第27話 紫月美望の悲憤
明るすぎるくらいの蛍光灯に照らされ、ガタンゴトンと電車に揺れる。車窓から見える景色には、紫色の空が広がっている。
うるさい。レールと車輪が出すけたたましいほどの音が耳につく。こういうときは一度冷静になった方がいい。状況を整理するためにも、心を落ち着かせる必要がある。
一呼吸置き、横向きに設置された椅子に腰かける。
何かを求めるように、ぐるっと車内を見渡す。どうやらこの車両には俺しかいないらしい。丁度、授業が終わって帰宅する人間と、部活終了後に帰宅する人間との間の線なのだろう。多少、走行音は気になるものの、人がいないのならば落ち着きを取り戻すには十分だ。
それにしても、冬の電車は暖房が効いている。少しでも涼しくなればと、コートの襟元をパタパタと動かす。
「竜次が……俺を……」
竜次に殴られ、教室を飛び出したあと、俺は重たい足を何とか動かし、最寄り駅に到着。数分ほどホームのベンチで過ごしてから、到着した電車に乗って、今に至る。
振り返る。何故俺はあのような行動に出たのかと。
俺は特段矢野咲さんと仲がよかったわけではない。なのに。大切な友人である緑山と大志、そして竜次を傷つけてまで、なんで俺は彼女に協力しようとしているのだろうか。
あのときは、自分に夢を追いかけることの大切さを思い出させてくれたこと対する恩返しのような気持ちが、俺の身体を突き動かしたのだと思っていた。しかし今は、それが本当の理由ではないように思えてくる。では何故、俺は彼女に協力したのか。
ヒーローになりたかったから。
そんなガキの戯言のようなものが、答えなのだ。俺はずっとヒーローになりたかった。困っている人を助け、敵を倒す。そんな正義の味方への憧れ。それが、彼女を助けた理由なのだ。
一年前、俺は今まで外から見ることしかできなかった、非現実の世界へと足を踏み入れた。それまでは、ヒーローや怪物、宇宙人でさえ、所詮は脳内の出来事に過ぎなかった。それが今、妄想する力さえあれば、実現できるものとなったのだ。その結果、俺の中にあったヒーローになりたいという願望が爆発した。
その感情が、俺に囁く。今なら、理想のヒーローになれるのだと。
心の中で考えを整理していると、無機質なアナウンスが耳に入ってくる。どうやら、もう目的地へとついてしまったらしい。プシューと音を立て、扉が開くと同時に、外気が侵入し一気に体温が低下する。コートをしっかりと着直し、電車を降りる。
相変わらず寒い。特にここは無人駅ということもあり、つくりが簡素である。そのため、風を遮るような壁は一切なく、直に身体に当たってくる。
「さみぃ」
数時間前と同様の小言を口から漏らしながら、ポケットの中で自転車の鍵を探していると、背後から凛とした声が聞こえてくる。
「こんばんは」
声のした方へと視線を向けると、そこには見覚えのある少女の姿がある。紫月美望だ。
何故彼女がここにいるのだろう。一瞬そんな疑問が脳裏に浮かんだが、よくよく考えれば、ここは彼女の自宅の最寄り駅でもある。ここで鉢合わせになることは、特別おかしなことでもない。そう、おかしくはない。が、「なんでだよ」と心の中で漏らす程度には、今は会いたくなかった。
「うっす」
そんな心中を悟られぬよう、できるだけ普段通りの返答をする。しかし、そんな俺とは対照的に、彼女は普段の彼女とは違う、まるで別人のような佇まいと調子で、開口する。
「山上くん。あなたが今やっていることに、どのような意味があるの」
彼女から発せられた言葉の意味を理解する。同時に、胸が痛むのを感じる。
つい怖気づいてしまうほど、彼女声は冷たく、それでいて、とても鋭い。まるで、以前、彼女は書いていたラブコメ小説に出てくるヒロイン、常に冷静でクールなヒロイン。その話し方を模倣しているようだった。
「……あなたが言ったのよ。アカシックレコードで生み出し物は、偽物にすぎない。そんな偽物に意味なんてないって」
「それは……」
何か言いたい。言い返してやりたい。そんな感情はあるものの、言葉は続かない。以前俺が行った否定。その否定を、俺自身が否定すること、つまりは真逆の意見を持とうとすることは、容易ではない。
それでも、何とか過去の俺に対抗しようと言葉を振り絞る。
「だけど、今回の場合は別じゃないですか。今まで接続者は、絶対に叶えることのできない幻想、理想、空想を求めていた。でも彼女の夢は、それとは違う‼」
声を張り上げ、威嚇する。このままでは言い負かされてしまう。本能的にそう感じているからこそ、次第に言葉が強くなるのだ。
「矢野咲さんは、この現実世界でも達成することのできる夢を、アイドルという夢を叶えるために、アカシックレコードを使おうしただけなんですよっ‼ だから……だから彼女は……」
言葉が詰まる。俺の中にもまだ、この件に対する葛藤があるのだろうか。それを見透かしているような声で、紫月美望は言葉を紡ぐ。
「あなたにとって、アカシックレコードによって生まれたアイドルの矢野咲さんは、本物なの?」
彼女は俺をじっくりと見つめ、淡々とした言葉で問いかけてくる。困惑している俺を挑発するかのように、彼女は間を空けずに畳みかけてくる。
「あなたの願っていた本物は、あなたの求めていた世界は……こんなかたちで手に入ってしまうような、簡単なものなんですかっ?」
話し方が少しずつ、普段の彼女のものに戻っていくのが分かる。紫月さんとしても、いつまでもキャラクターを演じ続けるのは大変なのだろう。しゃべり方やしぐさを変えるということはそう容易いものではない。それでも彼女は、俺の考えを変えるために、このような行動をとっているのだ。
「俺の理想とする世界か……」
考える。俺にとっての理想の世界とは、一体何なのかと。もう俺には分らない。俺は何が欲しいのだろうか。
立花と初めて出会い、レコードの存在を知ったとき、俺は確かにそれを使って手に入れたものに価値はない。それを使って手に入れたものは本物ではない。そう考えていた。しかし、それは第三者である人間の意見に過ぎなかった。接続してしまった当事者からすれば、それは自分のすべてをかけてでも手に入れたかったものなのだ。自分を救うことのできる最後の手段だったかもしれない。自分が守りたいと思った存在である矢野咲さんのことを考えると、そんなことを考える。
確かに偽物かもしれない。でも、偽物だとしても、一時的だったとしても、そこには彼ら彼女らが望んだ世界が広がっているのである。果たしてそれを、俺たちの価値基準で、否定してしまってよかったのだろうか。
「俺たちのやってきたことは……本当に、正しかったんですかね……」
弱々しい声で、そう問いかける。彼女に答えを教えてもらいたいと、願いながら。
「私たちがやってきたことは、本当にアカシックレコードの世界を否定だけだったかしら?」
自分なりの答えを告げる前置きとしてなのか、彼女はそんな疑問を投げかけてくる。
「俺たちがやってきたことは、否定だけ」
「違う」
俺の言葉を遮るように、紫月さんは一言、声を荒げて叫ぶ。一呼吸おき、話を続ける。彼女の瞳は少しばかり、潤んでいるように見えた。
「私たちがやってきたことは、あの世界の否定だけじゃない。この世界の肯定もしてきたはずです。接続者の皆が、納得して帰ってこられるように!」
彼女の声がこだまする。
ふと空を見上げると、紫がかった雲の隙間からうっすらと光が漏れていた。
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