第八話 ヘイト集会中止(3)


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 紹介にあずかり、ハンドマイクを渡されたのは、例の国会議員だった。五、六人の集会参加者たちがその目的を果たせないまま何十人という警官たちに護衛され、ついに引き上げた後のことだ。

 一方でカウンターたちはといえば、再び小雨が降り出した中にあってもほぼ帰る者がなく、いまだ興奮さめやらない現場で、なおも何かを期待するようにソワソワしている。

 そのような雰囲気を汲んだのだろう。カウンターの誰かが国会議員にスピーチを頼んだらしい。政治家に否やなどあるはずもなく、彼はよどみのない弁舌で、市民の力でヘイト集会を中止にできたことへの感謝および、ヘイトスピーチ禁止法成立に向けての最新動静を報告した。今国会での成立の見込みは五分と五分。ひとえに与党の協力にかかっているらしい。その確率で、かつてないほど成立に近づいたという話だった。

 国会議員に続き、実は同じくカウンターに参加していた川崎市議会議員も演説した。市議は不甲斐ない対応に終始した市への不満を主に述べると、さらに弁護士へとマイクを手渡す。

 弁護士は、おそらく普段の業務と大いに異なり、風歌でも理解できる平易な言葉遣いで訴えた。

「わたしは同業者からよく左派だの人権派だのとからかわれますが、それなら、あなたがたは人権を侵害する派なのかと問いただしたい。言うまでもなく差別は悪であり、悪を見過ごして良いわけがありません。そこに右翼や左翼の違いなどありません。反差別は主義主張、政策、政治以前の話なんです。われわれは税率についての細かい話をしているのではありません。予算の配分を巡って党派間で激論を交わしているのでもありません。省庁の再編についてでも、どこに公園を作るのかといったテーマでもない。われわれは、議論の余地などない、あまりに当然の基本的なことのために闘っているんです。これを基本的人権と言います。差別をなくして初めて政治は真っ当な段階に進めるんです。誰もが主役でいられる健全な民主主義の段階に。だからこそ、すべての弁護士が、いや、すべての市民が――警察だってそうですよ――差別と向き合って当たり前で、その義務が一人ひとりにはある。今日この場にカウンターとしてお集まりいただいた皆さん、そして、来られなくてもレイシストの動画配信で反差別の書き込みをしてくださっている皆さん、ヘイト街宣が行われそうな場所を先に陣取って読書会を開いてくださる皆さん、街のどこかでヘイト街宣がゲリラ的に行われていないかパトロールしてくださる皆さん、本当にすばらしい。いつも社会を守ってくださってありがとうございます!」

 一斉に拍手が起こった。先の二人より大きい。風歌たちも感激して手を叩く。

 それがまだ鳴り止まない中、次にマイクを勧められたのが、政治家や弁護士はおろか、まだどの職業にも就いてなさそうな少年だった。推薦者の弁によると、実際、高校生で、しかも風歌と同い年らしい。地元の人間として親子そろって反差別活動に取り組んできたとのことで、特に親のほうは、実は今回のカウンターの呼び掛け人の一人でもあるという。過去に弁護士会人権賞という賞も貰っているそうだ。本日は、あいにくと体調を崩して来られなかった当人に代わり、皆への挨拶と感謝を述べたいとの子自身の希望もあって、推薦者が改めてスピーチをお願いしたという。

 反対の声など上がるわけもなく、拍手と声援に迎えられつつ少年はマイクを取った。

遠藤えんどうじゅんです。もう一つの本名はユン・ジュン。最近は、そちらの韓国名を使うことが多いです」

「在日コリアンか。旅先で会ったな」

 つぶやいたあゆむに、風歌は尋ねた。

「あの子に?」

「んなわけねえだろ。別の人さ。浪人時代、バックパッカーしてて、韓国とか東南アジアとか、インドにも行ったんだ。どこも聞いてたよか物価たけえから、思ってたより回れんかったけど」

「韓国なら韓国人なんじゃ?」

「在日の人だって旅行すんだろ。それに韓国以外で会ったんだ。日本語通じるから助かってさ。いっぺん、道ばたで変なもん拾って食って腹こわしたとき、ベンチでうんうん唸りながら寝てたら、大丈夫ですかって声かけてきて、薬くれたり、荷物見ててくれたりして……」

「へえ……」

 曖昧に返事しながら、風歌の視線はなぜか少年に釘付けになっていた。視界の中の彼は少し気恥ずかしそうにしていたが、それでいて発声は明瞭で、心に浮かんでいるのだろう文面の一語一語をゆっくりと丁寧にたどっていた。

「反応、薄いな。……ハッ!」

 あゆむの眼鏡がキラリと光った。眼鏡の主が、にやけた顔で風歌の脇腹を小突いてきた。

「わりかしイケメンじゃん。今のうちに唾付けとこうぜ」

「なっ……」

「霧と一緒にカウンターしてるって自己紹介したら、向こうもたぶん、ああ、あの子の。ありがとう、ありがとうってなるだろ。あいつ、顔広いから」

「……カウンター初心者のくせに、なんでそんな知恵回るかなあ」

「現場に来た回数、オメーより多いぞ」

「あま姉のお出迎えですか。それで来ておきながら、ほとんど何もカウンターしてこなかったんですね」

「うちが風歌なら、即、アレすっけどなー」

「アレって……別にこのままでいいですよ」

「奥手?」

「そういうことじゃなくて……」

 言いかけたものの、風歌はそれきり口をつぐんだ。あゆむは続きを期待したようだが、黙った理由の大きな部分が、当のあゆむの影響によるものだった。

 今、カウンターの一人として、在日コリアンの彼へ親しげに声をかければ、先方にとっては確かに良好な第一印象ともなるだろう。しかし、それはどこか卑怯と風歌は思うのだ。

 個と個の親密な関係を築くなら、もっと別の場所、別の形での出会いがいい。マジョリティやマイノリティを超越した互いに対等な立場として、ごく自然に。

 差別問題など気にも留めない、無邪気な同い年の二人として。

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