第21話 東洋太平洋戦
“いつ息してるんだろう”佐藤は流れるように言葉を並べ立てるいいたおしの呼吸法に興味津々であった。
「さあ、試合は折り返しのラウンドを過ぎ、第七ラウンドに突入であります。それにしても最初は端麗な容姿もあってか、赤居への応援が多かったのが、今はグラッチェへの声援の方が多くなっています。グラッチェの華麗な技のレパートリーに、会場に居るボクシングファンが魅了されたか。あ~っと、これは凄い。なんとも堅い『ブロッキング』であります。両手を顔の前で曲げ、垂直になるようにして赤居の連撃を防ぎます」
先程まで真面目ぶっていた佐藤だが、少しくらいならと、ここで変顔をし始める。翌朝のスポーツ紙の隅の方に、解説者の顔としてこのシーンが載ることを知っていたら、この行動は取らなかったことであろう。
「赤居選手はなんだか“圧力”のようなものを受けているように見えますね。凄くやり辛そうにしています」
その“圧力”について佐藤がここぞとばかりに解説を加えようとしたが、途切れることなく発せられるマシンガントークを前に、話に割って入る隙がない。
「第八ラウンド、これは本当に十七歳の、ほんの九ヶ月前にボクシングを始めた選手とキャリア十八年のチャンピオンの試合なのでしょうか。俄(にわ)かに赤居がグラッチェを押し始めております。これは試合前の負ける『姿』が想像できないと言う発言もハッタリではなかったということでしょう。あ~っと、赤居の右ストレートに対し、グラッチェの『ヘッドスリップ』であります。これは相手のパンチを頭を滑らせるようにして避けるテクニックであります」
“それだけじゃないんだって“佐藤は発言したかったが、湯水のように湧き出るいいたおしの言葉の雨を、掻い潜るだけの術がないことを悔やんだ。
「おや?赤居、どうしたのでしょう。勢い余って『たたらを踏んでいます』そして攻勢に転じることができないまま、第八ラウンド終了であります」
ラジオで競馬中継を聞いている時のように、佐藤は前のめりになってタイミングを伺っていた。
「第九ラウンド開始。赤居は、大きく大きく振りかぶるように左ストレートを出しております。これにはグラッチェも堪らず『クロスアームガード』で応戦します。左手を横にして前に、右手を縦にして後ろに構え、さらに守りを堅くします」
結局佐藤はこのラウンドも全く発言できないまま置き物のようにその場で固まっていた。
「いよいよ終盤、第十ラウンドであります。グラッチェなんと今度は『カバーリングアップ』であります。『カバーリングアップ』とは、両腕で顔面と身体を完全に防御することであり、しばらくこの状態だと闘う意思がないものと看做され、反則やカウントを取られるものであります。そしてグラッチェのこの技は特に、ファンからは通称『幻の岩』と呼ばれ、この鉄壁の防御が彼の代名詞となっております」
“すげえ詳しいな。俺もそこまでは知らなかったよ”
いいたおしの余りに博学なところに、佐藤は素直に感心した。
「さあ赤居、グラッチェの『幻の岩』を果たして打ち砕くことができるのか。岩の鎧が頑なに赤居の攻撃を寄せ付けません」
そして明が攻略法を思案している間に、このラウンドは終わりを告げた。
「出ました~。拳を天高く突き上げる『グラッチェポーズ』です」
明の攻撃を完璧に退けたことに対する喜びの意、審査員に対し自らが優勢であるとアピールするという意。このポーズにはその二つの意味合いが込められていた。
「さあ残すところ後二ラウンド。第十一ラウンドの開始であります。赤居の強烈な右フックに、グラッチェは返す刀でこれまた激烈なカウンターをお見舞いしております。単調な拳は、カウンターパンチャーの大好物であります。意識してフックを打たせていたのは、カウンターのための呼び水でありました」
“よくこんなにポンポン言葉が出て来るな。酒飲んで酔っ払ってるみたいだ。まあ俺は飲んでもこんなに喋れねえけどよ”
非常識な話ではあるが、佐藤の見立ては正解であった。よく口が回るようになるため、テレビ局の上層部からは半ば黙認されているような話だが、このオヤジは仕事の前に一杯ひっかけて来るのが習慣になっていた。
「ヒット、ヒット、ヒット、ヒット、ヒット、ヒット、ヒット、ヒット、ヒット~」
狂った九官鳥のように同じ言葉を繰り返すので、佐藤は笑いを堪えるのに必死であった。
「激闘の末、ファイナルラウンドに突入であります。世界戦では十五ラウンドありますが、東洋太平洋タイトルマッチでは最長のラウンドとなっております」
いいたおしは額の皺に汗を滲ませ、最後の追い込みとばかりに喋っている。ラジオで観戦している人にはもう、佐藤が居るのかどうか分かっていない。
「うわ~、決まった~。グラッチェの勢いに乗ったカウンターに対し、更にカウンターを合わせる『クリス・クロス』だ~。先程から高等技術の応酬です。しかも、普通の型とはどこか違っているように思えます。グラッチェ立てるか。どうなるグラッチェ。いや、立てません。レフェリーが両手を上げ、交差させるように手を振って試合を止めました。赤居やりました。十七歳にしてなんと東洋太平洋チャンピオンの栄冠に輝きました。素晴らしい偉業です。この年齢での達成は、同じジムの五十嵐 敬造でさえ成しえなかったこと。本当によくやりました」
その素晴らしい功績を、いいたおしと佐藤が称えた後、五十嵐と秋奈がリングに上がって明に駆け寄る。
「おめでとう、明くん」目に涙を浮かべながら秋奈が賛辞を送る。
「ケチのつけようがない試合内容だった。お前のセンスには恐れ入ったよ」
五十嵐にこうまで褒められると明も素直に嬉しくなってくる。
「ありがとう、おっさん、赤城。今日は納得のいく試合だったぜ」
初のタイトル奪取に、明はご満悦の様子だ。
「よもやこの二ヶ月間で、あの技をここまで完成させるとはな。『クリス・クロス』と『クロスクリュー』の二つを足して差し詰め『クリス・クロスクリュー』と言ったところか。見事な勝利だったよ」
五十嵐は自分のことのように誇らしげな表情をしていた。
「ああ、これでやっと大きく世界に近づけたって訳だな。みんなには本当に感謝してるぜ」
明は硬派な性格のため、普段はわりと堅い表情をしていることが多いのだが、この時は珍しく表情が緩み切っていた。
「せっかくタイトルホルダーになったんだし、『ちょっと良いお店』で祝勝会を開こうと思うの。店ももう予約してあるんだから。ほら、早く行こうよ!」
興奮した様子の秋奈を、幼い子供を見るように眺めながら、一行は雷鳴軒での宴会に向かって歩き始めた。
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