第30話「森の異変」
初日の大森林調査を終えた俺たちは日が沈む前に魔境を脱して馬車に戻ってきた。今後、更に森の奥へと踏み入るならその中での野営も覚悟しなければならないが、安全な森の外で休めるのならばそれに越したことはない。
「アラン、おなかすいた……」
「ちょっと待ってろ」
とはいえ、俺も夕食の前にやっておきたいことがある。ディオナには申し訳ないが、もう少し待ってもらう。
「何書いてるんだ?」
いつまで経っても出てこない食事に痺れを切らしてディオナが手元を覗き込んでくる。俺はペンを置いて、書きかけのそれを彼女に見せた。
「報告書だよ。今日一日で何が見つかったか覚えてるうちに書いとかないとならん」
「ほ、報告書……」
それを聞いたディオナは表情を歪める。今でこそ共通語の読み書きもスムーズにこなせる彼女だが、こういった文章を記述するようなことにはいまだに苦手意識があるようだ。これまでにも何度か報告書の提出が定められている依頼を受けたことはあるのだが、そのたびに奇妙な悲鳴を上げながら苦労して仕上げていた。
「流石に今回は書かないわけにはいかないだろ?」
何せ依頼が依頼、ことがことだ。読むのがエイリアルだろうからある程度文章にも気を遣わなければならない。そんなわけでこの報告書ばかりはディオナに任せるというのも酷な話だろうと、俺が引き受けたのだ。
記すのはこの森で見つけたことだけ、といえば簡単かもしれない。例えば
「でも、今日はそんなに変わったことはなかったんじゃないのか?」
「そうでもないさ。まだ憶測の域を過ぎないとはいえ、少し引っかかることはある」
このあたりは初めて大森林へやってきたディオナには分かりにくいところだろう。例えば、
「とりあえず、明日はもっと奥まで入るからな。しっかり休んでおけよ」
「だったら肉! お肉食べたい!」
「はいはい」
このまま放っておいたら報告書どころではなさそうだ。俺は勢いよく訴えるディオナに呆れつつ、重い腰を上げて夕食の準備に取り掛かった。
━━━━━
二日目。今回は前日の調査を元に仮説を立てつつ調査を行う。更に大森林の中層までがっつりと足を伸ばし、より詳しい状況を把握するのが目標だ。
「どりゃああああっ!」
金棒が振り下ろされ、四本腕の大猿が叩き潰される。返り血を浴びたディオナが立ち上がり、勝利の歓声をあげる。
大森林中層に棲む
「お疲れ、ディオナ」
「ありがとう!」
ディオナに水筒を投げ渡すと、早速喉を鳴らして勢いよく飲む。大森林はいくつも川が流れていて水も綺麗だから困らないものの、あっという間に飲み干されてしまうのは少し大変だ。
「……」
一息ついたディオナは棍棒を地面に突き立てて、無惨に顔面を潰された
「どうかしたか?」
「コイツ、見たことある気がする」
「うん?」
ディオナは確証の持てない様子で眉を顰めている。
「里にはいなかった。けど、見覚えがある」
「それは……。ディオナは大森林に入るのは初めてなんだろう?」
「そのはずだけど」
「どこで見たんだ?」
ディオナは何か、重要なことを思い出そうとしている。そう俺の直感が訴えかけてきた。周囲の安全を確保し、一度休憩も兼ねて立ち止まる。ディオナは眉間に皺を作って何かを考えているようだった。
「うーん」
しかし、なかなか答えが出てこない。結局、彼女は諦めてしまったようだ。初めて見るものでも既視感を抱くことはあるからと片付けてしまった。
「こんな奴、一度見たら忘れないと思うんだがなぁ」
地面に倒れる
「ごめんね」
「いや、いいさ。それよりもう少し奥へ進もう」
俺はディオナから受け取った水筒に僅かに残っていた水を飲み干し、立ち上がる。川で水を補給しつつ、流れを遡って歩くつもりだ。
どうにも、遭遇する魔獣の様子が少しおかしい。こちらへ襲いかかってくるものが居ないわけではないが、むしろ多くは何かから逃げているような、そんな雰囲気を感じるのだ。
奥に何か異変があるのならば、それを見つけなければならない。
「――ッ!」
歩き出そうとしたその時、ディオナがぴくりと動く。鋭い目つきで周囲を見渡し、何かを探っているようだった。
「どうした?」
「何か、変」
彼女は感覚を研ぎ澄ませながら言う。俺には何も感じ取れないが、なにか違和感を抱いたようだ。俺はエイリアルから授けられた槍を構え、いつでも動けるように準備する。
その時だった。
「なっ!? 地震!?」
「アラン、掴まって!」
突如、足元が大きく揺れる。バランスを崩し転倒しそうになる俺をディオナが支えてくれた。咄嗟に彼女の胸に体を預けると、彼女が腕を背中に回す。二人で寄り添うようにしてしゃがみ込み、身を守る。
隠れていた魔獣たちが一斉に動き出し、周囲は騒然となった。
「アラン!?」
「落ち着け。揺れが収まるまで動くな。襲われることはない」
地の底から響くような重低音に耐えながら、お互いの腕にしがみつく。魔獣たちの叫び声が遠のき、周囲が静かになったころ、ようやく揺れも収まった。
「大丈夫か?」
「う、うん」
緊張が解け、よろよろと離れる。地面に腰を下ろし、しばし放心する。ディオナも流石にこれには驚いたようで、口を半開きにして茫然としていた。
「さっきのは何だったんだ」
「地震だろうが、珍しいな」
アルクシエラ領で地震というのは滅多にないことだ。一瞬、魔境なら珍しくないのかとも思ったが、そう言うわけでもないはずだ。
「本当に地震なのかな」
ディオナは油断なく周囲を見張りながら、そんな事をこぼした。
「何か引っ掛かるのか?」
「地震の前に、嫌な感じがした。ええと、こっちの方」
嫌な感じというのが何を示すのかは分からない。
けれど、彼女は明確に一方向を指さした。
それは――大森林の最深層へ向かう方角だった。
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