第41話 ナイナ・ポコティン②

 魔王討伐後、次の目的地へと訪れていた。


 生暖かくジメッとした地下の実験施設。

 無造作に並ぶガラスの容器には、動物の臓器らしき物が入れられていた。まだ生きているのか、時折脈打っている。


 そんな気味の悪い部屋の中、目の前に横たわる人間の男女の死体。もはやどちらのどの部位かも分からない程に、細かな肉片と化していた。

 私は震える体を必死に抑えながら、何度も自分に言い聞かせる。


「違う……これはもう人じゃなかった……こうするしかなかったの……」


 二人を殺したのは私だった。

 私は初めて、人を殺した。


「だって……だって仕方ないじゃないッ!!」 


 それが、この二人を救う唯一の方法だったのだから。


 この施設を乗っ取った虹色等級の正体は、菌類である黒いきのこだった。

 コイツは寄生した生物を操り人形にし、寄生された側は死にたくても死ねずに玩具と化す。


 淫獄クエストの中でも、一二を争う残酷なキャラとされていた。

 何故なら、黒茸は寄生した生物をとにかく弄ぶ特性を持っているから。


 だとしても、それが寄生されていたとは言え、生きている人間を殺した事実に変わりはない。

 目の前で自分と同じ人間がバラバラになっていく様子は、見ていて気がおかしくなりそうだった。


 その時、部屋の奥の扉が不快な音を立てて、ゆっくりと開いた。そこには年端もいかぬ少女の姿があった。


「こんな子供までいるなんて……もっと早く来てあげれば良かった」


 少女を見て、少し落ち着きを取り戻す。一人でも救えたという事実が、私にとっても救いになった。

 小さな体には多数の手術跡や魔術痕が見られた。きっとこの子も体を弄られていたのだろう。ショータ君よりも幼い少女を見て、悲しくなった。


「もう大丈夫だからね。あなたの名前は?」

「……ラブ」


 少女の名前は『ラブ』と言った。


「そう、ラブちゃんね。私が近くの街まで送っていくから安心してね」

「……どうしてお姉ちゃんは不死身なの?」


 何の脈絡もない不意な問いかけに、一瞬会話が止まる。しかし、すぐに私の戦う姿を見られていたのだと気づいた。

 人に……それも子供にあまり見せられるものではない内容に、怖がらせてしまったと後悔した。


 しかし、ラブの反応は想定とは違うものだった。

 

「私もお姉ちゃんみたくなりたい、どうしたらなれるの?」

「不死身なんて良いもんじゃないよ。なり方なんて私にもわからないし」

「どうして? 人間の子供を使えば不死身になれるんでしょ?」


 その言葉に背筋が凍る。再び会話が途切れた。

 するとラブがある方向を指さす。そこは例の臓器が入ったガラス容器がいくつも並ぶ棚。


 その意味に気づいた瞬間、心臓が跳ね上がり、息が出来ない程に鼓動が早くなった。

 臓器はどれも小さく、私はてっきり動物の物だと思っていた。

 しかし、それは間違いだった。

 私はすぐにラブを抱き抱えると、呼吸も忘れて階段を駆け上がり外へ逃げた。


 どうやら、人の姿のまま生き残っていたのは彼女だけだったようだ。


「あの子達は部品で、私は入れ物なんだって。だから私だけ喋れるし歩けるの。入れ物に選ばれて良かったー」


 目を輝かせて嬉しそうにラブは言っていた。常識や道徳、倫理観が著しく欠如しているように感じられた。


「いい? ここで起きた事は全て忘れて、これからは普通の子供として生きるんだよ」

「……うん」


 ここにいた黒茸は、寄生した人間達に子供を産ませては、不死の研究材料にしていたのだと後から分かった。


 後日、この施設にある全ての臓器を殺して周った。嗚咽が止まらず、何回も戻してしまった。

 どうやらこのゲームは、私が想像していたよりも遥かに胸糞の悪い世界のようだ。

 

「この近場には小さな教会があった筈だから、そこへ行こうね」


 教会は快くラブを引き取ってくれた。

 これでもう会わなくて済む。ラブが私の手から離れた事に、ほっとしている自分がいた。


「こちらを……どうぞ」


 聖女様が、私の顔を見るなり黒い聖水を手渡してくる。

 呪いから解放させてあげたい。そんな事を言っていた気がする。

 黒い液体を飲む事に抵抗はあったが、せっかくの好意を無碍にもできず一口飲むとたちまち昏倒した。


「痛たた……ビックリしたぁ」


 すぐに起き上がったが、倒れた時に顔を打ったようで凄く痛かった。

 変なものを飲まされた文句を言ってやろうと思ったが、今度は起き上がる私を見て聖女様が気を失っていた。


(一体何だってのよ……全く)


 それからまた、虹色等級の討伐を延々と繰り返す作業が始まった。


 大抵の攻略キャラは殺すのが楽だった。人間を食い物にでもするようなおぞましい奴らばかりだったから。

 それよりもキツイのが敵意のないキャラだ。そういう魔物は殺す度に精神がすり減っていく。人型で、それも人語を解す魔物である程、あの時の人間を殺した恐怖が蘇る。


 でも、もう後戻りは出来ない。私の手は血にまみれ過ぎてしまっている。

 

(これはただのゲーム……でも、私が殺した……現実世界に帰りたいという理由だけで……いっぱい殺した……)


 全く眠れなくなったのは、いつ頃からだっただろうか。

 この行為に何の意味もなかったら……そう考えると手が震えた。

 攻略対象が減るごとに、何故か不安は反比例するかのように大きく膨れていく。


(次が最後だ……)


 辿り着いた場所はエルフの森。そこには寝取る事を生き甲斐とする変なダークエルフがいた。女の敵ではあったが、どこか憎めない奴だった。

 

 もっと凶悪なモンスターを最後にすれば良かったと後悔する。

 名は、ネトリィと言った。名乗られたのは初めてで、私も遂名乗ってしまった。

 ネトリィはいきなりやって来た私を名で呼び、警戒心もなくニコニコと話しかけてくる。


(……駄目……やめて)


 これ以上は情が移ってしまう。


「ごめんね……貴女に恨みはないの……本当にごめんね……」


 何故か急に、感情と共に涙が溢れてきた。

 泣き出す私を見て、ネトリィは心配そうに駆け寄って来た。

 そんな彼女に対し私が取った行動は、奇襲紛いの殲滅魔法の発動だった。

 彼女はなす術なく死んでいった。


 それなのに、私が元の世界に帰れる事はなかった。


「何で……何でよッ!!?」


 無害な魔物を含めても、一体何十人をこの手にかけて来たと思っているの……! それが全て、何の意味もなかっただなんて……!


 その時、理解する。


 ああ……そうか。この世界で最も悍ましい存在は……私だったんだ。

 

「やっぱり……私は魔王なんだ。悪い魔王は死ぬしかないんだ」


 もはや正常な思考回路は残っていなかった。おもむろに自分の体を少しずつ切り落としていく。


「もっと細かく……もっと細かくしなきゃ死ねない」


 生きている限り、斬り続けた。

 体の破片は100を優に超えている。斬る度に治るから、何千回切ったか分からない。


 いつの間にか、気を失っていた。

 体は既に元通りになっていた。


「死にたい……死なせてよ……もうこんな世界は沢山なのッ!!!」


 何で私ばっかり……死にたくないと願ったのがそんなにいけない事なの?

 こんなに苦しまなきゃいけない事なの?


 今まで何とか保ってきた精神が、一気に壊れていく。


「そうだ……私が魔王なんだから、攻撃対象になる……よね?」


 私は私へ向けて、今まで数々の虹色等級を葬って来た殲滅魔法を発動させる。

 体の周囲が黒い光に覆われる。

 その対象が死ぬまで終わらない攻撃。ようやく死ねると安堵した。


 瞬時に黒い刃の嵐に全身が切り刻まれていく。再生よりも早い速度で体が細かくなる。


(それでももっと……もっと細かくならないと私は死ねない)


 それに呼応するように、遂には細胞一つ一つになるまで切断されていく。

 脳もバラバラになり、思考力も消えた。

 もはやそれは人間どころか、生物ですらなくなっていた。


 そして、システムにすら見放された。

 この世界の神は、あらかじめプログラムされていない存在を決して許さない。

 今までとは違い、今後人間に戻ることのないそれに対し、神は改変作業を行う。


 ヘドロ状の肉片は、人間という種族から、今の実態に近いスライムへと変更された。


 スライムへと変化した事で、失われていた意識が、思考力がほんの僅かに蘇る。

 それでも、人間には遠く及ばない知能指数。


 ここでようやく、自分の選択が取り返しのつかない失敗だった事に気づいた。しかし、もう遅い。

 スライムになった今、碌な思考力は残ってはいなかった。


 もはや、頼みの綱は裏ボスのみ。

 しかし、魔王が生きている間は裏ボスが存在する事はない。でなければ、この世界のシナリオが矛盾してしまうから。

 裏ボスが存在し続けていいのは魔王討伐後、もしくは勇者の仲間になった時のみ。


 ならば、次代の勇者に賭けるしかない。

 誰でもいい、誰か一人でも王都を出てすぐに奴隷市場へ向かってくれれば、裏ボスはこの世界に存在する事を許される。


 唯一の懸念は淫獄クエストを知る関係者は全員で7人。私で最後という事だった。

 これから来る勇者達の中に、裏ボスの存在を知る者はもういない。

 そんな中で、不可能にも近い裏ボスの発生条件を満たす者が果たして現れるのか。


 そんな疑念を抱えつつも、方法もうこれしかない。

 スライムの知能では複雑な思考は出来ない。だから全細胞へ二つの指令を出す。

 それは本能に近いものとして黒いスライムへ刻まれる。


 一つ目の指令。


『サキュバスを連れた勇者を見つけ出せ』


 全ての望みを、いつの日か来るであろう次世代の勇者へ委ねた。

 その内の一人でも、軌跡を起こすと願って。


 そして、二つ目の指令。


『その勇者を殺せ』


 その勇者を殺せば、仲間であるサキュバスがきっと自分を殺しに来てくれると信じて。


 黒い大きなスライムは指令という名の本能に従い、小さなスライムを分裂させて世界中へばら撒いた。

 いつか来る、サキュバスを連れた勇者を見つける為に。

 そして本体が、勇者を殺せるように。


 世界中に散らばった小さいスライムは、機会が来るのをじっくりと身を潜めて待った。


 一千年以上の時が過ぎた。それまでに何十人という勇者が召喚され、そして裏ボスに出会うことなく死んでいった。


 この日、再び新しい勇者が召喚された。

 それから程なくして、この世界が裏ボスの存在を認識した。

 奇跡ともいえる条件が今、満たされた。


 黒いスライムが目を覚ます。

 それを皮切りに、潜んでいた小さい黒いスライム達が一斉に活動を開始する。

 これが後の、大災害級スタンピードの発生原因となる。

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