第36話 聖水と錯乱
俺はひとり夜空を仰ぎ、前世でも見たことのない綺麗な星空に見惚れていた。
両端ではクーコとぺぺが寝息を立てている。俺は静かに起き上がると、クーコの元へと近寄りそっと顔を覗き込む。
どうやら熟睡してるようだ。
クーコの『ずっと見ていた』という言葉が頭に残っていた為、つい確認せずにはいられなかった。
流石に寝てる時までは俺を見ていないようで、少し安心した。
すやすやと眠るクーコは鎧を脱いでいる所為か、かなり無防備な格好をしている。
以前は鎧を着たまま寝ていたと思ったが、長距離を走り続けた所為でかなり疲れていたのかもしれない。
だからこそ、この時間だけでも俺がこの二人を守ろうと決めていた。
いつあの黒いスライムが来たとしても、すぐに二人を連れて逃げれるように周囲を警戒し続ける。
(……それにしても、クーコがいなければ今もこの場所を目指して走り続けてる最中だったかもしれないな)
そう考えると、とても頼りになる騎士だった。
「う……ん……」
クーコが寝返りをうつと、更に胸元がはだけてしまった。
あまり見過ぎるのも良くないと判断し、起こさないように自分の寝る位置へと戻るとこにした。
ガサゴソと、再び寝返りの音が聞こえる。
「……襲わないのか?」
その声に振り返ると、クーコは俺に背を向けて寝ていた。
いや、寝息は既に聞こえていない。どうやら起こしてしまったようだ。
「起こしちゃったね、疲れてるのにごめん」
「いや、実はだいぶ前に目が覚めていた。寝られなくてな、ずっと寝たふりをしていたんだ」
それを聞いて、寝顔を覗いてたのがバレていたと知り恥ずかしくなった。
「それより……襲ってはくれないのか?」
「襲うって?」
「襲うと言ったら……それはほら、あれだ。結構期待していたのだが、やっぱりか弱くない女は……嫌か?」
ぺぺが寝ている為、二人とも小声で話している所為だろうか、クーコの声は少し元気がないように感じられた。
背を向けている為、表情も読み取れなかった。
俺はクーコのそばまで戻ると、近くに腰を下ろす。
クーコはずっと背を向けたまま、話を続ける。
「騎士団長なんて肩書きを持ち、今では虹色等級と持て囃されてはいるが私だってまだ10代なんだ。色恋に憧れがない訳ではないし、それに……こんな気持ちは初めてなんだ」
水浴び以降、クーコの様子がおかしかったのは何となく分かっていた。
ずっと余所余所しく、今だって視線を合わせようとしない。
しかし、意を決したように起き上がると俺の方を向いた。その瞳は潤んでいて、今にも泣きそうな表情をしていた。
「私は二番目でも構わない、それも駄目なら一夜限りでもいい。だから……どうか私の初めてを貰ってはくれないだろうか? 自分の気持ちがもう……抑えられないんだ」
クーコは自身を抱くように体を捩ると、上気した顔で俺を見つめていた。
「やはり私では……駄目だろうか?」
俺だって、クーコに対しては多少の性癖の歪みでは揺らがない程の大きな感情を抱いている。
ただでさえ100人が見れば100人とも美人だと答える容姿のクーコだ。そんな彼女が自分の命を賭して俺を守ろうとし、好きだと言ってくれている。
これで揺らがない男などいるだろうか。
いるとするならば、まだ年端もいかないお子ちゃま位なものだろう。
ただ、俺はいつかこの世界から消える存在だ。それがあるからこそ、クーコの気持ちを何となく察していても気づかずにいた。
それでももう、俺だって感情を止める事は出来そうになかった。
「駄目なんてこと、ある筈ないよ。俺だってクーコが好きなんだから……」
どちらからともなく、ゆっくりと口付けを交わした。
次第に互いの服に手をかけると、火照った体を寄せ合うように、少しずつ肌を重ねていく。
その時、どこからともなく声が響き渡る。
『ケケケ、見せつけてくれんじゃねーか』
「ッ!? 誰だ!?」
いつの間にか濃い霧に包まれていた。
周囲を見渡すと、霧に紛れて薄らとだがいくつもの朽ち果てた建物の影が見える。
俺とクーコがほぼ同時に、何が起こったかを察知した。
「ショタ殿! エルフの森が現れたぞっ!」
「やっぱりか! ぺぺ、すぐに起きろ! 近くに敵がいるぞ!」
「……ンア?」
寝ぼけているのか、起き上がったぺぺは目を擦るような動作をしていた。
眼球すらスライムのぺぺが目を擦る意味があるのか疑問に思ったが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
とにかく二人を守らなければ。
『ケケ……慌てちゃって可愛い奴だなぁ。寝取りたくてウズウズするぜ』
声の位置を特定しようと辺りを見回したが、その声は全方位から響き渡ってるようで場所の特定が出来ない。
「ヴァ"ア"ア"……」
その瞬間、俺のすぐ真後ろから低い唸り声が聞こえた。振り返ると目に飛び込んできたのは褐色の肌にとんがった長い耳、裸のため丸見えのふくよかな胸、空洞の両目と所々見える骨。
まるでゾンビだった。
「キ"ャ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッッ!!!!!」
俺は甲高い悲鳴を上げていた。
すかさずクーコが反応し、瞬時に敵を一刀両断、胴体を真っ二つにする。
「ケケ……お前の女、なかなか強えじゃねえか」
再び俺の背後から声がした。振り返ると目に飛び込んできたのは褐色の肌にとんがった長い耳、裸のため丸見えのふくよかな胸、透き通った肌、
まるでゴーストだった。
「キ"ョ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッッ!!!!!」
俺はまたもや甲高い悲鳴を上げた。
再びクーコが一刀両断。刀身が完全に敵を捉え、胴体を真っ二つにする……筈が。
「感触がないっ!?」
クーコはすぐに距離を取る。
間違いなく当たる距離だった、それなのに刀身は空振りしたかのように何の感触も得られなかった。
敵は微動だにせず笑っている。
「ショタ殿! そいつの目を見るな! 錯乱状態にさせられるぞ!」
ゴーストと目が合う。妖しく光るその瞳に吸い込まれそうになる。
このままではマズイ。
物理攻撃が効かないのであれば、別の攻撃手段を探すしかない。
(ゴーストに効くのは何だ!? それは……聖水だ!)
俺はすぐに聖水を探す。しかし、どこにも見当たらない。
それもその筈、聖水はもう持っていなかった。
(かくなる上は……これしかない!!)
俺はすぐにズボンを下ろす。
クーパから聖水の出所を聞いていて良かったと安堵する。が、何も出ない。
寝る前にしてしまったのを思い出す。
「ショタ殿、何をしている!? まさか……錯乱状態なのか?」
クーコが俺の肩に手を置き、正気に戻れと訴えかけている。
「俺は正気だ! それよりもクーコ!! オシッコだ!! こいつにオシッコをかけるんだ!」
「オシッ!? そ……そんな事、ショタ殿の前でできる訳ないだろ!」
「恥ずかしがってる場合か!! 時と場合を考えろ!」
「時と場合を考えた結果できないと言ってるんだ!!」
命がかかってる状況にも関わらず恥ずかしがるクーコに文句を言うと、逆ギレされてしまった。
まるで俺が悪いみたいな怒られ方をされ、少し納得がいかなかった。
その時、ぺぺが手を挙げる。
「……ダセル」
ぺぺがしゃがむとドボドボと青い液体が流れ出てくる。
「でかしたぞ! ペペ!」
俺はそれをすぐに両手で受け止める。しかし、その液体はぬるぬるしていた。
ぺぺから流れ出てきたものは、ただの液状のぺぺだった。
「クソっ!! これは聖水じゃない!」
絶望しきった俺を見て、ゴーストは腹を抱えて笑っている。
そして両手を上げ、まるで降参のようなポーズを取ると語りかけてくる。
「待て待て、落ち着けって。脅かしたのは悪かったが、お前達に危害を加えるつもりはねえって。というか私はこの通り死んでる身だ、そもそも何も出来ねえ」
そいつは自分のことを『ネトリィ・テーゼ』。元ダークエルフで、今はゴーストだと名乗った。
このネトリィこそ、ナイナに殺された最後の虹色等級だった。
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