第17話 無限遠点のホメオスタシス

「今日は何ともなさそうでよかったよ」


 一二月九日午後四時一〇分。一通り授業を終え、担任である遠東が目の前に座る大志と話をしている。この男が、俺たちの時間を司っているとは、想像もつかない。


「いや、まあ色々あってさ」

「ふーん」


 立花の腕時計をしてから、脳内にアカシックレコードに関する情報が不意に浮かび上がってくるようになった。自分で考えずとも、このタイムリープという事象が、いつ頃上書きされてしまうかが、ぼんやりと頭に浮かんでくる。これが、彼女の言っていた、腕時計をつけることで得ることのできる、アカシックレコードを管理するための能力なのだろう。


 その情報によると、上書きまでの時間が残り三時間とのことだった。今までの傾向から考えるに、接続者はこの辺りのタイミングで何か仕かけてくる。普段ならば、そのとき彼とレコードとを切断すれば良い。ただ、今回は今までと状況が違う。何も起こさずとも、すでにこの世界が二〇二〇年へと変化している以上、このまま上書きされてしまえば、この時間軸のままこの世界は再生してしまう可能性が高い。そうなれば、俺は元居た世界線に戻ることが叶わず、立花は重傷を負い、紫月さんはその事実に苦しめられながら生きていくことになる。


 だから今回に関しては、彼の方からではなく、俺の方から話を持ち出す必要がある。そのタイミングを窺っていると、すでにタイムリミットが迫ってしまった。もうすぐにでも始めなければ間に合わない可能性だってある。多少会話が不自然になっても関係のないことだ。俺は致死に、その話題を持ち出した。


「なあ、大志。お前、タイムリープしているだろ?」


 少しの沈黙が俺と彼との間に流れた。聞こえなかったのだろうかと、俺がもう一度話しかけようとしたその瞬間だった。大志は顔色を変え、教室を飛びだした。竜次の言っていたことは本当であった。そう思いながら、俺は大志のあとを追う。




 彼の追跡が始まってから、五分が経った頃。数メートル先で大志は立ち止まる。そこは、最寄り駅の前、近くを通る道路をまたぐようにつくられた、中心が膨れ上がったアーチ型の橋だった。


「ねぇ、やーかー」


 大志は俺の方を向かず、薄暗い空を見ながら尋ねてくる。


「やーかーは、どうして映画製作同好会なんてやろうと思ったの?」


 そんな彼の問いに対し、すぐに答えを返せない。返さないではなく、返せない。俺が同好会を始めた理由。それはいってしまえば、自己満足だ。中学時代、俺は中和を中心としたグループで過去にも一度映画製作をしたことがあった。そして、それが未完成のまま自然消滅してしまったことが、心の中にずっと引っかかっていた。完成させることができなかったという自分だけの後悔の念を打ち消したい。そう思って、俺はこの映画製作同好会というものを始めたのだ。


 しかし、大志が求めているものは、果てしてはこのような答えであろうか。恐らく、違う。同好会という組織が発足した瞬間の俺の心情を尋ねているのではないはずだ。正確には、中和らとの映画製作を始めたとき、つまりは、俺が映画製作というものに挑戦しようとしたときの話を求めているのだ。


 考える。俺は何故、こんなことを始めたのか。


 彼の背中を見つめながら、自分の中を模索すると、それらしい解が一つだけ、自然と脳内に導き出された。


 特別になりたかったから。そう、俺は特別な存在になりたかった。だから、この映画製作という、何も残らない行為を、何年も何年も続けてきた。特別というのは別に特撮ヒーローやそれに変身する主人公といった、そういう非現実的なもののことではない。映画製作という行動自体が特別なことだと考えたのだ。小学生のとき、中学の中和グループの前身となる集まりで、俺は一本の映画を完成させた。そうした体験の中で、俺は周囲から変わっている、人とは違うとよく言われた。俺はその言葉に、幸福感を抱いたのだ。人とは違う、そう言われることがうれしくて、いつしか俺は映画をつくり上げることよりも、人から特別と言われることを重要視していた。


 解は出された。しかし、今その答えを彼に投げかけたところで、意味があるだろうか。俺と大志では考え方も、今まで生きてきた世界もまるで違う。俺はクラスの隅で生き、こいつは中心で生きてきた。想像も入ってはいるが、恐らくそこまで的を射ていない見解ではないだろう。そんな彼に、俺の話をしたところで、今の状況が一変するだろうか。恐らくしない。


 俺は彼の背中を見つめたまま、沈黙を貫く。すると、彼の方が口を開いた。


「俺はさ、映画の完成なんて、正直どうでもよかったんだ。確かに映画をつくれたら面白いと思うし、楽しいと思っていなかったわけじゃない。でもさ、それ以上に、皆と仲良くしていられる時間があることの方が、俺にとっては大切だった。だけど、ビッチとやーかーはそうじゃなかった。それよりも、映画を完成させることに固執していた。そうだよね?」


 彼からの問いに、俺はまた返すことができない。何故なら、図星だから。俺はメンバーとの関わりよりも、映画の完成を優先していた節がある。無言の肯定を、彼に向けた。


「……俺はさ、それが嫌だったんだ。映画をつくるのであれば、せめて皆が仲いいまま完成させたかったんだよ」


 彼の言葉で、俺の中にあった一つの疑問が解消された。何故今回の接続者は、この時間この瞬間にタイムリープしたのか。大志は、俺たちの関係が悪くならないようなかたちで、映画製作同好会の活動を終わらせたかったのだろう。


 俺も彼らとの関係を軽視し、映画製作を続けたことに後悔があった。その部分に関しては、大志の意見に賛成だ。しかし、だからといって、他に大切なものを失って得たものに価値などあるといえるだろうか。俺は、立花をという存在を失ったことで気付いた。何かを得るために何かを捨てることは、愚かなことだと。


 映画が未完成のまま、同好会は終了した。彼の言うように、様々な言い争いを行ったことで、メンバー間に溝が生まれていた。けれども、では大志のやっていることは正しいのだろうか。この世界線を移動するというやり方で、大切なものを失った者は一人もいないと言い切れるだろうか。答えは否である。


「確かに、俺は皆と分かり合うことを犠牲にしていた。……すまない」

「やーかー……」

「でもな、大志。このやりかたじゃ、今までの元の世界線で生きてきた皆の思いを踏みにじることになるんじゃないのか?」


 俺の言葉を受け取り、大志は頭を上げる。その様子を見て、俺は畳みかけるよう言葉を紡ぐ。


「現実はくそだ。何かを得るためには何かを捨てることを強いられる。その事実は変わらない。あんたの言う通り、確かに映画製作同好会が原因で、俺たちの関係がぎくしゃくしてしまった面もある。でもよ、皆それを乗り超えようとしていたじゃねぇか。あんたはそれを無視して、自分だけ過去に逃げるのか?」


 同好会が消滅したあとも、彼らは俺と関わろうとしてくれていた。俺には、大志もそうだったように見えていた。俺も同様に、彼らにできるだけ声をかけたつもりだ。勿論、世界を変えたい、過去を変えたいという気持ちは理解できる。ただ、思いを無駄にしてまで、過去に戻って関係を修復することは正しいだろうか。それには俺は共感できない。


 だから、彼の意見を否定する。今までもそうしてきたように。


「今のテメェの、負の感情しかないそんな状態じゃ、世界線なんて変えられやしねぇよ‼」


 俺の中の感情をすべて言葉に乗せ、全力で彼を否定する。これで、このタイムリープから世界は解放される。そう思っていた。しかし、それは希望的観測であった。


 大志はこちらを振り向き、その重たそうな口をゆっくりと開く。


「……やーかー。やーかーの言う思いなんて、皆の中にあったかな? やーかーはさっき、できる限り俺たちに声をかけようとしたって言ったよね。でもさ、少なくとも俺には、皆がそうしようとしていたようには見えなかった」

「それは……」

「もう嘘はやめよう」


 彼のその言葉が放った瞬間だった。一つの銃声が街中に響き渡る。と同時に、大志がさっきまで立っていた道の上に倒れ込む。胸のあたりからは真っ赤な血が流れだしている。


 そんな大志の後ろから、一人の男が姿を現す。


「何でだよっ! 遠東おおおぉぉぉっ……!」


 そこには、こちらに銃口を向けた二年二組の担任、遠東の姿があった。


「……先生、あんたはそこで一体何をしているんですか?」


 理解が追い付かなかった。何故担任である遠東が、生徒である大志のことを撃ち抜くのか。何故俺に銃口を向けるのか。


「……ずっと夢だったのさ。俺の力で世界を変えることが! 俺も驚きだよ。まさか生徒がタイムリープマシンを持っていたなんて。本当に世界というものは面白い。この装置さえあれば、この世の政治も、社会も、支配構造さえも、この俺が手にすることができる!」


 言いながら、遠東は大志から、アルミニウムでできた立方体の箱を奪い取る。それは、俺が映画製作同行の奴らと考えたタイムリープマシン、アーティフィカル・クロノスそのものであった。その箱はクロノメーターという航海用のぜんまい時計をモデルにしているため、結婚指輪の箱のように上下で開くようになっている。開くと、その中にある赤色のLEDが、アラビア数字で現在時刻を表示するようになっている。


 俺と遠東先生は、単なる生徒と教師の関係にすぎない。だから、彼のすべてを知っているなんて言うつもりはない。ただ、少なくとも自分の生徒を撃ち殺すような人間ではなかったはずだ。これではまるで、俺と大志が話していたように、本当のマッドサイエンティストである。


 大志との会話?


 マッドサイエンティスト?


 最悪な考えが俺の脳内に浮かぶ。俺と大志は当時、遠東先生がマッドサイエンティストであるなどと、意味の分からない空想を繰り広げていた。アカシックレコードは、接続者の空想を具現化し、現実に落とし込む力を持つ。レコードに接続した際に、その会話を思い出したのであるとすれば。彼のそのくだらない空想を現実にすることも可能性になる。


「俺は見たのさ、一昨日、いや正確には今日の夜、毛利がこの装置を使うのを。その瞬間、世界線は今いるこの世界線へと移動した」


 俺たちがつくっていた映画の中で、主人公ではない一般人の中にも、タイムリープの前後で記憶を保持できている人間が、少数だがいる設定になっていた。大志がその設定のまま、アカシックレコードを操作したのであれば、この男にその設定が付随してしまうという事態も起こり得る。


「お前も生きていたら面倒くさそうだな」


 考える俺に向かって、遠東がそう口にする。と同時に、トリガーが引かれる。


「やめろおおおぉぉぉ!」


 死を覚悟したその瞬間。叫び声とともに、一人の男が遠東の背後から遠東に体当たりをかます。その影響で、遠東はマシンを手放す。男の正体は竜次であった。


 何もできずに立ち尽くしていると、竜次はそのマシンを拾い、俺のもとへ駆けてくる。すると、その様子を見た遠東が起き上がり、銃口を今度は竜次に向け、発砲。竜次の足を弾丸がかすめ、俺の前で倒れて込む。それでも彼は諦めずに叫ぶ。


「山上氏! あんたが世界線を変えろ! 毛利氏と立花氏を救え!」


 血を流しながら、竜次は俺にマシンを渡してくる。俺はそれを受け取らないわけにはいかない。


 ふざけんな。


こんなの展開納得いくか。


絶対に救ってみせる。


立花も。


紫月も。


竜次も。


大志も。


この俺が!


 俺はアーティフィカル・クロノスの形状を確認する。俺の想定していたものと大差ない。箱の中に、歯車の形状を模した部品が付いており、その上に現在時刻が表示されている。これを回せば、世界線を変えることができる。その設定を思い出し、俺は瞬時に歯車を回す。


「世界よ……」


 俺の手によって回された歯車が、速度を上げて回転していく。


「世界よ……変われ……」


 さらに、マシン全体が白色に光りだす。


「変われよ……変われよおおおぉぉぉ!!!!」


 マシンから発せられた電撃が、辺り一面を包み込んだ。

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