第42話 口唇


 ジャニスティの部屋で一人になったあの時。心に冷たい何かを感じ不安が押し寄せた、あの瞬間。アメジストが直感的に感じた恐怖心はやはり、気のせいではなかった。


――しかしそれは、本当に『継母が来る』という事への直感だったのだろうか?



 去り際に一瞬、廊下の角で立ち止まるスピナ。


(クン、クンクン……?)


 甘く優しく美味しそうな匂いが、その美人顔の筋のとおった高い鼻に、フワッと香ってきたのだ。


「アッそう、ふぅ~ん♡」

(これは、見ものだわね)


 再度その何かを嗅ぐように自分の鼻を利かせるスピナは突然、ニヤッと不敵に笑い一言呟く。そして軽い足取りで、部屋の前を去って行った。


「ふふ~ん、へぇ。ジャニスティが、♡んフフ」


 さっきまでの激高が嘘のようにスピナは「ベ〜ルメ〜♪」と不気味な鼻歌を唱えながら、クルッと回り踊る。そしてもう一度クルッと回り薄笑いを浮かべた。


――わたくしに逆らうと、どうなるか?

「フフ、覚悟なさいよジャニー」


 その表情はご満悦と言わんばかりにご機嫌であった。



 スピナの足音が完全に聞こえなくなると気配を感じない事を重ねて確認し、ジャニスティは無音の魔法を解いた。


 そして胸に抱き寄せていたアメジストにやっと目を向けゆっくりと、身体から離していく。


 優しく微笑む表情のジャニスティは、アメジストの頬に手を触れ髪に触れ……離れる事が少しだけ、名残惜しそうであった。


「よく、頑張りましたね。お嬢様」


 するとその言葉で張り詰めていた気持ちが緩んだアメジストは安心したのか、涙が溢れてくる。


「……グスッ、大丈夫! 二人ともありがとう」


(二人が私を支えて、守ってくれて)


 彼女が泣いているのに気付いたクォーツは膝から起き上がり、頭を撫で慰めた。


「あめじゅと?」


「え? エヘヘ、あり――」


 嬉しそうに笑ったアメジストが「ありがとう」そう言い終わる前にクォーツは、流れる涙と彼女の頬に優しく、キスをした。


 まるで自分がアメジストにしてもらったように彼女を可愛がりで、そして頑張った事を褒めるように。


「どうやらクォーツは、すっかりお嬢様に心を開かれたようですね」


 彼は嬉しそうに二人を見つめ、安堵していた。


 たたた〜……ピョンッ――ガシッ!!


「な?! クォー、ツ?」


 ジャニスティの頬に感じた事のない温かな感触。


「じゃにってぃ♪」


 そのフワフワ〜ぷにぷに〜と柔らかいクォーツの口唇くちびるから流れ出る愛情は、二人の頬から心身に沁み入ったのである。

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