第21話「教えたいこと、教わりたいこと」
曲がりなりにも半年間一緒に暮らしてきたのだ。こういう時、ディオナがどこに隠れているか見当がつかないわけではない。俺は大通りを駆け抜けて町の片隅にあるひとけのない路地裏へ入る。
無計画な増築を繰り返したアルクシエラの街並みは複雑だ。蜘蛛の巣のようにおおよそ放射状に広がっている大通りを歩けば迷うこともないが、ひとたび枝道に足を踏み入れれば、薄暗く湿ったなかを延々と歩くことになる。
だが、この町に慣れた奴なら問題はない。俺にとっても庭のような場所だ。
「ディオナ」
「ッ!?」
彼女がいたのは、背の高い建物に周囲を囲まれた小さな空き地だった。忘れ去られた猫の額ほどの土地で、日の光もあまり差し込まないから常に湿っている。町のチンピラも寄りつかないくらい辺鄙な場所にあることもあって、とても静かな場所だ。誰かが置いていった古い木箱が転がっていて、ディオナはそこに腰掛けて小さな四角い空を見上げていた。
「どうしてここが」
「何かあったらここに来てたからなぁ」
そもそもこの場所を教えたのは俺だ。誰にも邪魔されず、町の喧騒を忘れて、ゆったりとした時間を感じることのできるこの場所は、ぼんやりとするのにちょうど良かった。
ディオナもここを気に入っていて、何かしら行き詰まることがあればここに来ていた。例えば資格取得のための勉強がうまく行かなかったり、戦闘義手がなかなか思うように動かせなかったり。そういった時に、ここの冷たい空気に当たっていた。
ぼんやりとしていたディオナは、俺の存在に気がつくと慌てて立ち上がる。咄嗟に逃げようとするが、俺は手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。
「待て、ディオナ」
その気になれば俺など簡単に振り切れるだろうが、ディオナは素直に動きを止める。ゆっくりと振り向いた彼女は、不安と悲しみの混ざった顔をしていた。
「すまん。そういうつもりじゃなかったんだ」
彼女が何か言う前に、まずは謝る。
「今すぐディオナを放り出したいわけじゃない」
「……でも、そのうち別れることになる」
こちらを見るディオナの瞳に、どんな感情があるのか分からない。彼女の声は何かを隠すような硬いものだった。
ディオナの最終的な目的は、故郷の暮らしを豊かにすること。そのために里を飛び出して、学校入学を目指してやってきた。傭兵をやっているのは、高額な入学金や授業料を支払えるだけの金を稼ぐためだったはずだ。傭兵として身を立て、十分な金が用意できるようになったら、俺の元を去ることになる。
「けど、今じゃない」
そう言うと、彼女の瞳が揺れた。
「三級傭兵ってのは、なんとか一人を養っていけるくらいのもんだ。学校へ入るには、まだ足りないだろ」
俺が三級傭兵に甘んじていたのは、それで十分だったから。男ひとりで食べていくだけなら、それで良かった。質素な暮らしのなかにもたまに贅沢ができる程度の余裕があり、責任や周囲の目といったしがらみも少ない。そんなちょうどいいところだったからだ。
けれど、ディオナの目的を果たすためには、それだけでは足りない。
「まだディオナは三級に上がったばかりだ。取れてない資格も沢山ある」
三級と四級では、できる事も受けられる依頼も、求められる責任も大きく変わってくる。ようやく一人前、それなりの傭兵と認められるのが三級だ。そこからが始まりだと言ってもいい。
「まだ、教えてないことが沢山あるんだ」
俺は腕に抱えていた紙袋を差し出す。まだ温かいそれを受け取ったディオナは、戸惑いながらそれを開けた。
「とりあえず食べよう。腹一杯食べたら、気持ちも落ち着くだろ」
露店で買った兎肉のロースト。彼女の好物のひとつだ。
丸々一本の足をそのままじっくり焼き上げたそれを、ディオナは持ち上げる。そうして、大きな歯形をつけた。
「もぐもぐ……。アラン!」
「なんだ?」
あっという間に塊肉を綺麗な骨にしたディオナが口を開く。彼女は油で濡れた唇を拭いながら、どこか吹っ切れたような表情でこちらを見ていた。
「ワタシ、まだ沢山教えてもらいたいことがある。傭兵としての働き方もそうだけど、町での暮らし方とか、本の読み方とか。もっともっと、アランに教えてもらいたい」
だから、と彼女は一度間を置く。
兎肉をもう一本ぺろりと平らげて、にっこりと笑う。
「これからもよろしく!」
「……ディオナ」
彼女が差し出してきた黒鉄の手を握る。
そうして、そのままディオナの体を手前に引き寄せた。
いつもであれば俺が多少引っ張ってもびくともしない彼女だが、不意をついて弱い方向へ向かわせてやれば面白いくらいにバランスを崩す。驚いた顔で倒れ込んでくる彼女を、俺は両腕で抱き止める。
「あ、アラン!? そんな、突然――」
「俺は学校の教師みたいに学問を教えることはできない。でも何とか生きる方法くらいは示してやれる。ディオナはまだ、ひとりにさせるのは危なっかしくて心配になるからな。もうちょっと、俺の側にいたほうがいい」
「……うん」
何やら慌てていたディオナは、語りかけると素直に頷く。
俺は彼女の背中に腕を回し、近付いた顔に目を向ける。
この半年で大きく成長したディオナだが、まだその顔だちはあどけない。オーガ族の立派なツノも伸びて、可愛らしいといった言葉よりも美しいという言葉の方が似合うようになってきた。それでも、まだ彼女は16歳なのだ。
オーガが大人として認められる年齢がいくつなのかは知らないが、俺にとってはいつの間にか、大切な娘のようになっていた。
「そんな、アラン。えへへ……」
じっと彼女を見つめていると、綺麗な顔がだらしなく緩んでいた。唇がむずむずと動いている。
「ん、ん〜〜」
ゆっくりと顔を近づけてくるディオナ。俺はそんな彼女に――。
「せいっ」
「ぎゃっ!?」
思い切り額を指で弾いた。
ディオナは驚いた様子で飛び跳ね、額を手で押さえる。俺はため息をつきながら、彼女の持つ空の紙袋を指差した。
「二人で食べようと思って買ってきたのに、勝手に全部食べるなよ」
「えっ? えええっ!? ご、ごめんなさい……」
せっかく奮発して特大サイズのローストを買ってきたと言うのに、ディオナはあの状況で二つとも一瞬で食べ尽くした。まったく、どれだけ食費を積み上げれば満足するんだ。
しゅんと肩を縮めるディオナを見て、俺は思わず笑ってしまう。
「晴れて三級に上がったんだ。次はディオナが何か奢ってくれよ」
そう言うと、彼女はこちらを見て数秒固まる。そして、勢いよく何度も頷いた。
三級傭兵ふたりになれば、生活にもかなり余裕が出てくる。ディオナの稼ぎも増えるということは、俺も夕食に一品くらい追加してもいいだろう。
「さあ、帰ったら勉強だ。竜種討伐者の二級を取るんだろ?」
「うんっ!」
帰路に向かって歩き出す。ディオナも俺の隣にやってきて、腕を掴んだ。並ばれると体格差が目立つからやめてほしいのだが、何度言ってもこれだけはやめてくれない。ディオナは嬉しそうな軽い足取りで石畳を叩く。
――そんな彼女の下に初の指名依頼がやってきたのは、それから程なくしてのことだった。
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