3. 抑えられないもの

 婚約破棄を申し込まれてからは、何も話すことなく馬車の音だけが響いていた。

 あと5分もしたら私の暮らす屋敷に着くのだけれど、この気まずい空気のせいで永遠に感じられた。


 外の景色もすっかり見慣れてしまっているから、眺めていても何も変わらない。

 遠くに見える立派な屋根は中々近付かない。



「……ソフィア、今後についてだが、話しても良いかな?」

「ええ」


 声をかけられ、ケヴィン様に向き直る。

 目なんて合わせたくないけれど、無礼になってしまうから仕方なく。


「まず、近日中に会談を開いて正式に婚約破棄する意思を伝える。出来る限り僕が悪かったことにもする」

「ええ」

「ソフィアの名誉は出来るだけ守るつもりだ。それで許してもらえるとは思っていなけど……」

「分かりましたわ。では、今後は手紙でやり取りするということで宜しいですか?」


 私が問いかけると、彼は使用人から封筒を受け取ると私に差し出してきた。

 彼はここまで準備の良い性格ではなかったはず。少し気になったけれど、それだけ早く私との関係を切りたいのだと納得した。


「ああ。早速だが、これを伯爵に渡してもらいたい」

「分かりましたわ。出来るだけ早めに返事を出すようにしますわ」

「助かるよ」


 彼がそう口にすると、再び沈黙が訪れた。

 それに続けて馬車の音も緩やかになっていき、周囲の人々の喧騒だけがわずかに聞こえるだけになってしまった。



「お待たせしました。到着いたしました」


 ふと、御者台の方から気まずそうな声が聞こえてくる。


「分かりましたわ……」


 馬車を降りようとする私に、ケヴィン様は手を貸そうとしてくれた。

 でも、私は見向きしないで飛び降りた。


 転びそうになってしまったけれど、支えようとしてくるケヴィン様の手を振り払って門をくぐる。


「さようなら」


 学院があるから二度と顔を合わせないわけではない。でも、もう関わるつもりは無いから振り向きはしなかった。

 だから涙を零していることには気づかれなかったと思う。




 玄関の前で待っていてくれている侍女には見られてしまったけれど、彼女たちは私の味方だから気にしないことにした。

 でも、少しだけ恥ずかしかった。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま。いつも出迎えありがとう」


 いつも通りの会話を交わして玄関に入っていく。

 でも、それだけだった。


 それが気遣いの結果だって分かっているから、また涙が溢れてきてしまった。

 でも、何も言われなかった。


「お荷物、お持ちしますね」

「ありがとう……」


 無言で差し出されていたハンカチを手に取って涙を拭う。


 部屋に戻ってからは、しばらく人払いをしてもらった。

 もう涙を抑えられないと思ったから。


 

 ずっと彼に釣り合うように努力してきたのに。

 ずっと彼の要求にも応えてきたのに。

 ようやく努力が報われて、彼に認めてもらえたのに。


 どうして……裏切られたの……?


 

 胸がキリキリと痛んだ。

 溢れる涙は、抑えられそうになかった。


「私はこれからどうすればいいの……?」


 ケヴィン様のためにと日々努力してきた。

 けれど、それは無意味だった。


 そんな私に価値なんてない。

 両親は笑って許してくれたけれど、「これからは自由なんだ」と励ましてはくれたけれど。

 ――心の底では〝出来損ないの娘〟と思われていてもおかしくはない。


「結局、何も報われないのね……」

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