第29話 じゃじゃ馬ならし
魔術ギルドとは、トゥーラモンドで使われているあらゆる魔法の管理・保全を行う国際機関だ。
ギルドのリュゴー騎士団領支部はここ、オルカナ王国との国境近くにあった。
かつて辺境警備を担っていた古城は、現在カミーユが身柄を保護されている場所でもある。
「おはようオッサン。さすがに今日は手紙来てるよね?」
「届いてないぞ」
即答するのは、仏頂面の保安員。カミーユと同じ、頭に一本角を頂くリコルヌ族のセルジュ・カルヴァンだ。
「あんにゃろう、一ヵ月も連絡なしかよ……!」
「帝国の
セルジュは、カミーユの焦燥をよそに話を進めた。
ここ数年の間、各地でやりたい放題の
具体的な活動内容は、書庫での資料整理や施設内の清掃、たまに付近の魔物退治の手伝いなどである。
「また掃除かよ! つまんねー!」
「そうむくれるな。そのつまらん仕事も今週で
カミーユの〝刑期〟も終盤を迎えていた。だが、終わるなら終わるで、このまま何事もなく自由の身というのも寂しくはある。
「どうせなら外回り連れてってよー。最後ぐらい派手に暴れたい――」
その希望は早くも叶えられそうだった。
玄関ホールに駆け込んでくる足音が、新たな騒ぎを予感させる。
「保安部長! 報告……よろしいでしょうか」
魔導士然とした若い保安員がセルジュに、次いでその隣に立つカミーユに目をくれる。
「構わない。話してくれ」
「平原に異界の『扉』が……
*
要するに、世界のどこかで強力な――異界とのつながりが生じてしまうほどの――空間の歪曲現象が起こったのだ。
それが霊脈を通じて、遠く離れた別の場所にも影響を及ぼした。
ギルドの観測によれば、影響元ははるか東方、イムガイ国方面との見方が有力だった。
(イムガイかぁ……ケンジたち大丈夫かな……)
カミーユは、調査名目で現場へ向かうセルジュの助手として同行していた。
「ぼうっとするな。森を抜けたら即戦闘になる可能性もある」
戦力はたったの二人。戦場となるであろう平原は目と鼻の先だ。
「わかってるよ。あたしだって自分の身ぐらい守れるし」
「頼もしいことだ。いいか、絶対にこちらから挑発はするなよ」
そう釘を刺すと、セルジュは自分の傍らに水の乙女オンディーヌを召喚する。
カミーユもそれに
「多くて三十体だっけ?」
「全体でな。ほとんどは北側の部隊が引きつけてくれているはずだ。我々は
「部隊って……むこうも三人ぽっちじゃん」
「人員不足だ。贅沢を言うな」
「へーい」
北上を続けて間もなく、木々がまばらになる。
視界が開けてきた。そう思った矢先、前方から二つの人影が飛ぶように接近して来るのが見えた。
角と飛膜を生やした、赤黒い人型の怪物。
「下がっていろ」
セルジュたちが前に出る。分厚い水壁が出現し、飛び込んで来た二体の悪魔を防ぎ止めた。
「〈
踏みとどまった一体を、高速落下した水塊が撲殺する。
大きく撥ね飛ばされたもう一体は、シルフィードの射線上だった。
「行けぇ! 〈
カミーユの求めに呼応し、吹き荒れる緑風の刃が敵を寸断した。
「何だ、楽勝じゃん」
「たしかに。どうも弱っている様子だった」
「そうなの?」
「気のせいかもしれん。こうして悪魔と遭遇すること自体
答えながら、セルジュは悪魔の角や飛膜の破片を手際よく回収している。
「ふぅん……そもそも
「さあな。確かなのは、今それを考えている場合ではないということだ」
カミーユたちは歩みを早めた。
『扉』が近づくにつれて、空気中に漂う闇の元素が活発になるのを感じる。
闇の活性は、魔物が凶暴化する原因ともなる。依頼なしには動けない烈士組合に先んじて、魔術ギルドが速やかに事態の収拾に向かうべき理由だ。
「さて、現場到着だ」
「あれが『扉』……?」
だだっ広い草原の真ん中に、光を屈折して揺らめく水面のようなものが浮かんでいた。
その周りを二十体ほどの悪魔が飛び回り、三人の魔術士たちに攻撃と離脱を繰り返している。
親玉らしき存在は確認できない。烏合の衆だが、数は脅威だ。
「助けに行かないと!」
「いや、ここからで充分だ」
セルジュは、オンディーヌとともにその場で両手を大きく掲げた。
二人の頭上へ、見る見るうちに膨大な水が集積していき、見上げたカミーユの視界を覆い尽くすほどの大渦を作り上げる。
「極大魔術!?」
「見せてやる――〈
すぐさま一掃されるかに思えた悪魔の軍勢であったが、一体だけ範囲外へと逃れた者がいたのを、カミーユは見逃さなかった。
「ん!? アイツはあたしらに任せろぉ!」
「待て、深追いするな!」
セルジュの制止も聞かず、カミーユはシルフィードの追い風を受けながら逃走者を追って行く。
追いついた地点は、森の手前であった。
「捕まえ…………た――っ!?」
突如、木陰から伸びた巨大な手が悪魔を掴み取り、上方へと運んで行く。
バリバリという
血走った両眼が、次なる
(ヤバい……凶暴化して――)
「嬢ちゃん、そこを動くなよ」
前方から発せられた声に、カミーユは思わず立ちすくむ。
俄然、オーガの巨体が真っ二つに断ち割れ、その後ろから
(むっ……!? ワイルド系イケおじ発見!)
屈強な体躯に、竜の角と尻尾――
「間に合ったようだな」
後ろからセルジュの声がした。問いただすまでもない。正面の戦士は、彼があらかじめ呼んだ助っ人だろう。
二人の男は平然と言葉を交わす。
「デカブツどもは全部片付けて来たぞ。こっちは心配ない」
「そうか。恩に着る」
こちら方面がオーガの生息地帯だと見越したセルジュの判断に違いない。大剣の戦士の素性も自ずと察せられる。
「ねえ、あのオジサマって上級烈士?」
「ああ。昔の知り合いだ」
耳打ちするカミーユとセルジュを見て、戦士は鼻を鳴らす。
「じゃじゃ馬の世話とは、お前さんも苦労人だねえ」
「そういう貴方は随分と丸くなったご様子で」
(じゃじゃ馬……あたしのことかぁ――っ!)
「歳を重ねりゃ
言い残して、戦士はあっさりと去って行った。
「……え? 終わり?」
「終わりだ。まだ暴れ足りないとか言うなよ?」
「い、言わねーから!」
平原の『扉』は、間もなく派遣されて来た
翌週にはカミーユに課せられた奉仕活動のノルマも果たされ、晴れて自由が言い渡された。
だが、幸か不幸か、平穏な日常はじゃじゃ馬改め〝
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