第2話「Close《閉店》」


「おいゲンゾウ! 開けろ! 俺だ!」


 ロケットベーカリーの二階、裏の外階段から上がるここが我が家だ。

 その我が家のドアをドンドンドンと遠慮なく叩く音がする。


 ――喜多か。

 ちょっと待て。いま忙しい。


 別に何かをしているという訳ではないのだが、目を閉じてじっと昼間のことを脳裏に焼き付けている真っ最中なんだ。


 ――あぁ、カオルさんの白ブラウス姿。良い。

 ギャルソンエプロン、黒のキャップの下にはシニヨンに纏めた髪、猫を思わせるようなクリッとした綺麗なアーモンドの様な目。

 166センチ、52キロ、きびきび働くカオルさん。

 いらっしゃいませおはようございまーす!

 いらっしゃいませこんにちはー!

 そして私を見てにっこり微笑むカオルさん。


 いつも変わらぬ様でいても、今日という日のカオルさんをきちんと脳裏に焼き付ける。これが毎夜のルーティンなのだ。


 ……………………


「おう喜多。まぁ上がれ」

「まぁ上がれ、じゃねえよ長いこと待たせてよぉ! カオルちゃんのこと思い出してナニ良からぬことしてんだいい歳してよぉ!」


 ば――っ、馬鹿タレ! とは一体なななんのここここ――


「冗談はさておき――」


 ……冗談か……。いらんこと言うな。


「あんまし本気になるなよ? 俺らみてえなもんには普通の家庭なんて持てねぇ。分かってんだろ?」


「………………………………当然だ。分かってる」

「すげえ長い間だったけどまぁ分かってるなら良い」


 分かってるさ。


「オメエの本業はパン屋じゃねえ。に過ぎねぇんだからな」


 ……分かってはいる。いるんだが最近ちょっとな――



 土産みやげだ。

 そう言ってコンビニ袋を差し出した喜多が遠慮なく我が家へ上がる。

 袋の中を覗けばビール。


「六缶パックなんていらないだろう。私はともかくお前は一本で十分――」

「分かってるっつうの。だから飲む前にの話だ」


 2DKの真ん中の和室、ちゃぶ台の上にパサッと茶封筒を喜多が投げて言った。


「今回のまとだ」


 それを一旦無視し、冷蔵庫を開けてビールを入れようとしたが、思い直して冷凍庫に入れた。

 そして六缶パックから一本だけ抜き取り、ビールを開けながらちゃぶ台に向かって座る。


「自分だけ呑んじゃってよ。俺だって呑みたいんだから早く封筒んなか確認しろよゲンちゃん」

「ゲンちゃんはせ。イメージが崩れる」


「分かってるって。カオルちゃんの前では呼ばねえよぉ」


 そんなこと言ってこいつまた『ゲンちゃ――げふんごほんうほうほ、わりぃせちまった』とか言うに決まってるクセに。


 昼間の縦型ミキサー君のアレ、こいつきっと――


『俺ぁてっきりかと思ったぜ!』


 ――とか言いそうになったんだろ。殺し屋の相棒やってる奴が言う冗談じゃねえぞ馬鹿タレ。


 二足の草鞋の、私のパン屋じゃないほうの草鞋。


 それは殺し屋。

 パン屋と違ってそちらの腕はなかなかのものだ。



 とりあえず喜多を無視して茶封筒を開いて中を確認する。

 太った丸顔、私より少し年嵩に見える中年男性の写真が一枚。

 さらには地図。ここロケットベーカリーから商店街を抜けた先の駅向こうのカラオケボックスに赤丸と『明日19:30』のメモ。


「やけに近いな」

「あぁ。だから明日は歩きで行ってくれ」


「アルキ? アルキって徒歩の事か? そんなんでアシはつかないのか?」

「バカだなぁゲンちゃん。防犯カメラにゲンちゃんが映ってたとしてなんだっての。アンタここの商店街の住人じゃない。そりゃ映るじゃん」


 ロケットベーカリーは商店街の端。駅から見て反対側に位置している。

 そう、確かに商店街の組合費もきちんと納めているし、晩飯を商店街の定食屋でとる事も多い。


「確かに言う通りだ。で、コイツは?」

「真っ黒だ。安心してくれて良いぜ」


 ホントは白でも黒でも関係ないんだ。

 けれど最近の私はちょっと……な。こんなこっちゃまずいんだが、まぁこれも日にち薬、いつか落ち着くだろうさ。


「地図の裏にメモがある。覚えたら燃やせ」


 喜多の言葉に従い地図をめくる。

 19:10にここを出る。真っ直ぐ商店街を抜ける。少し迂回し19:30にカラオケボックス。

 その迂回中にキャップだけ被り、カラオケボックス内で速やかにまとを仕留める。


 迂回の仕方も引き上げ方も事細かくメモされているが、私は昔から文章を指でなぞりながら読むと何故だか一度で覚えられる。


 私の指は特別製らしいんだが、理由は判らない。小さな頃から粉を捏ねて過ごしたからかな。


 地図と写真を持って台所へ行き、かちかちっと着けたコンロの火に近付け燃やし、完全に読めなくなったのを確認して三角コーナーへ放り込んだ。

 その足で冷凍庫を開け、二本のビールを持って戻る。


「お疲れ。ほれ」

「さすがゲンちゃん、けっこう冷えてる! 気が利く!」


 けれど案の定、喜多の奴は一本空ける前にウトウトし始めやがった。

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