第23話「気さくな貴族」
なぜこの人がこんなところにいるんだ。
俺は甲冑の騎士たちを率いる若く美しい女貴族の姿を見て動けずにいた。
彼女こそがこの町の頂点に立つアルクシエラ辺境伯家の現当主、エイリアル・デュセア・ボルトーラ・ヴァン・アルクシエラだ。本来ならば町の中心にある貴族街の中でも最も高いところにある城塞に引きこもっているような、重要人物中の重要人物。罷り間違っても、こんな場末の汚らしい乱暴者しかいないような傭兵組合に顔を出していい人物ではない。
というかそもそも、この方は俺たちを呼び出したんじゃないのか。なんで向こうが来てるんだ。
「あ、アルクシエラ辺境伯様――」
俺は慌てて最大限の敬意を示す姿勢で跪き、彼女に目を合わせないようにしてその名を口にする。一瞬、周囲の騎士から放たれる殺気が尖ったような気がしたが、万全の礼を尽くしたことでギリギリ許された。
しかし――。
「私のことはエイリアルと呼びなさい」
「そ、そのようなご無礼を働くわけには……」
「私が呼べと言っているんだ。誰が非礼と咎めるのか」
流れる金髪の下から猛禽のような鋭い眼がこちらを射抜く。
彼女の言葉に逆らっても無礼、逆らわずその名を呼んでも無礼。なんだこのどちらにも死が待ち受けている究極の選択は。しかも、いつまでも黙っていれば彼女のことを無視したとなって、これもまた死あるのみだ。
「…………承知いたしました。エイリアル様」
「ふん、まあ及第点と言ったところか」
結局、本人の意向に沿うのが一番マシだろうという予測のもと、彼女の呼び方を決める。取り巻きの騎士達の中には一瞬ぴくりと動いた者もいたが、さいわい俺の首は繋がったままだ。
「エイリアル様。ようこそおいでくださいました。ですが、事前に来訪の予定などは入っていなかったように思いますが……」
組合内部が静まり返るなか、リリが覚悟を決めて町の当主の前へ出る。彼女達受付嬢は、一通りの礼儀も弁えている。しかし、相手が王族やそれに連なるような大貴族であるといった想定まではしていないはずだ。
彼女は恭しく一礼するが、それは自分よりも目上の者に対するもの。最敬礼ではない。
「失礼。待ちきれなくなっただけだ。たった半年で三級に登り詰めた隻腕のオーガを一目見たくてね」
エイリアルはそんなリリの失敗を指摘することもなく、むしろ申し訳なさそうに眉を下げた。はるか彼方に住む高貴な地位の者にも関わらず、ずいぶんと俗っぽい。彼女はいまだにオロオロとしているディオナの元へ向かい、手を差し伸べた。
「初めまして。私はエイリアル・デュセア・ボルトーラ・ヴァン・アルクシエラ。気軽にエイリアルと呼んでくれ」
「あ、あわわ。ディオナ、で、ですっ!」
混乱極まったディオナは、エイリアルの手を取ってしまう。当然、騎士達の殺気が爆発するのだが、それに気付く様子もない。しかもエイリアルは嬉しそうに目を細め、彼女の手を握り返しているのだから、始末に追えない。
本当にこの女が俺たちの住む町の主人なのか、少し心配になってきた。
「表に馬車を用意している。詳しい話は、私の館で話そう」
「あわわっ!」
エイリアルはディオナの手を握ったまま、ドアの方へと向かっていく。彼女達を取り囲んでいた傭兵達が、まるで海が割れるかのように左右の壁へ退いていった。
「アランも来なさい」
「は、はい……」
ちらりとこちらを一瞥し、一言。それに従わないわけにはいかなかった。
「お、お気を付けて。あなたがたの無事と成功をお祈りしています……。ほんとに」
去り際、リリのそんな声が聞こえたような気がした。
「突然押しかけてしまって、すまないね」
「い、いえ……」
エイリアルが用意した馬車は、当然そこいらの乗合馬車のようなボロではない。屋根付きの箱馬車で、六頭の毛並みの良い馬が牽く、真っ白なものだった。立派で重厚感のある大きな馬車で、おそらく要人警護もこなせるだけの設備を備えているのだろう。
内装も馬車とは思えないくらいの豪華さで、うちのボロアパートの方が狭いくらいだ。
そして何よりの問題は、なぜかそこにエイリアル本人も乗り込んできていることだった。
「あの、どうしてこちらに?」
「君は私に歩けというのか?」
「そうではないですけど……」
早速侍女が淹れた紅茶を嗜むエイリアルにおずおずと手を挙げて尋ねると、逆に問いを投げられた。そりゃあ、彼女ほどの者が地べたを歩くはずもないが。
「馬車を二つも用意するのは人も時間もかかって手間だろう。それとも何だ、君たちが私を殺すと?」
「そんな滅相もない!」
そんなことをする素振りでも見せたら、その瞬間騎士が飛び込んできて俺の首を刎ねるだろう。それにしても、この女性はずいぶんと肝が据わっている。そうでなくとも、むさ苦しい傭兵なんかと同じ空間にいるのは苦痛だという貴族は山ほどいるだろうに。
「まあ、君たちが緊張してしまうのは無理もない。だから本題に入る前に、少し打ち解けようと思ってね」
そう言って、エイリアルは俺たちにも紅茶と茶菓子を勧めてきた。それを無碍にするのも無礼だと思い、一口口をつける。
「……うまい」
「それは良かった。大陸東方の仙国から取り寄せた舶来品でね。とっておきなんだ」
「そんな貴重なものを頂けるとは。勿体無いですね」
「君たちにはそれだけの働きを期待しているということさ」
アイスブレイクだと言っていたはずなのに、逆に緊張してきた。これ一杯で船が買えるような貴重品を飲ませておいて、何を依頼してくるつもりなんだ。
「甘いお菓子だ!」
「おい、ディオナ!」
俺の隣で氷のように固まっていたディオナが、茶菓子を見つけて手を伸ばす。突然何もかもが変わりすぎて、正常な判断ができていない。彼女は皿に載った綺麗なチョコレート菓子をむんずと掴むと口に運ぶ。そして、その甘みに酔いしれるように頬に手を当てた。
「おいしい!」
「それは良かった」
冷や汗の止まらない俺を置いて、エイリアルは嬉しそうに笑う。
……薄々感じていたが、やはり彼女は辺境伯とは思えないほどフランクだ。俺たち平民に対してここまで分け隔てなく接してくるのは、むしろ違和感を覚えるほど奇妙なことだ。これが彼女の素なのか、それとも何か企んでのことなのか。
「安心してくれ。二人がこちらに危害でも加えない限り、不敬罪で首を刎ねるようなことはしない」
「そ、そうですか」
俺の頭の中を覗き込んだかのように、エイリアルは的確に言葉を放つ。本人にそこまで言われてしまえば、もうこちらも腹を括るしかなかった。
「これは館に着くまでの雑談だが……。ディオナの右腕は本当に義手なんだな」
「うん。ユガが作ってくれたんだ」
エイリアルの興味はやはりディオナの義手にあるようで、彼女は黒鉄の戦闘義手に顔を近づける。甘いお菓子をもらったことですっかり油断してしまったディオナは、元気に頷いて自慢げに肘を曲げて見せた。
「よくできているな。その職人は良い腕をしている」
「何回もワタシが大きくなるのに合わせて作り変えてくれたし、メンテナンスもしてくれる。ユガはいい人だよ」
笑顔で語るディオナに、エイリアルは頷きながら聞き入る。
「しかし、オーガ族は強力な再生能力を持つというが」
彼女の顔に疑問が浮かぶ。
「そのはずなんですが、何故か腕だけは生えてこないのです。おそらくは、この腕を失った時の対処が不味かったのではないかと考えていますが」
「ふむ……」
ディオナは落石事故で腕を失った。しかしその時の処置というのは、ただ包帯を巻いただけというものだ。しかも、再生能力の源となる肉もたいして食べられず、そのまま傷口が塞がる程度にしか回復しなかった。おそらくはそのせいで、彼女の腕は再生する機会を失ってしまったのだろう。
しかし、俺がそんな考えを語ると、エイリアルは怪訝な顔をする。
「オーガの生命力はたとえ首ひとつとなっても数日生きながらえるほどと聞く。本当に、それだけが理由なのだろうかね」
「それは、オーガの噂に尾鰭がついた話では?」
「……そうかもしれないね」
オーガはとにかく、他種族との関わりの乏しい種族だ。秘境と呼ばれるような山奥などに隠れ住み、同族だけの小さな里でひっそりと暮らしている。だからこそ、俺たち人間族などは、彼らのことについて時折曲解したり誇大したりした話をまことしやかに囁く。
ディオナのツノを見たある傭兵が、それを砕いて粉にしたものが万病に効く霊薬となるなどと言って金を出してきたこともあるほどだ。当然、そのような力はないだろうし、ディオナもきっぱりと否定していたが。
「すまないね。私もオーガ族を見ることはあまりないんだ」
「大丈夫。慣れてるから」
そんなふうに突飛な噂ばかりが一人歩きしているせいで、ディオナもすっかり慣れてしまった。彼女は遠慮なくチョコレートをパクつきながら、鷹揚に頷くのだった。
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