第26話「おもいやり」
大森林遠征の準備が整い出発の段となったのは、依頼受注の日から二週間ほどが経ったあとのことだった。危険が予測される上に守秘義務も課されている厄介な依頼ということもあり、組合の全面的なバックアップを受けてなお、かなりの時間を要してしまった。
それに、ここまで時間がかかったのには他にもいくつか訳がある。一つは大森林の方で積もった雪が溶けるのを待つ必要があったこと。そしてもう一つ、重要なものが――。
「ディオナ、義手の調子はどうだ?」
「ばっちり!」
ディオナが真新しい黒鉄の戦闘義手を動かして胸を張る。
ユガに頼んで急ピッチで新しい義手を作ってもらっていたのだ。これに時間を掛けたというのが、結局のところ一番大きな理由だろう。
ディオナの右腕の代わりとなる新たな戦闘義手は、彼女の体格に合わせた大きなものだ。ぎっちりと中身の詰まった金属塊で、重量はそれだけで俺一人分あるという。そんなものを軽々と扱えているのだから、オーガというのはつくづく人間から乖離している。
「使い方も覚えたか?」
「覚えた! 大丈夫! ……たぶん」
「まあ、使いながら覚えていけばいい。大森林までは丸一日あるしな」
この戦闘義手、ただの金属製というわけではない。ユガが金属細工や機械工作に詳しいドワーフ鍛治師の仲間に協力を呼びかけて作り上げた、芸術品のような一点物なのだ。
腕の内側にレバーが付いていたり、スイッチが並んでいたり、なかなか物々しい風貌になっている。製作中からディオナはユガたちドワーフに取り囲まれて、その使い方を頭に叩き込まれていた。その甲斐あって、彼女は昨日初めて装着したこの義手を、すでにある程度扱えるようになっていた。
「あとは……武器も大丈夫そうだな」
新調したのは義手だけではない。せっかく組合からも結構な額の補助金が出るのだからと、彼女の三級昇格祝いも兼ねて武器と防具も更新した。
彼女が持つのは相変わらず重量のとんでもない総金属製の巨大棍棒だが、より重たく頑丈な魔練鋼というお高い金属に変わっている。普通は砦や城壁なんかに使われるような頑丈なだけが取り柄の素材だが、彼女はそれを軽々と扱っていた。
「おっぱいもすっきりした!」
「そういうことは言わんでいい」
ついでに、防具もサイズが合って動きやすそうだ。
あまりにも成長速度が著しかったため、なかなか身体に合わせて胸当てなんかを更新することができなかったのだ。今まではベルトを取り替えたりして騙し騙し使っていたのだが、この機会に採寸からしっかりとやってもらって三級でも恥ずかしくないような武装を揃えた。
新しい戦闘義手に、新しい防具、そして新しい武器。全てを揃えたディオナは出発の前にも関わらず不安など一切なさそうな笑顔を浮かべている。
「アラン、馬車の準備ができたわよ」
「助かる。こっちも諸々終わったよ」
傭兵組合の裏で最後の武器点検を行なっていると、額に汗を滲ませたリリがやってくる。彼女は俺たちが大森林へ向かうための足として使う馬車に荷物を積み込む手伝いをしてくれていた。
「わざわざすまんな。受付嬢は事務職だろうに」
「この程度肉体労働にもならないわよ。獣人族舐めるな」
確かにリリのような猫獣人は人間族よりも力が強いとはいえ、それでも一週間分の食料や救急物資を運び込むのは骨が折れるだろう。秘匿依頼ということもあってなかなか人手が足りず、こんなところまで駆り出してしまうのは気が引けた。
「そうですよ。これも組合職員の業務の一環ですから」
そう言うのは、細長い木箱を軽々と抱えたユリアだった。彼女もハーフエルフのくせに、武装受付嬢をしているだけあって腕っぷしが強い。しかし、彼女の持つ木箱に心当たりがなく、俺は首を傾げた。
「荷物はもう積み終えたんじゃないのか?」
「ええ。そうだったんですが、エイリアル様から“差し入れ”が届きました」
「あんまり受け取りたくないんだが……」
「不敬罪で斬首されても良いのなら」
「冗談だよ」
そう言いつつ、気が進まないのは本当だ。この依頼を持ち込んできた張本人、しかも広大なアルクシエラ領を治める若き女当主からの“差し入れ”など、それだけで厄介極まりない。
とはいえ受け取らないわけにもいかないため、ありがたくユリアから箱を貰う。
「ここで開けても?」
「どうぞ」
隙間なく木板の打ち付けられた頑丈な箱は鉄で補強され、俺の身長ほどの長さがある。これだけで随分な値段がしそうな、品質の良い箱だ。四箇所の留め具を外し、蓋を開けると、柔らかな布が入っていた。
「これは……」
布を剥ぎ取り、その下に納められているものを見る。
それは、一本の立派な槍だった。柄にも精緻な銀細工が施された、鋭い刃を持つ槍だ。恐ろしいほど俺の使っている槍と寸分違わぬ長さと重さで、手に吸い付くように馴染む。いつからこんなものを用意していたのか知らないが、どう考えてもこれはドワーフの名工が心血を注いで作り上げた傑作だ。
「いいのか、こんなの貰って」
「これ一本で領地の未来が買えるなら安いものだと仰っていましたよ」
「急に重たく感じてきたな……」
込められた期待が非常に重たいが、それでも受け取らないという選択肢はない。
俺がずっと使い続けてきた、ユガを値切り倒して買った古槍とは品質が雲泥の差なのだ。これがあれば、大森林の魔獣にもある程度余裕を持って対処できるだろう。
貴族らしい実用性を捨てた華美な装飾でゴテゴテとした置き物にもならないような槍ではなく、実戦を第一に考えた質実剛健な作りの中にも機能的な美しさの見える業物であるという点も、あの貴族様の得意げな顔が思い浮かんで仕方ない。
「よし、ディオナ。そろそろ行くか」
荷物が揃い、俺の武器も意外な形で新調された。もはや完璧以上の準備が整った。
ディオナは早速馬車の荷台に乗り込み、いつでもいけると手を振る。俺も御者台に登り、行きと戻りを共にする馬に挨拶をする。
「お気を付けて。何よりもまず、自身の命を最優先に」
「何か見つけたときは、逃げなさい。あなた達がその情報を持ち帰れば、エイリアル様も総力を挙げて対策に乗り出せるんだから」
組合の二人が見送りについてくれる。あまり人に知られてはいけない任務ということで、関係者も最小限だ。しかし、彼女達はこれまでと同じように、真剣な表情で激励の言葉を送ってくれた。
「十年も三級傭兵やって来てるんだ。こんなところで死ぬ気はないよ」
「アランはワタシが守るからな! リリとユリアは安心して待ってて!」
受付嬢とは過酷な仕事だ。どれほど情報を集め、忠告し、無事を願っていても、送り出した者の中には少なからずもう不帰の者がいる。責任を求められないとしても、その事実を彼女たちはいくつも積み重ねて来ている。だから、どんなに簡単な依頼であっても、引き受けた傭兵には真剣な言葉をかけるのだ。
だから、俺たちもそれに応えなければならない。依頼を受けた以上、それを遂行する。そして、必ず戻ってくる。それがプロとしての矜持だ。
「それじゃ、行ってくる」
手綱を振り、馬を歩かせる。ギシギシと軋みをあげながら、荷車がゆっくりと動き出した。まだ太陽が城壁の上にも出ていない薄明の町を発つ。俺たちが向かうのは、帝国との境に広がる広い大森林だ。
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