隣の彼女はマスクを挟んでキスせがむ。

小笠原 雪兎(ゆきと)

第1話 始まりのキス

※リハビリ。五、六話で終わるはず。3/10に私が消えたら、つまり察せ。アカウントは消さんが、連載が止まるぞ。




 人生の転機とはなんだろうか。朝ドラなんかでは五歳ぐらいの主人公が出会うものこそ人生の転機だが、果たして現実、実際問題そういう主人公性が俺に宿っているかと聞かれれば否。

 中学受験は成功したが、落ちても人生の転機になってただろうし、俺自身が納得できないから却下。

 最近流行ってるCovid-19は人生の転機というより社会の転機。俺の人生の転機であって当然だ。

 即ち、俺の人生の転機とは――


「何難しいこと考えてんの? バカ? バカか。勉強したら? バカは成長が早いよ? でも受験は来年だから流そろ流石にそろそろで勉強した方がいいよ?」


 英単語帳の表紙の向こうからマスクでくぐもった声が俺を刺す。

 英語王はよく持て囃されているが、こうやって毎日勉強しているからこその英語王であって、決して天性の賜物ではない。努力の賜物なのだ。


「いや、人生の転機について考えると自分の主人公性って高まりそうじゃん? 主人公性が高けりゃ俺の運もいい感じに変わりそうだし」


 そう言って、鳥の糞をウエットティッシュで拭ったあとの腕に、教室に常備されているアルコールの霧吹きの蓋を開けたボトルから、直でアルコールを垂らして入念にティッシュで擦る。

 乾布摩擦よろしくの摩擦熱と、アルコールの気化熱で腕の温度感知機能が狂いそうだ。


「先週は犬の糞、今日は鳥の糞か。明日は何の糞だろうね。その糞が人生の転機かもね。よかったんじゃん」

「んなことあるかい! っと……まぁこれでいいか」

「毎日運が悪いというか、が良いというか。お疲れ様。never mind」

「あぁ、気にしない。いつものこと過ぎて」


 ドンマイでは? とは思ったものの英語王が言うんだからそれが正しいのかしら。

 単語帳が捲られ、その顔を変えたらしい。彼女にとってはその顔は見知った面ではないのか、彼女は顔を顰めた。


「こんなページ見たことないんだけど」

「飛ばしてたんじゃない? 角っこ丸まってるしこれまで一緒にめくってたんでしょ」

「いじり癖やめた方が良いかな。みんなに参考書貸すときに恥ずかしいんだよね、これ」


 そう言って単語帳の角を指で撫でて、ちょうどマジシャンが観客にストップと言わせるまでカードを捲るように、バラバラと音を奏でた。その角は少し黒ずんでいる。

 それとは対照的な綺麗な爪に目を奪われてちょっと眺めていると、彼女はチラリと俺を見たので肩をすくめ、適当に答えた。


「いいんじゃない? 知らんけど。少なくとも俺は気にならん」

「君が気にならないならいいや」

「いや、マジョリティーを背負う自信はないから判断基準にはしないでくれ」

「いや、いいんだ別に」


 早朝の教室は俺と彼女以外の声がせず、静まりかえっている。コンビニ袋から今日の朝食を取り出して食べようとして、彼女の単語帳が気になってふと立ち上がった。


「今何週目だ? その単語帳」

「ん~四週目かな。これで多分全部覚えただろうし、英検一級でも受けようかな。とっといたら共テ楽になるんだっけ?」

「その制度やっぱナシになったんじゃなかったか?」


 彼女の後ろから肩を組み、彼女の顔の隣から一緒に単語帳を覗き込む。シャンプーの香りが華やかで気分が上がる。

 ちなみに俺の知ってる単語は一個もなかった。


「何?」

「いや、すげーやってんなーって思って」

「英語の小説が読みたいのに単語量が足りないから読むの大変でさ。ハリーポッターとかもう辞書読んでんのか本読んでんのか分かんなくなるし。覚えとこうって思って」

「そもそも単語知ってても読めんわ」


 どうやら勉強といってもテストのためではなく娯楽のためらしい。

 前言撤回、彼女の英語力は天性の賜物だ。許せん。俺にも寄越せ。

 それにしても読めない。例文すら俺の知ってる単語がない。というかアルファベット形がなんかきもい。


「何この単語帳。いやマジで何これ」

「ドイツ語の単語帳。哲学用語って元はドイツ語が多いからこれやったら初見の英単語も推測しやすいかなって」

「ウソだろ高二でトリリンガル目指してんのかよ!」

「一個自慢してもいい?」

「何だよ」

「韓国語も喋れる」

「チッ……」


 舌打ちをしてそっぽを向いて、ため息を一つ、単語帳に顔を戻そうとすると、丁度彼女が俺を振り返っていた。

 マスク越しに感じる暖かくて柔らかな感触に目を見張る。押せば強く押し返してくる弾力と、マスク越しでも感じるくっきりとした唇の感触に心臓が早鐘を打つ。

 彼女の目も大きく見開かれていて、長い睫毛が逆立ちしていた。

 心臓と時間が秒を打つ音が煩く響く。何度その音が鳴っただろう、廊下から足音が聞こえてきて、ようやく身体が動いて、俺は尻餅をついていた。


「ご、ごめん」

「い、いや、振り返った私も悪いから、えと……ねぇ、もっか――」


 ガラガラと大きな音を立てて教室の扉が開いた。


「おっはよー! お、相変わらず二人は早いねー! ん? どうしたの? 二人、キスでもしちゃった? ほだしんの尻餅は驚きの表現?」

「なっ――バカか! 俺が縫衣ぬいの椅子に足引っかけてずっころんだだけだよ!」

「だっさ」

「うるせぇ!」


 突然の部外者の襲来を切り抜けて俺はトイレへと駆け込み、事なきを得た。流石にその日は気まずい空気が流れたが、きっと明日には直っているだろうと。明日もう一度謝れば精算できるだろうと。甘い考えを胸にその日は寝た。



 *



 縫街麻衣ぬいまちまい。略称、縫衣、又は英語王。そして今日知ったことだがトリリンガル。

 得意科目は当然英語と国語。現代文よりも古文漢文の方が得意。苦手科目は典型的に数学と物理。

 快活ではないが、誰とでも仲良くなり、誰とでも遠足の班は組みそうだが、友達にランク付けするタイプ。俺はまぁまぁ上の方だと思ってる。肩を組むスキンシップが許されているぐらいだから。


 口数は多くはないが、喋り始めるとセンテンスが幾重にも重なって降ってくる。あと毒舌が少し混じっていて、本人は自覚がないからたちが悪い。


 身長はまぁまぁ高くて、俺と同じぐらい。

 柔らかな長い黒髪を後ろに流していて、細い目がいつもマスクの上で笑っている。鼻は高く――口の形は知らないが、柔らかさは知った。

 ふにふにしていて、でも深いところにはしっかり弾力があった。


 俺のタイプはもう少し小っこくてもっと明るいので守備範囲外。今日のキスでかなりドキドキしてしまったが、恋愛対象ではない。仲の良い隣の女子、という肩書きは変わらない。


 言い聞かせている、という自覚はなかったが、心の中にそう呟いた。



 *



「ほだしん、昨日はさ――」

「あぁ、縫衣ぬいごめん」

「あぁ、そうじゃなくてさ……」


 翌日の朝、いつもより遅めに学校に着くと、彼女、縫衣は開口一番そう切り出した。

 ほだしん、とは俺の愛称で、名字の『きずな』があまり好きじゃなくて、絆の別の読みの『ほだし』で読んでもらっている。

 謝ると、彼女は首を横に振る。首を傾げてみせれば、彼女は少し躊躇ってから、単語帳から目を覗かせ、しかし俺から目を逸らして、小さな声で言った。


「ほだしんがよければ……もっかい、してみない?」


 人生の転機とは何か。

 今となっては言うまでもない。俺にとっては、別にタイプでもない仲の良い女子が、恋愛対象になってしまったことである。








PS:次話に期待? しといて。いや、期待されても答える自信あんまないけど。

 ⬆︎に書いた通り、リハビリ。3/10までは書くはず。

 スプラ3のランク上げが忙しいから毎日更新したいけど厳しいかも。黒ZAP正義。でもサブは明らかにクイックボムのほうが良かった。吸盤ボムはインク消費激しすぎ。

 リハビリ:

 今日の失敗点:インク消費量を計算に入れないで敵陣に突っ込むから、エナドリ置く前にインク切れして、倒される。

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