ありがとう、さようなら、優しい天使

夢美瑠瑠

ありがとう、さようなら、優しい天使

 

 ぼくはただの精神障碍者です。

 思春期くらいからどうもこの世界の中で居心地が悪くて、「引き裂かれた私」というレインの著書の表現を借りれば、「この世界でくつろげない」感じがありました。

 友人も少なくて、アトピーめいたニキビに悩ませられていたこともあって、同年代の異性と話した記憶もほとんどない。大学進学も就職も人並みにできましたが、いわゆるアイキュー、知能指数が高いヒトなので、筆記試験に強く、そこまではまあ破綻をきたさなかったのです。

 実際には到底まともな人生史を順調に歩んできたとは言い難い実情だったか?振り返るとそんな気もします。


 で、その後に起こったきちがい沙汰としか言いようのない「衝撃的過ぎるような奇禍?虐待事件?」についてはもう何度も詳細や経緯を書いたので端折りますが、要するにそのせいで完全に人生が破綻をきたして、長い間「ひきこもり」を余儀なくされて、アルコールや薬物や不純異性交遊への依存等の逸脱行動まみれになり、生活も精神もぐちゃぐちゃになった。


 ほとんど廃人だった僕のところに、精神科医の紹介だと言って、ある日に魅力的な美貌の町役場の職員さんが訪問してくれた。その人がKさんである。

 Kさんのことは「Kさんのこと」という別の文章に書いているのでご参照ください。Kさんには今でもいろいろと問題を抱えている心身不如意の自分の面倒を見てもらっている。奇縁の?恩人です。

 

 Kさんはいろいろと世間との軋轢やお金その他の生活苦で煩悶している僕のために骨折ってくれた。で、支援の一環として「訪問看護相談」の事業所を紹介してくれた。割と近隣にある「ピースフル」という名称のそこから、ほどなくして看護師さんが二名派遣されてきた。


 そのひとりがS・Hさんだった。

 

…その頃に僕は既に長い間ネットにブログを書いていた。同工異曲千篇一律というかブログ記事の内容がマンネリになってきたので、少し前から、毎日短い「小説」を一篇書いて掲載するのを習慣にしていた。そのブログサイトには「今日は何の日」というその日に因んだブログネタとスタンプが付く仕様になっていて、そこに掌編小説を書いていたのです。

 見よう見まねだったが、意外と好評で、今もずっと続けていて、暦は3~4周した。だからもう「将棋の日」には違うヴァージョンの短編を3~4通り書いている。

 精神状態が健康の範疇だった時代からいろいろに多種多様な小説、エッセー、心理学や哲学の本を読み漁るのが日常の習慣だったので、なんとなく「小説家志望者予備軍」、だった。が、以前にはどうも一つの物語として短い物でも小説を首尾結構整った体裁でまとめる、というのはハードルが高い感じだった。が、改めて小説を書いてみよう!と決めて取り掛かってみると意外にすらすら書けて、面白くまとまるのです。長くブログを書いているうちに「習うより慣れろ」で何となく文章を草するコツやノウハウをつかめる格好になったのだろうか? 



 閑話休題。

 それがその後2年半の間、雨の日も風の日も雪の日も、毎週我が家に欠かさず訪問してくれることになる「平和の天使」(S・)Hさんとの最初の邂逅であいだった。

 小柄で愛らしい声と容姿のHさんは、初対面の挨拶もろくに済まないうちから早速我が家の飼い猫の「美香ちゃん」を見て嬌声を挙げて、猫が面食らうくらいに愛慕した。

 その後もずっとそうだったのだが、動物好きのHさんはうちの猫が部屋に入ってくるとしばらく「美香ちゃんしか眼中にない」みたいに急に無言になって無我夢中にかまける、そう言う感じが常だった。


 そう、極端なくらいの動物好きに象徴されるように、Hさんはとにかく、とてもとても「優しい」ひとだった。である。僕以外の訪問先にも猫、ウサギ、犬、たくさん動物がいると言って、さも楽しそうにいつも動物たちの話をしてくれた。

 或る時は、昔、病気になった飼い犬を玄関やコタツで徹夜で看病した話もしてくれた。


 Hさんの訪問が始まったころには、僕は長年続くPTSDめいた社会不安やら虐待妄想?、正体不明の幻聴に悩まされ続けていて、他人と対座している状態自体がかなり苦痛で、はっきり言うと無理だった。しどろもどろにやっとぎこちなく応対していた僕に対して、Hさんは動物王国のムツゴロウさんのごとくに?根気強く、熱心にコミュニケーションを取ってくれたのだ。

 Hさんはいつも優しく、真摯で、真っ直ぐに全身で僕の懐に飛び込んでくれる感じに話してくれた。幻聴でほとんど眠れず、ズダボロの状態だった時にも、「今日は辛そうやなあ。なんとか頑張って!私らはなあ、絶対味方やし、絶対裏切らへんから!」と励ましてくれた。


 当初、訪問は週一回だったが、僕には小説を書く趣味があって、そのはかどり具合を見てもらうということでその後一日増えた。

 見た目が白痴じみたイカレタおっさんが書くにしてはずいぶんまともなので?Hさんは読んでくれるたびに激賞したり、感動して拍手喝采したり?してくれてずいぶん励みになった。

 小説を書くことには功罪というか、毀誉褒貶があって、悩むこともありますが、こうして「表現」ができなくてはそもそも僕という存在自信にレーゾンデトルが何も無いような?そういう感じもあるので曖昧な気持ちのまま?継続しています。

 


 基本的に、30年前に”忌まわしい幻聴”が始まったころから僕は社会や他人、ひいては自分の人生にも絶望しきっていた。目の前にあるのはグレーの、荒涼とした「無意味な三次元の地獄」だけだった。「出口はない」と思い込んでいた。「日常」はあったが基本的に死んでいた。今でも死んだままだ。


 が、Hさんと出会って、毎週その純粋無垢で、あまりにも優しくて清らかな魂にほだされて癒されていくうちに、だんだん徐々に自分の中で何かっが変わっていくという感じ、人間不信で荒廃しきっていた哀れな壊れた精神の中に、新たな希望がきざしてくる、そういう一筋の光が見えてくる感じがし始めた。

 こんなに誰かから一生懸命に心配され、「治ってほしい」と願われている自分、本気で気に掛ける値打ちがあると思われている存在として、そういう自分を受け入れ認めることができるようになってきた、Hさんの無償の愛情が自信と勇気を僕に与えてくれた、そういう変化が生じたのかもしれない。

 思えば僕にはそういう親しいパートナーや友人がおらず、いたためしもなくて、他人との本当の信頼関係を築くという、親友といろいろな話題についてとことん骨の髄まで話すというような、普通の人生になら不可欠な経験が決定的に欠けていたのだ。

 誰と話すときも僕はいつもなんとなく誤魔化して本音を韜晦し、防衛機制で鎧い、本音を言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。

 本音が何かすらわからないほどに未熟で、それも畸形な人生故のコミュニケーション不足に端を発する不幸だったかもしれない…


 Hさんや、SNSを通じて知り合ったたくさんの友人知己との交流で、中年ぎてから何だか人生が劇的に変貌した?そういう趣でもある。Hさんとの出会いは、良い意味での象徴、吉兆、幸福なめぐりあわせで、天の配剤、神の恩寵?大げさに言うとそういうエポックメーキングな出来事だったと思う。


 先日、不意にHさんから「この3月でピースフルを退職する」という旨を告げられた。急でもあり、ショックだったが、「会うは別れの始め」なのは世の常であり、いつかはその日は来るかとも思ってはいた。もう毎週二回Hさんの訪問を受けて、よもやま話や体調の相談や、幻聴のこと、経済問題、あれこれを少しづつ解決してきた、そういうセッションの場がなくなるのは淋しい。痛手でもあります。しかし、人は色々なことを卒業し、乗り越えていかなければ先に進めない。


 今日は三月一日。桃の季節。卒業式の日です。それぞれの人の前途を祝福するかのように爽やかな快晴になった。

 もう会えないのは寂しいですが、Hさんと過ごした時間、たくさんの思い出は一生の宝物です。「人との出会い」や「絆」ということが本当に一番大事なもの…Hさんはそれを教えてくれた。従来僕はそういうことは寧ろ一種の綺麗ごとのように思っていたのです。そういういびつな僕が少しだけ真人間に近づけたのはあなたのおかげだ。


 本当にありがとう。そしてさようなら。優しい天使。


<了>

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