第三章 追憶のタイムリープ
第13話 時間跳躍のプロローグ
暑いなんてもんじゃない。
八月一八日。正午。休みなどほとんどなかった夏休みが、残り一週間ほどしかないというのに、俺はいつもの教室で夏季補習を受けさせられている。うちの高校には夏休みの補習が二種類ある。一つは七月二六にから三〇日にかけて行われる前期補習。もう一つは八月一七にから二四日まで行われる予定の後期補習だ。前期は全員強制参加、後期は自由参加。つまり、別に無理してここにいる必要はない。ただ、強制されなければ勉強できないのもまた事実。そのため、こうして暑い中、現代文の補習をぼんやりと眺めているというわけだ。
一二時五分。三限の補習の終わりを告げるチャイムが鳴る。と同時に教員が「はいじゃあ号令」と週番に指示する。補習は三限まで。ようやく帰れる。
俺は早急に教科書ノートを鞄に詰め込み、廊下へ向かう。
「あれ、山上氏じゃん」
出ると、同じタイミングで隣のクラスから竜次が現れた。
「おっ、あんたも補習に出ているなんて珍しいな」
「いや、流石にやらないとあかんやろ。家や自習室じゃやる気も起きないし」
「確かにな」
俺たちはもう高校三年。もうすぐ受験だ。志望校もロクに決まっていない今、できるだけ偏差値を上げておかなければならない。
深々とため息をついていると、竜次の後ろからもう一人、見覚えのある男が出てくる。
「やーかーじゃん」
馴れ馴れしくそう話しかけてくるのは、毛利大志(もうりたいし)。竜次と同様、高校一年からの友人である。ちなみに俺の友人の中では一、二を争うほどのイケメンである。
「大志もいるのか。なんだ、皆意外と補習出ているんだな」
「やーかーもちゃんと補習出ているんだね」
「まあな」
そんな会話をしていると、大志が俺の後ろを見つめ始める。
「セコビッチ!」
大志がそう呼びかけるのと同時に振り向く。するとそこには三組から出てくる岩波映一(いわなみえいいち)の姿があった。岩波は大志の声に気付き、こちらへ向かってくる。ちなみにセコビッチというのは、岩波本人が名付けた愛称である。
「どうしたん? 皆さんお揃いで。また映画でも撮るのか!」
岩波の言葉に、つい身体が反応する。映画、懐かしい。一年ほど前、俺と竜次、大志と岩波、そしてここにはいないもう一人を加え、計五人で映画製作同好会なる組織を結成していた。
結局映画は完成しなかった上に、映画製作同好会の設立自体も学校側からの認可が下りなかったため、公認な組織にすらならなかったのだが。
「いや、たまたまここに集まっただけやで」
岩波の問いに対し、竜次が返答する。
「どうする? 飯でも行くか?」
どうせ夏休みは何もできなかったのだ。一度くらいは友人らと飯を食べに行っても、怒られはしないだろう。そんな考えから、俺の方から彼らを誘ってみる。
「こっち、これから塾なんよ」
「俺も、そんな感じ」
しかし、皆忙しいらしい。竜次に大志と、立て続けに断られてしまう。
「俺も金持ってないわ」
岩波も残念ながら金欠らしい。仕方がない。こういうときもある。
つい長々と会話を続けていると、それを遮るかのように、聞き覚えのある女の声が耳に入る。
「山上くん!」
声のした方を見ると案の定、階段の傍に立花と紫月さんが立っていた。そういえばこちらもお久しぶりである。文化祭の一件以降、意外にも絡むことがそれなりにあったものの、夏休みに入ってからはあまり関わりがなかった。彼女たちも同じように受験生である。三年の夏休みにどこかに行ったり、遊んだりしている方が珍しいであろう。
「今、少し良いかな?」
立花が声の大きさを少しばかり小さくして、そう口にする。普段は良い意味でも悪い意味でも賑やかな彼女が、わざわざそうするということは、あまり他人に聞かれたくない話があるのではないだろうか。恐らくアカシックレコード関係。
俺は竜次らに別れを告げ、彼女らの方へ向かった。
「お二人そろって俺を訪ねてくるということは、アカシックレコード関係ですかね?」
「ご名答!」
俺の真面目なトーンでの質問に対し、立花が明るく答える。
「また、新しい接続者ですか?」
「その前に、場所を変えようか」
と、紫月さんが割って入る。確かにこれではまるで先ほどの配慮の意味がない。俺は階段を降りていく彼女たちのあとを追った。
玄関まで来ると、二人は歩みを止める。まだ補習が終わってから十分も経っていない。皆自分のクラスでワイワイガヤガヤやっているらしく、玄関にはほとんど人気がない。
入り口部分につくられたガラス張りのドアと壁から日差しが入ってきており、かなり暑い。暖かい空気は高いところへ上っていくというが、実際はどこでもあまり変わらない。
そんなことを考えていると、紫月さんが口を開いた。
「今回の件、まだ接続者は分かっていないんです」
「なるほど。というかいつも接続者っていうのはどうやって判断しているんですか?」
よくよく考えると、俺は彼女たちの仕事のプロセスをほとんど知らない。人をアカシックレコードから解放することに関しては、二回の経験と立花の話からなんとなく理解したつもりでいるが、その前提情報の調べ方というものは、まるで知らない。
「私の能力だよ!」
そう話したのは立花だった。
「私は、二人とは違ってこの世界から直接お願いされた選ばれた人間なの。二人は私を経由しての参加だったけど、私はそうじゃない。だから、この仕事に就いたときにアカシックレコードの接続者を感知する力と、接続者の操作がこっちの世界に上書きされまでの時間を把握する力、そしてアカシックレコード内になら何でもつくれるアーユルヴェーダ、火大・アグニの力を貰えたんだよね」
久しぶりの非現実に頭が追い付かないながらも、何とか理解する。
「はぁ、ちなみに貰うっていうのは誰から?」
「実はこの仕事をしている人は、私たち以外にもいっぱいいるの。私たちが担当しているのが、この街周辺っていうだけで、接続者になる可能性のある人はどこにでもいるからね。そして、その全体を管理している人たちがいて、これらはその彼らから」
なるほど。それで今までの接続者は二人とも本校の人間だったということか。
「ちなみに、接続者っていうのはどういった感じで判明するんですか」
「うーん、うまく説明するのは難しいんだけど、パッと人を見たときに、その人がどの程度アカシックレコードと干渉しやすい状態にあるかが分かるんだよね」
「じゃあ、この学校にいる人を片っ端から見ていけば、絞り込めるというわけか」
「いや、その必要はもうないかな。実は、さっき君に会いに行ったときに、可能性のある子が三人見つかったの」
「三人?」
「ほら、さっき君と話していた三人だよ」
「え?」
つい間抜けな声を出してしまった。立花が言っているのはつまり、矢車、毛利、岩波の三人の中に接続者がいるということだ。おいおいまじかよ。
「どのように世界を上書きするかもまだ分かっていないんですけどね」
そう紫月さんが口にした瞬間のことだった。頭、というか脳に電気が流れるかのような感覚に陥った。と同時に激痛が走る。その痛みに耐えながら、二人の方を見る。すると、彼女たちにも同様のことが起こっているのか、二人とも両手で頭を押さえている。
数秒ほどして、身体が宙に浮くような感じがする。さらには視界が真っ白に染まり、俺は意識を失ってしまう。
「――和也‼」
どのくらいの時間が経過したのだろうか。誰かの声が聞こえてくる。
目を開けると、そこには中和祥吉(なかわしょうきち)の姿があった。小学校からの友人であり、現在も同じ高校に通う、いわゆる幼馴染みのような存在である。ちなみ、この男も映画製作同好会の一員だった。それにしても、何故この男がいるのだろうか。ぐるっと辺りを見回す。どうやらここは、高校の最寄り駅の周辺らしい。さらに空は灰色に染まっている。おかしい。先ほどまで真っ青な空の広がった、夏の校舎にいたはずだ。にも関わらず、寒い。
「びっくりしたわ。駅出たら急に倒れるから」
中和が何か言っているようだが、まるで頭に入ってこない。
「なぁ、中和……今日は何日だ……?」
「ん? なんだよ和也。中二病か?」
「いいからっ‼ 頼む」
つい声を荒げてしまう。中和はそれに気圧されたのか、スマートフォンを取り出し日付を確認し始める。
「一二月八日だよ」
は? 何を言っているのだろうかとも思ったが、彼からするとおかしいのはきっと俺の方なのだろう。中和が冗談で言っているとも思えない。しかし、信じることも難しい。そんな考えが俺の身体を突き動かす。立ち上がり、中和のスマートフォンを覗き込む。
「二〇二〇年……」
どうやら俺は九か月前の過去にいるらしい。どうなっているのだろうか。
「立花さん……!」
ふと、彼女の名前呼んでしまう。自然と、彼女なら助けになってくれると考えてしまっているのだろう。
「立花さんって、この前事故に遭った子だっけか?」
「へ?」
「いや、さっき立花って言ったからさ。一か月くらい前に学校の前で事故に遭った子だろ?」
創作のような話だな。過去に戻ってしまい、そこで知り合いが事故に遭っていると来た。これではまるで同好会でつくっていたタイムリープ映画みたいではないか。
――ん?
先ほど、立花は言っていた。同好会の三人の中に接続者がいると。もしも操作の内容が、同好会でつくった映画を模倣したものだとしたら。
ようやく気付く。俺はアカシックレコードの力で、タイムリープしているのだと。
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