第二章 世界は嘲笑する

068 自分へのご褒美

 



 誰も居ない山奥で、髪の長い男は剣を振り下ろす。




「フランシス様ッ!」




 鋭い剣筋は空を断ち、瞬間的に真空状態を作り出すことで、風の刃を飛ばす。


 ゆえに斬撃が繰り出されるたびに、遠くの木が切断されていく。




「フランシス様ッ!」




 すでに彼の周囲に樹木はなく、かなりの時間それを続けていることが見て取れた。




「フランシス様あぁぁッ!」




 そう叫ぶ彼の声に込められた感情は、怒りと憎しみ。


 この世でただ一人、何があっても守りたかった人を失った嘆きである。




「フランシス様ッ! フランシス様ッ! ああっ! あああぁぁあああっ!」




 がむしゃらに振り回しているように見えて、やはり刃の軌道は整っている。


 王国軍将軍、オックス・フォードブルという男は、二十年以上ひたすらに剣の道をひた走ってきた。


 ゆえに心は乱れようとも、体に染み付いた動きが、勝手に剣筋を修正してしまうのだ。


 剣の乱れは心の乱れと、師にはよく言われたものだが――もはやその領域すら脱してしまった。


 ただただ、それが悲しい。




「なぜだ……なぜ、乱れない。僕は心から悲しんでいるはずじゃないか、フランシス様の死をぉっ!」




 フランシスの死の報せを聞き、この無力感を発散すべくオックスは山に入った。


 しかしひたむきに剣の道に邁進してきたことが、その発散すら許さなかったのである。


 この感情をどこへ向ければいいのか。


 いっそ、王女を手にかけた王でも殺してみるか。


 そんなことすら考えたとき――先ほどまで誰もいなかった視界に、突如としてローブを纏った何者かが現れた。




「誰だッ!」




 剣を向ける。


 その小柄な人物は、顔を仮面で覆っており素顔が見えない。




「あたしはディジー。ヘンリー国王に仕えるアルカナ使いさ」


「貴様ああぁっ!」




 オックスは剣を振るう。


 ディジーは少し慌てて転移の杖セプターを握ると、彼の真横へとワープした。




「おっとぉ、待ってよオックス将軍。あたしは戦いにきたんじゃない」


「聞いているぞ。国王が差し向けたアルカナ使いがフランシス様を殺したとな」


「確かにあいつはあたしの関係者さ」




 オックスは、再びディジーを斬りつける。


 彼女は避けたつもりだったが、転移は間に合わず、腕をわずかに切られたようだった。


 ローブに血がにじむ。




「あいたたた……ひどいことするなあ。あたしはお得な情報を持ってきただけなのに」


「フランシス様を殺した貴様たちから聞く話などないッ!」


「そのフランシスサマに関係ある話なんだけど」


「何……?」




 明らかに態度が代わり、ディジーは思わず笑いそうになった。


 メアリーとは違う方向性で、彼はフランシスのことを慕っているらしい。




「知ってるよね、メアリーの『死神』って能力」


「ああ、聞いている。それが何だと言うんだ」


「ならこの話は知ってるかな。アルカナ使いは死の間際、その特性と真逆の能力を発動することがある――って話」


「知らない話だな」


「あるんだよ、そういうのが。ピューパでも確認されてる。だからさあ……生と死。破壊と再生。こう言ったらわかるでしょ?」


「まさか――」




 オックスは意図を理解し、目を見開いた。




「そう、メアリーを殺せば死者が蘇る。きっと彼女はそのとき、こう望むと思わない?」




 ディジーは彼が興味を示したことを確信し、仮面の下で冷たく笑った。




お姉様フランシスを蘇らせてほしい、ってさ」




 ◇◇◇




 キャプティスを出てから数時間――キューシーの運転する車は、荒野を走っていた。




「このあたりは草も生えてないんだねー」




 アミは食い入るように、空けた窓から外を眺めている。


 彼女と一緒に後部座席に座るメアリーは、そんなアミの話し相手になっていた。




「そうですね。農業にも向いていない地域のようです」


「それでも住んでる人はいるみたい。何を育ててるんだろ」


「乾いた大地でも育つ作物……何でしょうか」




 メアリーが考え込んでいると、キューシーが運転しながら答える。




「ろくに育たないわよ。このあたりに暮らす人たちは、ほんと生きてくので精一杯ってところでしょうね」


「私の家より貧乏ってこと? いや、私たちも精一杯だったけど」


「貧乏というよりは、他の村から追い出されたとか、犯罪やらかして村に住めなくなったとか、そんな人間じゃないと暮らさないわよこんな場所。だって、領境だって近いのよ?」




 どうやらここで暮らす人々は、格差とはまた別の意味での問題を抱えた人たちらしい。




「さっきから戦闘の形跡がちらほらと見えるな。王国軍はここまで入り込んでくるのか」




 助手席のカラリアが問うとキューシーは不満げに答えた。




「過激な連中がたまにね。王国軍なんだから、スラヴァー領に入ったって問題ないだろって主張して入ってくるんですわ」


「スラヴァー軍の兵士が村に入ってくるときみたいだね!」


「……アミはたまにぐさっと突き刺さることを言うわよね」


「間違ってたかな?」


「いいえ、正しいからキューシーさんは褒めてくれてるんですよ」


「なーんだ、キューシーは素直じゃないなぁ」


「違うっつうの! というかメアリーも乗っからないでよ、止める人がいなくなるじゃない!」


「私がいるぞ」


「あんたはむしろエスカレートさせるほう!」




 もはやキューシーの味方は誰もいなかった。


 とはいえ、そんなやり取りを彼女も楽しんでいるようで「まったく」とぼやきながらも、表情は決して暗くない。


 そのまま荒野を突き進むと、徐々に緑が増え始め、やがて前方に横一列に延々と続く柵が見えてきた。




「あれが領境か」


「兵士さんもちらほらいるね」


「これでも減った方よ。大半の戦力をキャプティスに戻したみたいだから」




 と、そこでキューシーはふいにハンドルを切った。


 道路を外れて、ガタガタの平野を車は走る。




「キューシーさん!? 急にどうしたんです?」


「わたくしたちが正規のルートで出られるわけないじゃない。柵の向こうには王国軍もわんさかいるのよ?」


「別ルートを確保しているのか。それにしては、やり方が雑すぎないか」


「時間が無かったんだから仕方ないでしょ! ま、念の為ってことよ。王国軍だって、フランシスが死んだって話を受けて混乱してるでしょうし」




 ここに来る前、休憩で立ち寄った魔力スタンドで、メアリーたちはラジオを聞いた。


 そこではフランシスの死、そしてメアリーやエドワード・・・・・の活躍が語られていたのだ。


 すぐにフィリアスの仕業だと理解した。


 もっとも、メアリーが損するわけではないし、そうなることをわかった上で、情報を渡していたのだが。




「ゆぅれぇるぅ~~っ」




 アミはガタガタと上下する車の揺れに合わせて、声を震わせた。


 メアリーですら酔ってしまいそうなほどだが、彼女はそれを楽しんでいるようである。


 元々、アミは故郷から出たことがなかった。


 たとえそれが荒野であろうと、見える景色の全てが新鮮なのだろう。


 メアリーもメアリーで、嫁ぐときに見た光景を、今度は引き返している――そう思うと、自分が後戻りできない方向に進んでいると実感できて、胸が高鳴る。


 そして車は、これまた雑に開かれた柵の隙間を通り抜ける。




「スラヴァー領を出たわよ」


「……あっけないですね」


「境目なんてそんなもんですわ」




 特に感慨があるわけでもなく、車は柵を通り過ぎていく。


 だがアミだけは――リアガラスの向こうに遠ざかる風景を、じっと見つめていた。




 ◇◇◇




 景色は移り変わる。


 領境を越え、再び道路に復帰すると、アミは開いた窓から流れてくる空気をすんすんと嗅ぐ。




「変な匂いがする」




 それを見て、メアリーも一緒に窓際に体を寄せて匂いを嗅いだ。




「ああ、海の匂いですね」


「海? この先に海があるの?」


「そうか、この先にあるのは王国屈指のリゾート地だったな」


「ユークム海岸……ですね」




 まだ幼い頃、家族で訪れたことを思い出し、メアリーの表情が曇る。


 一方でハンドルを握るキューシーは、少し自慢気に語った。




「実はここにもマジョラームが経営するホテルがあるのよ、今夜はそこに泊まるわ」


「今夜も何も、まだ昼を過ぎた程度の時間だぞ」


「もしかして海で遊んでいいの!?」


「……まあ、そういうことよ」


「やったぁーっ!」




 喜び余って、メアリーに抱きつくアミ。


 メアリーはそんな彼女を抱きしめて、顔を合わせて笑った。




「旅行じゃないと言っていたのはどこの誰だったか」


「仕方ないじゃない。日程に余裕がありすぎるのよ。それに、敵を迎え撃つなら自分たちに有利な場所のほうがいいでしょう?」


「マジョラームのセキュリティか……」


「何か文句あんの!?」


「いや、特には」




 前ではカラリアとキューシーが微妙な距離感で会話し、後部座席ではメアリーとアミが抱きつきながらじゃれあう。


 そうこうしているうちに、ユークム海岸が見えてきた。




「うわあぁぁ……これが海っ!」




 目をキラキラと輝かせるアミ。


 その瞳には、エメラルドグリーンの広大な海が映っていた。


 海面は陽を反射して宝石のように煌めき、打ち寄せる波の音が心地よく耳に響く。


 慣れない匂いも、この景色とセットで見れば、風情だと感じられる。




「海岸も砂が白くて綺麗ですね」


「塩みたい!」


「ふふふ、塩は海の方ですよ」


「あの水、本当にしょっぱいの?」


「ええ、飲み込んだたら大変なことになってしまいます」


「うわー! 一回だけ飲んでみたーい!」


「怖いもの見たさですね」




 アミとメアリーは、海を前に盛り上がる。




「これだけの人間がいる観光地だというのに、よくこの美しさが保てるものだ」


「ゴミの持ち込みとか結構厳しいのよ、違反すると罰金だから」




 一方でカラリアとキューシーは、何ともロマンのない話をしていた。




 ◇◇◇




 豪華なホテルや別荘が立ち並ぶユークム海岸。


 そのうちの一つが、キューシーたちの目的地だった。


 駐車場に車を停め、中に入る。


 従業員が総出で迎えた。


 社長令嬢が泊まりに来るというのだ、相当な気合の入りようだろう。


 もっとも、今回は視察する余裕など無いので、気合を入れられてもその大部分はチェックされることなく終わるだろうが。


 メアリーたちは荷物を渡すと、客室がある場所とは違う棟へと案内された。


 向かった先は、宴会などに使用される広間だった。


 そこにはずらりと、ハンガーでかけられた水着が並んでいる。




「うわわわわ……お姉ちゃん、これっ! これ全部水着っ!」


「すごい量ですね……」


「……到底、旅行を否定した人間が用意させたものとは思えないな」




 さすがに呆れ顔のカラリア。


 キューシーは慌てて弁明した。




「違うのよ! 選べるようにいくつか用意しておいてくれって言っただけなのよ!」




 もはや否定できる要素がない――これは完全にバカンスであった。



 

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