88.終局、終焉へ

 

 レオの変化に思わず足を止めたリオットルが、己を奮い立たせて足を踏み出したその時。

 薄墨色の魔力が荒れ狂うその奥で、レオの赤黒く染まった眼球が動き、獅子の姿を捉えた。

 リオットルも警戒を深めて再び足を止め、彼から目を逸らさない。


「――ッ!?」


 しかし、レオの姿が消えた。

 そして、次の瞬間には、獅子の眼前にレオの貫手が迫っていた。


 ――ギュリリッ。

「なっ?!」


 レオの貫手は迫ってくる途上にあるのに、彼を覆う薄墨の魔力が先んじて獅子の鼻先に届いた。

 その荒れる魔力は槍の穂先の如く突出し、リオットルのマズル――鼻口部――の表面を抉るように削りながら、目元に向かう。そして貫手も。


 リオットルはレオの腕を払うことで、辛うじて魔力の槍の侵攻を逸らした。

 しかし、レオの腕を払った獅子の前腕は、赤褐色の毛に覆われ厚い皮膚と強靭な筋肉を有しているにもかかわらず、魔力によってズタズタに引き裂かれるという代償を払った。

 チラリと傷を見れば、驚異的な自然治癒力で回復し始めてはいるものの、血が滴り骨が覗いている箇所まである。


「チッ、何だというのだ、こいつは」


 一瞬にして深手を負ったリオットルは、舌打ちを残して飛び退る。

「――ッ!!」


 しかし、レオがそれを追う。その瞳に光も自我も無く、ただ『滅する』という衝動だけが籠っている。

 そして、弓を引くをように貫手を引き絞りながら、ピタッと追随し――。

 またしても猛る分厚い魔力を纏った突きを、リオットルの首へと向けた。


 獅子は今度は触れるわけにはいかないと、身をよじって躱そうとするが……。

(は、やっ!)

 首を守るのが精一杯だった。


 人の域を超えた速さとなったレオの突きが、獅子の肩口から首の間――僧帽筋――を穿うがった。


「ぐっ」

(クソがっ! 俺様が致命打をさけるしかできないだなんて……)


 それでもレオは止まらない。リオットルの間近から交互に突きを放ち続ける。

 リオットルは足を後ろへ後ろへ、後退することにしか使えない。街道を徐々に、しかし一方的にラボラット方面に移すが、逆は無い。


 獅子は、レオの突きを肉体を使って払うことも受け流すこともできずに、痛みを堪えながら、ただただ身のこなしで躱そうとすることしかできなかった。とにかく致命の一撃だけは受けないように、と。


 しかし、速さを増したレオ相手に、躱し続けるのは至難。

 徐々に身を削られていく。


 ――シュッ、チッ、フォン、ジュグ……。

「……、くっ! ……、っ! ……」


 両者無言の攻防。

 レオは自我を失い、言葉も失っている。

 リオットルはレオの挙動を見逃さぬように極限まで集中している。


 二人の間では、高速の突きが撃ち出される音やレオを覆う魔力がリオットルを掠める音、空を切る音、肉が抉られる音だけが無作為に発せられるだけだった。


 そんな攻防の中、後退しか選択肢の無いリオットルが、ひとつのことに気付く。


(こいつ……スキルを使ってねえぞ)


 これまで間断なく撃ち出されている突き。しかも狙いはここまでリオットルの心臓から上のみ。

 リオットルは驚異的な身体能力、反射、経験で、辛うじて致命傷を逃れているだけ。


 そうして体に傷を増やす一方の中で――。

 追ってくるレオがグニャグニャ軟体化することも無い。

 避けきれずに掠めるレオの“突き”に、硬さを感じない。

 そして、ひと突きのはずなのに重ねて突かれることも無い。


 リオットルの察知は正しかった。

 レオは【忘我狂戦ぼうがきょうせん】以来、自らの意志で発する任意スキルを発動していない。自我を失い、発動出来ないのだ。ただ自身の肉体の力と魔力だけを全力で発揮し続けている。


 それでも、リオットルがこれまで実際に出会ってきた、人間達は当然として獣人と比べても速く、そして力が強い。

 よって、それに気付いたとて、リオットルには『逃げる』など言語道断として、『必死に避ける』以外に選択肢は無いのだ。



 二人の戦闘は……短時間ながらも一方的な展開で進み――。


「……ぐっ」

 遂にリオットルが膝を地に突いた。

 肉体を削られ血を流し過ぎ、後退の勢いのまま背中から倒れ込みそうになるところを、意地だけで両膝から崩れたのである。

 獅子は眼前に位置取り続けるレオを眺めながら、最期を悟らざるを得なかった。


(畜生が。こんなところで、しかも人間の小僧にやられるとはな……。せめて俺様の命を刈る最期の攻撃は、この目に焼きつけといてやるか……)


 だが――。

 膝を落として動けぬリオットルを、ひと刺しで貫くかと思われたレオだったが……。

 そのレオにも異変が訪れた。


 レオを覆う魔力が大きく波打ち始め、ところどころ薄くなり……やがて、途切れた部分から弾けて完全に霧散、消失した。

 そして、レオも同じく膝から崩れる。その口からは声にならない呻きが漏れている。

 【忘我狂戦】以来、全開で、非効率に魔力を吐き出し続け、この瞬間に使い果たしたのだ。


 互いに手を伸ばせば触れられる――攻撃が当たる位置にいるが、両者とも動けない。

 リオットルの目には、元の“たかが”人間の小僧の大きさや存在感にしか感じられないくらいレオが小さく映る。


 その光景に獅子は、何が起きたのか瞬時には理解できずにいたが、やがてニヤリと口角を上げる。

 そして、自身の体に刻まれた多くの傷を見遣る。それぞれでジュワジュワと回復の泡立ちが続いていて、最初期に受けた鼻口部の抉れはほぼ塞がりかけていた。


「フッ……貴様も限界だったのか」

「ァア゛ア、ヒュウ、ゥウウ、ヒュー」


 レオは魔力枯渇の意識消失寸前。青ざめた顔で浅い喘鳴ぜいめいだけを繰り返している。

 だが、その赤黒く染まった双眸そうぼうには、未だ“滅する”という唯一の意志は残っていた。


 自身の傷を確認したリオットルは、今度は腕や脚に力を込めてみる。

(もう少し時間が要りそうだが、いける。ようやく俺様の番が来たか?)


 しかし――。

 弱々しく不確かながらもレオが呼吸をする度、彼の顔色は回復し、その身体から極薄く薄墨色の光が発しようとしている。

 それは無制御ゆえ、すぐに弾けて散っていたが、それも呼吸の度に薄い薄い魔力纏いの形を成せるようになっていく。


 そして、最初に動いたのはやはりレオ。

 それはリオットルの顔を撫でるかのような平手打ちから始まり――。

 その手に魔力を纏えていたりいなかったり、当初の荒れ狂う魔力の面影も威力も無いが、徐々に回転が上がり力も込められていく。


 リオットルも自然回復が進んで力も湧き始め、その腕でレオの攻撃を払い、受け流し……受け止め、合間に反撃の爪を撃ち込むことが出来ていく。



 二人の攻防は、先程までの攻勢一方・防戦一方の攻防よりも長く続いた。

 しかし、またしても天秤はレオに傾いていく。


 レオは、魔力の微回復と枯渇を繰り返しながら、そして獅子の爪撃に傷を負いながら、更には内臓への高負荷が祟って口から血を吐きながら、拳や突きを撃ち込む。

 常時発動スキルである【酸素魔素好循環】と【急速回復】が、魔力枯渇での昏倒を防ぎ、内と外のダメージから命を繋ぎ留め、ただ攻撃を繰り出し続ける人形と化しているのだ。

【酸素魔素好循環】と【急速回復】があるから生命機能を維持しているが……それを持つがゆえの苦痛とも言える。



 最初は反撃に出られたリオットルも、レオの手数と回転に押されて突きを受け続けるしか無くなった。

 その肉体は、自らの血とレオの吐血で赤く濡れ、今では急所の防御さえ出来ないほどの半死半生の状態。


 そしてレオの姿をした少年が、上体での攻撃をし続けるなか、ガクガクと縦に揺れながら立ち上がり……。

 ダラリと腕を垂らす獅子をほんの少し見下ろして、最後の一撃を下そうとする。

 リオットルも朦朧とする意識の中で、本能のみで獣口を大きく開いてレオの首を噛み砕かんと飛びかかる。


 戦いの終局、そして終焉が目前に迫った。


 そこに――。

 その光景を見詰める二つの視線。二人に迫る二つの人影。


「レオッ」

「レオ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る