第389話 声音


(聴こえる。この声は――)


 冷静沈着な彼もこの時ばかりは気持ちがたかぶり心臓から全身へ、血は巡りドクドクと流れてゆくのを感じていた。しかしだからといって声を出したり表情を変えることなどは、一切ない。


 目は閉じたまま空気の流れと自分の意識を同調させようと、努める。


(ベリル様……なのだろうか?)


 面識もなければ当然、声すら聞いたこともない。そんな中で聞こえてきた声音が果たして――オニキスの話からこの場所の状況を考えればベリルだろうと予想されるが、しかし。


 本物なのかどうかを図るための材料は、皆無に近い。


(そもそも、今この瞬間まで。隠し扉内で何者かと繋がれるとは、思ってもみなかったな)


 シーン…………。


 すぐに周囲には静けさが、戻る。そう誰もいないはずの隠し扉内の通路で聴こえてきた優しい声の余韻も、消えて。その沈黙は不思議とジャニスティの情緒を落ち着かせてゆく。頭も心も“無”で、穏やかな状態の中でふと彼は思った。


 敬愛するお嬢様――アメジスト様の声に似ているような気がする、と。


(なんだろうな……お嬢様の笑顔が、鮮明に浮かんでくる)


 そもそも始めは書庫から出ようとしたあの時、隠し扉に当たるあの美しき朝陽の輝く光に近付いたことから、始まった。彼は躊躇なく、導かれるように中へと入りこれまでの様々な出来事を思い出し、物思いに耽り今過ごしている。


 それは彼の頭の中にしまいこんだ自分の考えを再度、冷静にまとめる時間。ずっと組み立てられずにいたパズルのピースを並べるための時間だったのかもしれない。



(意識を集中するんだ。頭も心もまっさらにして、その声を――“音”を耳で受けることだけを考えよう……)


 ただ彼は自分の“心”が選ぶ意思を信じて瞳を閉じたまま、これまで以上に真っ直ぐ神経の糸を張り精神は邪念が入らぬよう、研ぎ澄ませた。


(今日此処で、こうして寝ずに調べてきた意味。そして唯一、私が掴んだ“モノ”は、決して無関係ではないはずだ)


 ギュッ。


 そして手に持っていた本――『花の舞う言葉たち』を離さないように強く、しっかりと胸に抱き締める。


(私の思いを、“声”を。自分の言葉で、お伝えしたい)


 心の中でそう呟き瞑ったままだった瞼をゆっくり開き青空にも負けぬような美しく澄んだ天色の瞳を魅せた彼は、その力を煌めかせる。


「……私は」


 顔を上げた先は遠く終わりなく感じる。奥に続く隠し扉内の通路へ向け右膝を床に付け敬礼すると、話し始めた。

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