104 露悪




 ユーリィは体から力を抜き、だらんとソファに体を預け、言葉を続ける。




「あれさえいなければ、私はまだ姉さんと一緒にいられたんだよねぇ。生まれてこなければ」


「自分で作ったくせに何言ってるのっ!?」




 勇気を振り絞り、アミは声を荒らげる。


 するとユーリィは視線を天井から彼女に落とし、口だけで笑った。




「姉さんと私は結婚したの」


「はぁ? 何言ってるのよいきなり」


「小さい頃に、大きくなったらお嫁さんにしてくれるって約束した。私たちは大きくなった。だったら結婚するのは当たり前のことだよね?」


「それとカラリアが生まれたことに何の関係があるっていうのよ」


「結婚した二人の間には子供が生まれるものだから。それであの子を作ったのに……姉さんは逃げた」




 先ほどの話とは打って変わって、ユーリィは“逃げた”と断言する。


 だったらさっきの話は何だったのか――キューシーは警戒の意味も込めて、彼女を睨みつけた。




「わかってたよ。知ってたよ。知らなかったけど、知ってた。そう、私は気づいていた。カラリアが私と姉さんの子供だってわかったとき、姉さんは――心の底から絶望してた」




 両想いだと思っていた。


 姉妹を超えた愛がそこにはあるのだと。


 だから結婚を快諾してくれたのだと。


 しかし現実は残酷で。


 まだ幼かったユーリィは、その姉の表情を見て、はじめてユスティアに対して――“好き”以外の感情を抱いた。




「愛していたのに」




 ユーリィは天へ向かって両手を伸ばす。


 あの世にいる姉を求めるように。


 あの世にいる姉の首を絞めるように。


 そう、あの日、彼女の夢は壊れて。


 ひび割れて。




「愛し合っていたはずなのに、私との子供を拒んだんだ」




 その中から、どろりとした淀んだ何かが溢れ出した。


 まだ純粋だった頃の彼女の中身を、それが満たしていく。




「だから……そう、だから私はあの頃からずっと……姉さんに対して、他の一切の感情を灰にするほど燃え上がる愛情と、ぐつぐつと煮えたぎるような憎しみを、どちらも持ち続けていた。ああ、そっか。カラリアもそうなのかも! この感情、この気持ちっ! 姉さんに向けてるものと一緒なのかなあ!? だとしたら――だとしたら――やっぱり憎たらしいッ! 私の姉さんを汚すなカラリアあぁぁぁああああっ!」




 本来は両立しない光と闇。


 しかし現に、彼女の中にそれはあった。


 二十年――あまりに長い年月を、そのいびつな状態のまま過ごしたユーリィという人間の心は、ひょっとすると、もはや人ではない何かに変わっていたのかもしれない。




「愛と殺意ってね、紙一重なんだよ」




 彼女は首を傾けた。


 髪が揺れて、頬を撫でる。


 光の無い瞳が、キューシーとアミに向けられ、




「知ってた?」




 彼女は歯を見せて笑った。


 一拍置いて、キューシーは敵意を隠さぬ声で言い放つ。




「話を聞いてて、薄々そうじゃないかとは思ってたけど――あなた、やっぱり『世界ワールド』側の人間ね」


「何のこと?」


「しらばってくれても無駄よ。まともじゃないのよ、目つきが。自分のエゴのためなら、世界だって平気で滅ぼしそうな顔してるわ。メアリーとカラリアがいなくなって、わたくしたち二人なら勝てるとでも思ったのかしら?」




 今度は、肩を震わせ、声に出してユーリィは笑う。




「んふ、ふふっ、んふふふふっ……ひどい言われようだなあ。でも、そっかぁ、さすがにわかるよね」




 すぐにキューシーたちは彼女に攻撃するだろう。


 ユーリィもそれをわかっているはずだ。


 だがなおも、ソファに座ったまま動こうとはしない。




「キューシー、敵なんだね?」


「ええ……だから、先手必勝で潰すつもりだったんだけど――」


「私だって『運命の輪ホイールオブフォーチュン』で!」




 アミは勇ましく立ち上がり、体内から車輪を放とうとした。


 しかし、どんなに力を込めても、生み出すことができない。




「……あれ? 何で? 力が発動しない!」


「それがね、わたくしもなのよ」


「魔術が使えない……だったら!」




 アミはテーブルを乗り越え、ユーリィに殴りかかる。


 しかし十二歳の少女が細い腕で放つパンチなど、片手でだって止められた。




「人ってさ……儚いよね」


「何、こいつ……アルカナ使いなの!?」




 ユーリィは答えず握った拳を押し返す。


 アミはよろめき、後退り、ソファのところまで戻った。




「ほんのわずかな介入で、こんな容易く崩れ落ちる」




 パチン、と両手を合わせるユーリィ。


 するとキューシーとアミは、びくんと震え、脱力してソファに腰掛ける。




「愛も命も人も心も、何もかも、そんなものなんだよ。そう、私だってわかってる。みんなが言うんだ。変わったね、って。何歳だったっけ……今よりずっと昔の話。でもよく覚えてる。私の脳が命の素を失って窒息した日。確かに、変わったのかもしれない。誰のせいだろう。姉さんのせいだ。でもそうは思いたくない私もいて――」




 寂しげにそう一人で語りながら、ユーリィは首を掻く。


 ガリガリと、まるで肉をえぐるように爪を立て、血を流す。


 大量の血が白衣を汚し、なおも彼女がぐちゅぐちゅと傷口をえぐり続けた。


 やがてユーリィの体はどろどろに溶けていく。


 髪が抜け落ち、眼球が落ち、歯も溶けて――そして何もかもが消えてなくなると、次の瞬間、再び新たなユーリィが生えて・・・きた。




「私は、誰なんだろう。姉さんを失った私はどこを彷徨っているんだろう。ずっと探し続けている、二十年も。ずっと、ずっと」




 なおもキューシーとアミは、魂の抜けた人形のように座っている。


 だが少しずつその瞳に光が戻り、目を覚ました。


 ユーリィは、メアリーたちが出ていった直後の表情も再現して、まるで何も無かったのように口を開く。




「あーあ、残念だな。カラリアに逃げられちゃった」




 切れ目は自然に繋げられて。


 キューシーもアミもそれに気づかぬまま、会話を続ける。




「当たり前よ。あんな話をしておいて」


「お姉ちゃんもカラリアもすっごく傷ついてた」




 呆れ顔でそう指摘されると、




「怖いなあ、悪気は無いんだよ。ただ私は、真実を伝えたかっただけなのに」




 ユーリィはへらへらと笑ってそう言った。




 ◇◇◇




 職員に案内され、メアリーとカラリアは施設の地下に来ていた。


 階段を降りた先にある分厚い扉を開くと、広い空間に出る。


 空気は埃っぽく、長く誰も使っていないことが伺えた。


 職員が明かりをつけると、大掛かりな装置が並んだ部屋が現れた。




「ここが……ワールド・デストラクションが行われた部屋ですか」


「こんなものが十六年前に作られたのか。なるほど、確かに大金が注ぎ込まれているらしい」




 部屋の中には、さらにガラス張りの空間があった。


 外側から、その内側を監視できるような形になっている。


 主に複雑な装置が多く置かれているのは、“内側”のほうだ。


 大人が横になれるベッド、赤子が収まりそうなスペース――そしてそれらが歪み、千切れ、破壊された跡。


 生まれたばかりのメアリーは、本来、ここで『世界』を滅ぼす代わりに命を落とすはずだったのだ。




(……知っている。生まれたばかりだったのに、なぜ。いえ――ですがこの記憶は――)




 メアリーは手で顔を覆いながら、軽くうつむく。


 すると心配そうにカラリアがその顔を覗き込んだ。




「どうかしたのか、メアリー」


「……何でもありません」




 この曖昧な感覚は、今ここで話すべきことでは無いと思った。


 もっと確証が無ければ、カラリアを混乱させるだけだ。




「しかし……今となってはただ広いだけの空間ですね。なぜ残してあるんですか?」




 研究員はメアリーに聞かれると、あまり感情のこもっていない声で答えた。




「記念のようなものです。失敗したとはいえ、この施設が生まれたきっかけですので」


「それを決めたのは誰だ?」


「幹部の誰かだと聞いています。私もそこまで詳しくはわかりません」




 これ以上探っても、あまり得るものは無さそうな反応だった。


 カラリアとメアリーは視線を交わし、小さく頷くと、「もう十分です」と告げて部屋を出た。


 再び一階に戻り、少し歩いたところで、カラリアは足を止める。




「この扉はどこに続いているんだ?」


「そちらは研究棟です。セキュリティのため、登録された研究員しか通ることができません」


「これは……魔力登録式の自動開閉扉だな」


「はい――うっ!?」




 カラリアは素早く研究員の懐に入り込み、最低限の動きで腹に拳をめり込ませた。


 男は苦しげな声を出すと、そのまま崩れ落ち、意識を失う。




「……引いたか?」




 彼の体を支えながら、カラリアは不安そうにメアリーに尋ねた。


 その情けない表情に、思わずメアリーは吹き出し笑う。




「ふふっ。いえ、私もそうしようと思っていましたから」


「それは何よりだよかった」


「デートって言われたこと気にしてるんですか?」


「ち、違うっ! そうではなくてだな!」




 慌てて言い訳をするカラリアは、メアリーの目から見てもかわいらしい。


 年上の女性ではあるが、そういう一面があることも、一緒に旅をするうちにわかってきていた。


 カラリアは息を吐き出すと、気を取り直して話を続ける。




「私は、ユーリィ・テュルクワーズという人間をまったく信用していない」


「私もです。少なくともピューパは、二年前にマグラートを作っているはずなんです。ですが彼女は、そのことを一切話さなかった」


「知らないはずが無いな。まだまだ奴は何かを隠しているということだ」


「ええ、なんたって新型のホムンクルスですから。幼少期から研究に関わってきたスペシャリストが無関係とは思えません」




 ユーリィは嘘をついた。


 平然と、悪気もなく。


 その時点で、もはや彼女の語った話の信憑性はゼロになる。


 本当に知りたい情報を手に入れるには、強引な手段を使うしか無いのだ。


 だが手を出した時点で、もはや敵対は確定的。


 そしてここは“敵”の本拠地である。


 可能な限り素早く、事を終わらせる必要があった。


 カラリアは気絶した男の体を扉の前まで運ぶと、装置に手のひらを当てる。


 すると扉が開いた。二人は急いで中に入る。


 そこには何箇所も分岐した、奥まで続く廊下と、無数に並ぶ扉があった。




「ここからユーリィの部屋を探すだけで骨が折れそうだな」




 ため息交じりに言うカラリア。


 一方でメアリーは、扉の手前に放置した男を見つめていた。




「心配しているのか?」


「……『スター』が警告しています」


「その男をか!? まさか――」




 男は意識を失ったまま、ビクッと体を痙攣させた。


 散発的に、しかしその間隔は徐々に早まっていく。


 やがて震えは止まらなくなり、ぶちっ、ぶちゅっ、と白衣の下から異様な音まで聞こえてきた。


 ちょうどそのタイミングで、開いた扉が自動的に閉じる。




「天使……!」


「メアリー、こっちだ!」




 カラリアはメアリーの手を引き、相手に姿を見られる前に、近くの研究室に避難した。



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