第33話 大したものだと言いたくなる
屋根の上を全力で駆け抜けた。
オルランドはそのまま風と同化する。
まだわずかに魔物の声はするが、ほぼ狩られたらしく中庭の喧騒はおさまりかけていた。
もたもたしている暇はない。
双剣持ちよりも早くミレーヌを保護する必要があった。
疾走する速度はそのままで、右手に剣をかまえる。
まっすぐにミレーヌを入れた鳥かごに向かう。
そのまま周囲に群れている魔鳥に突っ込んでいくと、覚えたばかりの奥義技で簡単に切り落とした。
コツさえつかめば、このぐらいなんてことないとニヤリと笑う。
実際は見たものをそのまま再現するだけで驚愕に値する。
鍛錬を重ねても奥義を得ることは難しいので、秀でた戦闘センスの片鱗を見せていた。
特徴は空を飛ぶことぐらいで、魔鳥の知性は低いのだ。
オルランドからしてみれば、魔物としては弱い部類である。
声や匂いに反応するだけだし、くちばしや爪は鋭いが、速度や動きも普通の人間でも捉えられる程度なのでたいしたことはない。
集団行動をとるのは厄介だが、首を落とせばあっさり死ぬ。
鉤のついているロープを胸元から取り出す。
左手でヒュッと投げ、ミレーヌのいる鳥籠の檻の上部に引っ掛ける。
勢いはそのままで屋根から飛ぶと、遠心力を利用して周囲を一回グルリと回る。
器用に宙を舞って、周囲にいる魔鳥も切り落とした。
邪魔な魔物を全て滅ぼすと、檻に捕まって扉を開けて中に入る。
「来てくださったのね~遅いですわよ~」
オルランドが現れたので、ミレーヌは安心したようだった。
半べそだが、助けが来たと純粋に喜んでいる。
ミレーヌの涙でグズグズの顔に、はぁとオルランドはため息をついた。
ミレーヌが思うような理由で助けに来た訳ではなかった。
だけど、喉まで出かかった否定を飲み込んだ。
この思い込みや勘違いが役に立つとしか言いようがない。
頼まなくても有利な証言をしてくれそうだが、なぜだろう?
ものすごく落ちつかず、気持ちのモヤモヤが残る。
「なんで僕を呼ぶかなぁ? 下に双剣持ちが何人もいるのにさ! わかってる?」
とりあえずオルランドは文句を言った。
呼ぶにはもっと相応しい相手がいるだろうとブツブツとこぼした。
「よかった本物ですわ」
悪態をつくから夢ではなかったと、安心したようにミレーヌはにじむ涙をぬぐった。
「誰か下にいますの? わたくしには見えなくて」
そこで初めて夜目が利かないのだとわかった。
なるほどねとオルランドは肩を落としながら、ミレーヌの胴の綱を切った。
「月明かりや星だってあるだろ?」
「だって、だって、下は下で悲鳴だのうなり声だのでいっぱいで、怖くて覗けませんし。ずっと檻を危ない鳥が囲んでいますのよ? ここから動ける訳がありませんわ」
メソメソしながらミレーヌが言い訳をたくさんしているので、オルランドはわかったわかったと適当にうなずいた。
紐で支柱に縛り付けていたので、確かに簡単に下は見れないだろう。
そう思うことにした。
「降りるからジッとしてよ」
言い聞かせて、ミレーヌを軽く肩に担いだ。
自分よりずいぶん小柄な少年に持ちあげられて、ミレーヌは戸惑った。
中肉中背でコロコロと表現される身である。
釈然としない思いもあるが、成人女性だからそれなりに重量がある。
「重くありません?」
思わず聞いてしまい、オルランドには苦笑されてしまった。
そういう生まれだからこそ死神と呼ばれたのに、ミレーヌはまったくわかっていない。
人間の一人や二人、片手で充分だった。
だから、軽く流した。
「この状況でそれだけ言えるなら余裕があるね」
ヒョイと空中に身を躍らせる。
落下するとミレーヌは悲鳴を上げたが、グンッと身体が浮き上がった。
オルランドは器用に鉤のついたロープを投げると、建物の窓枠に引っ掛けて宙を舞う。
振り子のように大きく揺れながら次々と鉤の位置を変えて、要塞の端から端へと空を飛ぶように、少しづつ下へ移動していく。
ビュウビュウと過ぎていく景色と風の音の激しさに、ミレーヌは目を回しそうになっていた。
ギュッと目を固く閉じて、まだ細い少年の肩にしがみつく。
吹きつける風の強さに、息が苦しい。
それでも感覚で、次第に地面が近づいているのだけはわかった。
トンと軽く着地したのがわかった。
ミレーヌが目を閉じているうちに、ゆっくりと地面に下ろされた。
空にいたのはほんのわずかな時間だったが、ミレーヌはフラフラしてしまう。
なんだかまだ空にいるようで、足を突っ張ってもまっすぐ立てなかった。
ミレーヌは半分目を回していた。
宙づりならまだしも、空を飛ぶなんてありえない。
気持ち悪いと声を絞り出すので、オルランドは肩をすくめた。
「もう、仕方ないなぁ」
手を貸そうとした、そのとき。
不意に迫った気配があり、オルランドは本能的に後ろに飛ぶ。
だが、遅かった。
グイッと首根っこを捕まえられ、そのままドスッと地面に倒された。
一瞬の出来事だった。
転がって逃げようにも、ドッカリと人が背中の上に乗る。
うつぶせに地面にはいつくばったまま、オルランドは微動だにできない。
気がつくと右手の剣は簡単に奪い取られて、腰の鞘に戻されていた。
あっというまに、首輪までかけられた。
ただ、それ以上手荒なことはされなかった。
かわりに上に乗った人物は、ドンと全体重をかけて背中に馬乗りだ。
体重差だけでなく、力にも歴然とした差がある。
関節をとられてもいないのに、全身に力が入らない。
オルランドは一寸も動けず、もがくことしかできなかった。
唯一自由な口で、クッソ~と呻くしかない。
「よぉ、死神。初めましてだな」
聞こえたのは愉快そうな男の声だった。
クックッと笑いをふくんだ声は、ラクシとは全く違った。
それでもラクシと対面した時と同じぐらい、自分との力の差を感じた。
本当にミレーヌ係もいたのだと、ジタバタするのをやめてオルランドはため息をついた。
さすがに使徒は出し抜けなかったと思う。
こうなったら隙を見つけて逃げることはできないだろう。
繋がれた首輪を引っ張り、指先で触れてみると継ぎ目一つないので、これは魔法街の特製品だとがっかりした。
剣で斬っても外れない。
「お兄さん、太りすぎだね。重いよ」
唯一口が自由だったので、精一杯の反抗で文句をたれる。
オルランドは憮然としていたが、かけらもおびえていない。
間違っても捕縛された犯罪者の態度ではなかった。
その図太さがおかしくて、キサルは笑いだす。
「上等だ、ただのガキにしとくのは惜しい。死神、お前、オルランドって名前なのか?」
ミレーヌはすぐに発見できたが、救出に向かわなかったのはそのせいだ。
彼女があまりに「オルランド」「オルランド」と名を連呼するので、誰のことか理解に苦しんだのだ。
もちろん自分たち双剣持ちのことではない。
かといって砦の中に、ミレーヌの味方になるような人物がいるとは思えなかった。
更に言えば、本物の現世と神を繋ぐ使者が現れる訳もない。
誰のことだ?
想定外のことが起こっているのなら、確かめて対処しなくてはいけない。
そんなふうに考えて待っていた。
檻もたいそう頑丈で安全は確保できていたから観察していたが、出てきた少年にポカンとした。
まさか、誘拐犯と仲良くなっていたとは!
驚くのを通り過ぎて感嘆してしまった。
誘拐犯自身に身柄の保護までお願いするなんて、愉快でたまらなかった。
ミレーヌ様はやはり偉大だ。
「まさか、オルランドなんて大仰な名を聞くとは思わなかったぞ! 小僧、自分でその名を選んだのか? 死神よりも図太くて大した神経だ」
アッハッハッとキサルが腹を抱えて笑うので、オルランドは眉根を寄せてしまった。
どちらも好んで得た名前ではなかった。
「そこのお姉さんが、勝手につけたんだよ」
首だけ動かしてミレーヌを見ると、喜びに跳ねながら満面の笑みでいた。
まだ空には魔鳥もいて、あちこちで魔物の声もするのに、すっかりナチュラルな笑顔に戻っている。
嬉しいですわ、なんて指を組んでいた。
「キサル、来てくださったのね! あの、その子は悪い子じゃありませんのよ? いい見本が周りに一つもなかっただけですの。本当よ?」
誰が現在の状態を招いたのか、ミレーヌはコロッと忘れているようだった。
「魔鳥に囲まれても戻ってきてくれたし、いじめないでね」と、笑顔でお願いする。
「あの、小さな子供ですから、殺さないでくださいね」
上目使いにお願いされ、ハイハイとキサルは愛想よくうなずいた。
十三歳がほんの子供とは、ミレーヌ様はやっぱり大物だと思う。
死神は大人と子供の微妙な年齢で、サイズはやせて小ぶりでも大人と変わらない。
むしろ辛酸をなめて生きているだけに早熟だろう。
ヴィゼラル帝国やスカルロードで花街に普通に出入りしている話もキサルは知っていたが、カナルディア国育ちの下町娘では思いつかないらしいと想像するばかりだ。
オルランドが戻ってきたのも、どうせ自分の罪を軽くするためだ。
他に理由はない。
あんまりわかりやすい行動だったから、オルランドの頭を小さく小突いた。
しかし、言葉には出さなかった。
悪知恵の働く素行がなっていない子でもミレーヌが懐くぐらいだから、根っからの悪人とは言い切れないのだろう。
それだけに性質が悪いのだが、利用する方法もあるしここでは黙っておく。
「そうですか。本当はいい子なんですね~それなら立派に育つように、しつけが必要だ」
ウンウンとうなずいて適当に話を合わせておいた。
「とにかく無事で何より。ミレーヌ様、しばらくこの子を預かってもらえますかね?」
「もちろんですわ。オルランドがいれば怖くありませんもの。優しい子でしてよ? でも、いい見本が目の前になければ、ガラルド様のような困った大人になってしまいそうですの」
「確かに! 困った大人が増えるのは勘弁だ」
アッハッハッとキサルは笑う。
のんきなようでもミレーヌが、鋭いところを突いてくるのでおかしかった。
死神をほったらかしにしておけば、ガラルドよりも他人に迷惑をかける大人になるのは間違いない。
オルランドの首輪は犬の散歩綱のように細い紐がついている。
紐の先に手首に巻く止め具があった。
キサルの手によって、ミレーヌは左手首に止め具をつけてもらう。
革製で細かい文様があり、オシャレな腕輪みたいと素直に喜んだ。
ようやく身体の上からキサルがどけたので、オルランドは地面に胡坐をかいて座った。
無駄とは知りつつ、グイグイと首輪を引っ張ってみる。
皮に見えても継ぎ目すらない魔法がかかった品で、異形をつなぐ特注品だった。
魔物や精霊だって自力での解放は不可能だ。
僕は人間だぞと心の中でぼやく。
逃げるならミレーヌを担いで遁走することになるが、一生つながったままなのはゴメンだった。
これでは首輪から解き放たれるまで、ずっとミレーヌの犬でお散歩状態である。
思い切り非戦闘員の飼い主と繋がっているから、この不自由な状態でも自分が善処するしかない。
マジかよ。
襲われたらお姉さんを担いだまま、戦わなくちゃいけないじゃないか。
汚い真似しやがって。
本格的に肩を落とした。
オルランドが口の中でブツブツとつぶやいている間も、キサルとミレーヌは日常そのままのほのぼのした調子で会話をつづけていた。
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