第2話「身の上話」
オーガの少女ディオナを連れて、借家に戻る。今にも倒れそうな四階建ての集合住宅だ。住んでいる奴らの顔は知らない。寝床と棚があるだけの狭い部屋で、ひとまず濡れた体を拭く。ディオナに乾いたタオルを渡すと、彼女もいそいそと濡れた髪を拭い始めた。
「これでも食って待ってろ。何か買ってくる」
戸棚に置いてあったパンとチーズを渡し、ディオナを部屋に残して外に出る。もう暗い時間だが、まだいくつかの店は開いている。売れ残りのシチューを値切って買い取り、部屋に戻る。
「食べてろって言ったのに」
「大丈夫」
ディオナは床に座り、パンとチーズを抱えていた。鉱山で働いていた時は、碌に食べ物もなかったのだろう。彼女の腕は痩せ細り、頬も痩けている。腹は空いているようで、シチューの香りを嗅いだ途端、小さな音が腹から鳴った。
「いいから食べろ。濡れて体力も減ってるだろ」
せっかく買ったのに風邪でも引いて死なれては敵わない。そんなことを言うと、彼女はもそもそと食べ始めた。
「はぐっ、もぐっ。んぐぐっ」
「水も飲め。喉を詰まらせるんじゃないぞ」
一口、二口と食べれば、それが呼水となる。気がつけばディオナは口に押し込むようにして食料を平らげ、喉を鳴らして水を飲み干してしまった。よほど腹が減っていたのだろう。買ってきたシチューも容器の底まで綺麗に舐め取られている。
「ありがとう、美味しかった」
「そりゃ良かった」
温かい息を吐き出すディオナの頬には血色が戻ってきている。栄養が入れば、持ち前の生命力が早速働き始めるのだろうか。彼女は既に肌にも張りを取り戻しているように見えた。
しばらく満足げに腹を撫でていたディオナだったが、突然はっとして顔を青くする。そうして、俺に向かって深々と頭を下げてきた。
「ご、ごめんなさい……」
「はっ? 何だ突然?」
額のツノを床に突き刺しそうなほど深々と陳謝してくるディオナに戸惑う。理由を尋ねてみると、彼女は震える声で言い出した。
「アランのぶん、食べてしまった」
「なんだ、そんなことか」
食べるのに夢中で気付いていなかったのだろう。俺としては、元から全部ディオナに食べさせるつもりだったから気にしていない。そう言っても、彼女はずっとしょんぼりと肩を落としたままだった。
「明日にはまた金を稼ぐし、そうすりゃまた腹一杯食えるさ」
「お金を稼ぐ?」
「おう。傭兵だからな」
傭兵は自由気ままなその日暮らしだ。宵越しの金は持たないと豪語する者も多く居る。その日の朝に適当な依頼を見繕い、それをこなして金を稼ぐ。夜には宴を開いて有金を全て払い出す。明日生きているとも知れぬ世界だからこそ、未練がましく貯金などしない。
「そんなわけで、一食飛ばすくらいどうってことはないさ。それよりも、ディオナの話を聞かせてくれよ」
寝床に腰掛けて話を促す。
「話?」
「ディオナがどこから来て、何をしたいのか。どうして奴隷になったのか」
彼女は少し黙る。何かを考えているような、そんな表情だった。俺は身に付けていた革の胸当てや籠手を外し、槍の手入れをしながら彼女の口が開くのを待つ。彼女はしばらく思い詰めた表情を浮かべたかと思うと、突然両目に涙を滲ませた。
「お、おいおい。どうしたんだ?」
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
驚いてディオナの背中をさする。彼女は肩を震わせながら、ポツリポツリと語り出した。
彼女はやはり、オーガの里で生まれ育った生粋のオーガだった。深い谷の奥にある小さな里で、倹しく自給自足の生活を送っていたという。しかし、里の大人たちもこのままでは緩く衰退していくだけであると知っていた。だから、里一番の才媛であった彼女に僅かな金を持たせ、里の外にある学校へ送り出したのだ。
学校へ行けば、知識を蓄えられる。それを里に持ち帰れば、細く貧しい暮らしも上向きになる。そう言われ、ディオナは村のオーガたちの期待を背負って里を出た。
「初めは、親切にしてくれたんだ」
ディオナは呟くようにいう。
右も左も分からないまま町に辿り着いたディオナは、そこで優しい人間族と出会う。彼はディオナに沢山の飯を与えてくれた。学校に行くための支援も申し出た。そして、そのためには契約が必要だと。
それが、奴隷契約だった。
ディオナの背中には禍々しい奴隷紋が焼き付いている。覆すことのできない、奴隷の証明だ。純粋で人を疑うということを知らない素直なオーガの少女は、まんまと悪徳商人に騙されてしまったわけだ。
「それで、鉱山に送られたのか?」
「最初は辱めを受けそうになった。襲ってきたやつを殴り続けてたら、諦められた」
「おお……」
奴隷となっても動きを封じることはできない。奴隷紋に魔力を流すことで激痛を与えることはできるが、屈強なオーガ族にはそれも功を奏さなかったらしい。結局、彼女に愛玩や性欲を目的とした奴隷は合わないと判断され、次にその力強い身体が注目されたわけだ。
重労働続きの鉱山仕事で、オーガは適役だろう。常人よりも何倍も重い荷物を運ぶことができ、しかも休みなく働き続けられる。
ディオナは鞭で打たれ、奴隷紋で激痛を受けながら、来る日も来る日も暗い坑道を掘り続けていた。ノルマよりも仕事が少ないと叩かれ、また時に意味もなく叩かれた。食事は生きることができる最低限、ほとんど腐りかけた芋が投げられた。次第に反抗する力もなくなり、ただ従順に動くことしかできなかった。
「それで、ある時、天井が落ちてきたんだ」
虚ろな瞳でディオナが語る。その肩が震えていた。
暗い坑道で、朦朧とした意識で働いていた。判断力など鈍りきっていた。
おそらくは不法な盗掘だったのだろう。鉱山の所有者に見つかる前に急いで仕事を進めなければならないという焦りから、無茶な発破が行われた。ディオナはその瓦礫に巻き込まれ、右腕を失ったのだ。
「傷口は大丈夫なのか?」
「もう塞がっている。でも、たまに疼く」
ディオナは袖を捲って断面を見せてくる。汚れた包帯が巻かれているだけの、杜撰な処置だ。肉は塞がっていると言うが、幻肢痛は続いているらしい。これは明日にでも医者に見せたほうがいいだろう。
むしろ、これほどの重症を負ってなお生きているのが信じられない。さっきの奴隷商人が言ったように、人間族であれば死んでいてもおかしくはない傷だ。むしろ、これでもまだ死ねないのが非情にも思えてしまう。
「ワタシは……みんなの為に……」
ディオナが嗚咽を漏らす。深紅の瞳を潤ませて、大粒の涙を溢す。
故郷の期待を背負って旅に出たのに、今では奴隷に落ちぶれて片腕を無くしてしまった。学校に通うどころか、明日どう生きるかすら定かではない。
腹を満たし、雨を凌ぎ、少しは緊張が解けたのかもしれない。ディオナはようやく、年相応の声を上げて泣き出した。
俺は彼女の隣に座り、小さな背中を撫でてやる。それくらいしか、できることはなかった。
「たらふく食って、飽きるまで泣いて、しっかり寝ろ。そうしたら、気持ちも落ち着く」
わんわんと泣き叫ぶディオナに、俺の声は届いていないかも知れない。彼女は泣きながら左腕を俺の腕に絡め、肩に鼻先を押し付けてきた。服が鼻水と涙で濡れていくが、俺は彼女の白い髪をそっと撫で続ける。
「ぐすっ……ぐすっ……」
そのうち、泣き疲れたのかディオナの声が落ち着いてくる。やがて嗚咽は穏やかな吐息に変わる。
俺は彼女をベッドに寝かせ、布団を掛けてやる。暖かい寝床も久しぶりだろう。やがて彼女は穏やかな表情で胸を上下に動かし始める。
「色々やらないとな」
小さな少女を一人抱え込むには、色々とやるべきことがある。明日からは忙しくなりそうだ。
頭の中でやるべき事を挙げながら、壁に背を預けて休む。傭兵は体が資本。どんなところでも眠れるようになっている。俺も雨に濡れて疲れていたようで、すぐに寝落ちてしまった。
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