大変なんだ。


「ひと息ついたらお昼にして下さい。いつもよりのんびりして来てくれて良いですから」


 野々花さんもいる。だからもあっての提案だったんだが――


「いえ、いつも通りに戻って来ますから。店長はお昼どうします?」

「え、あ、じゃ、じゃあカスクートを」


 カスクートってのはフランスパンみたいなハード系パンのサンドイッチだ。食パンのサンドイッチよりも強めの具材が合うと私は思う。


「かしこまりーん♪ あたしもそうしよっ! 野々、行こっか」

「う、うん」



 ……まぁ、そうかな。カオルさんならそう言うか。

 普段から出来るだけ誰かに頼りたくない――というか、特別扱いをされたくないって感じだからな。


 私としては全力で特別扱いしたくて堪らないんだが、それを面と向かって言うのは……さすがにハードルが高過ぎるな。

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