第113話:恩恵ともう一つの力

「やれやれ……ここまで来れば大丈夫じゃろう」

「今日は……この辺で野宿ですかねぇ……殿下」


 レミィたち一行は港町の中心から離れ、寂れた海沿いの方にまで移動していた。

 周囲を取り囲む臣民を振り切るのには苦労したが、なんとか事なきを得たようだ。


「でも、この馬車の中、快適だしねー」

「ふん……今日はあの大男……煉闘士ヴァンデールらんしな」


 この専用馬車の客車キャリッジは、ラーズが乗っても余裕のあるように設計されている。

 どういう仕組みかはわからないが、外観からは想像もつかないほど中が広い。

 下手な宿に泊まるよりも、快適に過ごせることは間違い無いだろう。


「では、お茶の用意をしますね♪」


 そして、例えどこであってもフェリシアの淹れるお茶さえあれば、そこは楽園になる。

 波の音が聞こえる海岸沿いの一角で、優雅なお茶会が始まった。


「にしても……こんなところにまで真竜教の信者が……」

「帝国は、従属国に宗教の自由を認めておるからのう」


 深刻に話し始めるエトスに対して、レミィはあっけらかんとした応えを返す。

 宗教の自由……どの神を信仰し、崇拝するかは強制しない。

 それは建国以来、守られ続けてきた神聖帝国グリスガルドの法律ルールである。


「でも、殿下……相手は邪竜ニルカーラの信徒ですよ? 邪教徒じゃありませんか……」


 だが、エトスの言うように邪教の信仰に際しては、その限りでは無い。

 それは、レミィも重々承知しているのだが……。


「うむ……真竜教が、表向きにニルカーラを崇拝している……と公言しておればの話じゃがのう」


 そう、真竜教は表向き“真なる竜を崇める宗派”として活動している。

 その真なる竜が何者を指しているのか……そこは暈しているのだ。

 それこそ、聖竜イリスレイドに祈りを捧げていると、勘違いしている者も居るだろう。


「あー、そっか……ニルカーラ教とは名乗ってないもんね」

「ふん……誤認させるのが目的だろう」


 アイディスとブルードは、不満げな表情で互いに目を見合わせる。

 名を騙るのは、お粗末な手法ではあるが、充分に効果のあるやり方とも言えるだろう。


「都合よく信徒が増えれば、そのまま邪竜への捧げ物に……何かしら反感を買うようなことがあれば、その時は聖竜に責任をなすりつけようと言う魂胆じゃろうな」

「……ズルい、やり方ですね……」


 レミィは肩をすくめつつ、呆れたように言い放つ。

 と、いつになく、フェリシアは低いトーンでそこに続けた。


 ──なにか悪事を働く時は、角のアクセサリを身につけて……。


 有角種ホーンドに罪をなすりつけるため、盗賊どもがよく使う手段の一つだ。

 その、自分たちが受けてきた迫害の歴史と……どこか重ねてしまったのかもしれない。


「あ……ま、まぁ……何にしても……信徒の動きには要注意……ですね」


 ここでエトスが、妙に辿々しい口調で話を締め括る。

 場の空気を和らげようと気の利いた言葉を探してはみたが、出てこなかったようだ。


 ──不器用な奴なのじゃ……。


 レミィはジト目でエトスを見やる。

 その時、突然フェリシアが警戒を促すような言葉を口にした。


「……誰か、近づいてきます!」





 その姿を形容するならば、優男という言葉が適切だろう。

 背は然程高くもなく、細身で、年の頃は30代半ばと言ったところか。

 限りなく白に近い金髪と白い肌は一見すると女性のようにも見える。

 威厳や威圧感といったものは一切感じられない。

 ただ、身に纏う衣装は、明らかにこの者の身分の高さを物語っていた。


「こ……皇帝陛下……」

「……父上様……ご機嫌麗しゅう……」


 突然の来訪に、ラーズとアズリーは竜の女神を抱いたまま、その場で跪く。

 ともに、一個師団ほどの戦力を誇る闘士と魔導士。

 何者にも跪く必要のない力を持った強者と言えるだろう。

 だが、レミィへの忠誠心からか、二人はおとなしくその場に伏した。


「イリスに呼ばれて、珍しくこちらの城に来てみれば……この惨状は……」


 言い訳のしようもない。

 この国の皇后に向かって、全力で秘術と闘術の奥義をぶつけたのだから。


「これは……その……なんてぇか……」

「母上様が……僕たちに……いや、でも僕たちが……」


 この二人が、ここまで慌てふためく様は実に珍しい光景と言えるだろう。


「大方……何があったのか察しはつくけど……これは良くないね」


 皇帝は、その様子に気づいているのかいないのか、淡々と言葉を続ける。

 と、ラーズの抱きかかえる竜の女神の方へと目をやり、ゆっくりと近づいてきた。

 その表情は穏やかで、何を考えているのか読み取ることが難しい。


 ──やべぇ……こいつぁ、姫さんに顔向け出来ねぇな……。

 ──我が主人マイマスター……ごめんよぉ……。


 伏した視界の中に、皇帝の靴の先が映り込む。

 二人が覚悟を決めた、その時、皇帝は想像もしていなかった行動をとる。


「イリス……悪戯はやめて、早く起き上がって」


 そう言って、ラーズの胸元に居た、竜の女神に軽くデコピンする。


「ふっ……ふふふっ」


 竜の女神……皇后イリスは、その一連の流れに堪えきれず笑い出してしまう。


「は?」

「や?」


 ラーズとアズリーは、二人でレミィのお株を奪うかのような驚きの声を上げた。


「迫真の演技かと思いましたのに……いつから気づいていたのかしら……ね?」

「君が本気を出していたら……この城が形を留めているはずがないだろう?」


 二人の会話に置いていかれたラーズとアズリーは、唖然とするしかなかった。





「冗談キツいですよ……奥方様……」

「そうだよ! 本気で心配したよ……あ……しましたよ」


 だだっ広い部屋の一角に設けられた、応接エリアにて……。

 してやられたラーズとアズリーは、不貞腐れた顔で精一杯の抗議をする。

 竜の女神は、多少のダメージこそあったものの、全くもって無事。

 心のどこかで無事だとは信じていたが、万が一ということもある。

 ましてや、レミィによく似たその姿だ……あまりにも心臓に悪い。


「ふふふ、ごめんなさい……でも、ああでもしないと終わりそうになかったし……貴方たち二人は、素直に恩恵を受け取らないでしょう?」


 悪びれた様子もなく、イリスは二人に向かって弁明する。

 淑女然とした雰囲気に忘れられがちだが、この女性は紛れもなくレミィの母である。

 やはり、あの悪戯な性格は母親譲りなのだろうか。

 たわわに実る、ある部位を除いて、実によく似ている。


「恩恵……ってぇのは?」

「それはもう、さっき導いてもらったんじゃ……」


 気持ちを切り替え、ラーズは、その恩恵とは何を指しているのかを問いかける。

 アズリーは、先ほどの手解きこそが恩恵なのではないかと考えたようだ。


「恩恵は……それだよ」


 質問と返答が重なったところで、皇帝は二人の手の甲を指差す。

 そこは、倒れた竜の女神に駆け寄った際、強く握りしめられた箇所……。

 その自らの手……死闘の痕跡を見たラーズとアズリーは驚愕する。


「竜の血は……経口するよりも、触れるだけにとどめた方が、安全なのよ」


 いつの間にかそこには、竜の血らしきもので描かれた、紋章が記されていた。


「こいつぁ……」

「聖竜の紋章! 母上様の聖印だ」

「あ……心配しなくても、それは吐血じゃないわ……最初に、刀と魔法の槍を指で受け止めた、あの時に……ね」


 そう言ってイリスは、笑顔で両手を広げ、指先を見せる。

 そこには、ごく僅かに傷があるように……見えなくもない。


「もう傷は殆ど治ってるよ……イリス」

「あら……証拠にならなかったわ……ね」

「えっと、母上様……じゃあ、あの吐血は?」

「自分で舌を噛んで作った血よ……ちょっと噛みすぎたかしら……ね」


 ペロッと舌を出したのは、誤魔化しではなく傷跡を見せるためだろう。

 その驚くべき回復力を目の当たりにして、ラーズは安心すると同時に少し落胆する。

 死力を尽くして放った、必殺の一撃。

 それは、まだ竜の女神には届いていなかったのだ……。


 ──アズリーの援護あってのモンだ……こいつぁ相打ちどころか完全な敗北だな……。


 そんなラーズの心中を察してか、ここで皇帝が滔々と語り始めた。


「本来、個では無理なんだよ……定命の者が、竜と対峙するなんて……ましてやイリスは神格を有する聖竜、一対一でどうにかできるなんて……ありえないよ」

「え!? いや、自分は何も……」


 思っていなかった訳ではない。

 言葉が出てこなかったラーズは、バツが悪そうに頭を掻いた。

 引き合いに出されたイリスは、レミィを思わせるドヤ顔で二人を見つめる。

 その様子を横目に、皇帝は尚も話を続けた。


「神は、人族に精神スピリットの力を与えた……怪物モンスターと呼ばれる存在が持つ、肉体フィジカルの力と魔法マジカルの力とは別の、第三の力……戦士たちの扱う“気力”と呼ばれるものだね」

「ええ……そいつぁ見習いん時に、嫌ってぇほど学ばせてもらいましたよ」


 ルゼリアの闘士たちが、まず最初に学ぶのがこの“気力”の扱い方についてだ。

 種族や血統による差異や限界はあれど、後天的に鍛えることができる体力。

 種族や血統による差異はもちろん、先天的に限界のある魔力。

 それらとは全く異なり、イメージすることで自ら生み出していくもの……。

 精神性、根性、気合い……さまざまな呼称を持つ、ある意味概念のような力。

 それをしっかりと具現化したものが気力だ。

 そのことは、誰よりもよく知っているとラーズは自負していた。


「うん……でも、神が人族に与えたのはそれだけじゃないんだよ」

「他にも、なにか力があるの?」


 黙って聞いていたアズリーも好奇心を抑えられず、思わず横から質問を挟む。

 その様子に皇帝は満足げな笑みを浮かべながら、無言で頷いた。


「そらぁ、いったい!?」

「なになに!?」


 その含みを持たせた表情に、二人は興奮気味に問いかける。


「それは……」


 と、いざ口を開こうとした皇帝の横から、イリスが最高のタイミングを奪っていった。


「さっき貴方たちが見せてくれた……あの“力”よ」

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