第17話 四週目④

 どうなるのだろう、と思って真剣に聞いていると、猫の小言はやがてすっかりお母さんの悪口に代わり、それは町田君に対する態度が邪険だということから、徐々に自分に対する扱いがなっていないという話になっていった。途中で話題を元に戻そうとしても無理そうだったので、適当なところで「すみません、もう寝ます」と告げて、就寝した。

 その夜、夢をみた。

 久々に自分の夢だった。例の夢の中にいるときと違って、自由に身動きが取れず、曖昧でぼんやりした感じがある。これは普通の夢だと思うと、安心する。

 少し歩くと、二階建てのごく普通の家が現れた。比較的新しい。しかし、誰の家なのか。

 ドアを開けて、中に入る。会うべき人がいる部屋は、入ってすぐ左にある和室のようだ。

 襖が開いているので中を覗くと、縁側の近くで誰かが二人の子供をあやしているのが目に入る。

「ああ、久しぶりだね」

 そう言って振り返ったのは、町田君だった。私が知っている彼よりも、幾分柔和な顔立ちをしている。

 さっきここは夢だと判断したけれど、本当は夢ではなくて、彼には本当に隠し子がいるのではないかと、頭の中がぐるぐるしてくる。

 町田君は、どこか諦めたような表情で私を見ている。子供たちも動きを止め、私の方に顔を向けようとする。

 これはどういうことなのか。私がこのまま、彼を見つけないまま期限が過ぎてしまったら、やがてこうなるということなのか。

 いいじゃない、おめでたいじゃない、結婚して、子供ができて、穏やかに微笑むことができて……、途端に目の前が真っ暗になって、足元の床が溶け出し、私はその中に吸い込まれていった。


 目が覚めたら、辺りはまだ薄暗かった。時間を確認しようかと思ったけど、夜明けまで、まだ長時間あるようだったら怖いので止める。

 ふと横を見ると、枕元に猫の影がある。また新たな猫の出現か? と思ってよく見ると、タミさんだ。なんでこんなときに、よりにもよってこんなところで寝ているのか。私が愚痴を最後まで聞かずに途中で寝てしまったものだから、枕元で一生懸命私の頭を蹴り飛ばそうとして、そうこうしているうちにここで寝入ってしまったのか……。

 軽く上下している丸い背中にそっと手を触れてみると、なんと手は猫の背中の上でぴたっと止まった。体をすり抜けるものだとばかり思っていたので、飛び上がりそうだったが、猫が起きるといけないので、なんとか持ちこたえる。

 背を撫で続けると、不思議と安らぎを覚える。ふわふわで、ずっと撫でていても飽きない背中だ。町田君もこうして猫の背を撫でながら、つらいことをやり過ごしていたのだろうか。しかし私は、涙をこらえることができない。

 ようやく落ち着いてきたと思ったのも束の間、また例の歌がどこからともなく聞こえてくる。しかも歌の合間に、原曲には入っていないはずの語りが入っている。


――別にあの人でなくてもよかったのです。


 聞こえてくるのは、誰の声だろう。


――あのとき選んだものは、果たして自分にとって本物だったのか。

 あの部活を選んだのは間違いではなかったのか。

 あの学校は本当に入るべき学校だったのか……。


 よく見ると、タミさんを模したマリオネットが宙に浮いている。いつの間にか、場面は私の部屋ではなくなっている。あの夢の中と同じ、薄曇りの空が見えている。


――あのとき、本当はA定食ではなくB定食を食べたかったのではないか。

 クッキーではなくお煎餅を買えばよかったのではないか。

 今までしてきた選択は本当に正しかったのだろうか。

 あなたの人生、本当にそれでよかったのですか?


 そこに、追い打ちをかけるように、私を模したマリオネットが現れた。

「どれを選んだって、結局は一緒でしょ!」


 今度ははっきりと目が覚めた。布団から飛び上がりまではしなかったものの、起きてからしばらくは呼吸が乱れたままだった。こんなにへろへろで、今日は働けるのか、でも欠勤したら今月分の給料が減る……などと思いながら呼吸を整える。

 カーテンの向こうは明るい光で満ちていて、小鳥のさえずりまで聞こえてくる。なぜ私だけこんな目に遭っているのか。確かに、どこかで選択を間違えたのではないかと疑いたくもなる。

――どうかされましたか?

 猫の声に驚き、今度はベッドから落ちそうになる。猫は床の上で丸くなり、毛繕いをしている。

「タミさん、さっきまで私のベッドで寝ていませんでしたか?」

――あなたのベッドには、あなたが寝ていました。タミは、タミの寝床で寝ました。

 猫は欠伸をすると、自分のベッドに戻った。

 木曜日、金曜日は普段より返却のペースが遅れがちだった。上司がすれ違いざまに「今日は返却数が多くて大変だね」と言った。私の動きが悪いのを見透かされているかのようだ。今まで頑張りすぎていたのかもしれないが、仕事の質が落ちているのも確かだ。

 どうも、仕事に集中できる心境ではないようだ。たかが棚に本を戻すだけだと思っていたが、私もそれなりに頑張っていたのだということを改めて思った。それと同時に、あの夢のショックがあまりに強烈で、なにかを考えようとすると、磁石のようにそこに引き寄せられてしまう。

 高校に入ってみて、なんとなく、楽しいのにどこか満たされない思いを抱くようになった。初めて自分で選んだ環境に身を置いて、今までとは違う友達ができたりする中で、私は私の思うところを忠実に生きているのだろうかと疑問を覚える機会が増えた。そんな中で、町田君と会った。

 それほど深い話をする仲にはならなかった。大部分が普通の話だけで、もう少し違うことを話したいと思っても、どこかブレーキをかけてしまっていた。

 今だったらなんでもないようなことなのだろうけど、当時の私は、あまり自分を知られたくなかったのかもしれない。いや、そうではない、知って欲しくはあったが、おそらくは、私が意を決して話したことについて興味を持ってもらえなかったり、自分のことばっか話しやがってなんて思われたりしたらしゃくだ、などと思っていたのだろう。

 あのときもし、そういう懸念を抱きながらも、自分のことをきちんと話そうとしていたら、なにかが違っていたのだろうか。ただ毎日が楽しく和やかだね、という確認をするのではなくて、非難されたり恐れられたりしてもいいから、もっと、私はこういう人間なんだけど、というのを見せるべきだったのだろうか。当時の私の考えていたことなど、今の私には、正確に把握できはしないのだけど。

そんなことを考えるうちに、今週の勤務も終わる。

 金曜日の夜、家に帰るとろくに食事もとらず、シャワーだけ浴びで布団にもぐりこむ。しかし今夜は安眠できるわけではなく、またNo2とやり合わないといけないのだ。

「タミさん、今更ですけど」

 猫はすっと私を見る。

「No2というか、夢の中の町田君によく似た男は、実のところ何者なんでしょうね」

――タミの話を覚えておいででないのですね。タミも訊いてみたのです。しかしあの者は、部外者はそんなことを知る必要はないと言い放ち、タミを放り投げてしまったのです。

 そういえば、そんな話もあったかな。いちいち覚えてられるか、と言いたいのをぐっとこらえる。

――だから、あの者の正体を知りたければ、考えられる方法は二つしかありません。

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