第39話 足が速いやつに有利なゲーム

「……先輩?」


「っ! あ、あぁ」


 呆然としていたところに綾加から声をかけられ、停止していた思考が動き出す。


「と、どうした?」


「いや、あの人おっかけなくて良いんすか?」


「あぁ……いや、うん。でもほら、君、一緒に応援練習へ行こうという話だったろう?」


「え? あ、も〜! なんすか先輩! 綾香のこと好き過ぎじゃないっすか!」


「いや、単純に優先順位の話だ」


 先に成された約束は優先されるべきで、だから俺は綾香を応援練習に……いや、違うな。

 俺の本心は、どうしようもない諦めだ。


 平川に聞かれた、俺とあゆみに起きたこと。そして続いた、赤の他人という言葉。


 俺は夏休みのラジオ体操で、平川に対して言っているのだ。俺が変わった理由、あゆみに監禁されていたことを。

 それは勿論、冗談めかした口調の言葉だったし、信じてもらえないことを前提に発したものだった。


 けれどもこうやって、俺の言葉が平川に信じてもらえていない事実を突きつけられると思いの外……傷ついている。随分勝手な話だが。


 俺はなんだかんだで、自分は平川に受け入れて貰えるなどと甘えた先入観を持っていたのかもしれない。


 だから、再び平川と相対して拒絶されるのが怖かった。


「……行こう、綾香くん。このままでは応援練習が終わってしまう」


「いいんすか?」


「良いも何も、元よりその予定だった」


 それを聞いて綾香は照れくさそうに破顔する。


「先輩の気持ちは嬉しっすけど、やっぱ追いかけないとダメっすよ! 全部終わったら、綾香のとこに来てほしいっす!」


「そうは言うがね、俺が追いかけたところで……」


「先輩は、行くんすよ!」


「……分かった」


 俺はバシッと綾加に背中を叩かれ、フラリと一歩前に踏み出す。

 そのまま軽く手を上げ、俺は一歩、もう一歩と力無く廊下を進んだ。


 だが、止まらない歩みとは裏腹に、俺の心は今も行きたくないと駄々を捏ねている。

 彼女には二度拒絶されたのだから、もうそれで良いでは無いかと思っている。


 そんな情けない思考のまま覚悟も決められていないのに、角を曲がれば平川がいた。

 体育座りで膝に顔を埋めた彼女は、見るからに心を閉ざしている。


「……あの、だな」


 口から出たのは小さくて情けない声だ。

 自信が無いと声音だけで分かるのが、自分の事ながら情けない。


「…………」


 ピクリと肩を揺らすだけの平川を前に、俺は続く言葉を吐き出せなかった。

 何と言えば良いのか、まるで分からない。


 ひとまず俺も、彼女の隣に腰を下ろした。


 自然と視線は、壁に貼られた体育祭のポスターに向かう。

 美術部員が描いたのか、妙にアニメチックな男性キャラクターの絵に、申し訳程度に『体育祭』の文字と日付が添えられていた。


「……ふっ」


 清々しい程に描きたいものと主題が乖離したポスターに、思わず鼻で笑ったような息が漏れる。

 横で蹲る平川からは、ジロリと鋭い視線を向けられた。


 俺は気まずくなって目を伏せる。


「……話すこと無いんだったら、あの子と一緒に応援練習行きなさいよ」


 平川は小さく呟く。

 たぶん、俺と綾加の会話が聞こえていたのだろう。


「…………」


 一瞬だけ俺と平川の目が合い、再び逸らされる。

 しかし、俺も彼女もこの場から立ち去ろうとはしなかった。


「あの、平川」


「なによ」


 彼女はそっぽを向きながらも、即座に返答する。


「夏休みに、何があったのか、話す」


「……そ」


 素っ気ない返事。

だが、彼女の視線は俺の方に向いていた。


「夏休み前日、俺は……あゆみ君に監禁された」


 いぶかしげな視線。だが、平川は何も言わない。


「彼女と俺は親戚でも何でもなくて、お前とラジオ体操の場所で会ったときも、基本はあゆみの家に監禁されていた。まあ、俺に逃げ出す気が無かったせいか、拘束はかなり緩くなっていたがね」


「何で逃げようとしなかったのよ」


「まあ、さして問題が無かったのでね。それに、何と言うか、諦めていた。どうにも脱出しようと騒ぐことが、無駄な労力のように思えたんだ」


「……頭おかしいんじゃないの」


 不満げに呟く彼女は、圧倒的に正しい。

 しかし、事実を提示されたところで、頭のおかしい奴は肩をすくめることしかできないのだ。


「ともかく、監禁中にあゆみ君の姉とも仲良くなって。それで……まあ、ちょっとした逃避行をした。その先で俺は、人と親しくなると必ず相いれない部分を見つけてしまい、最終的に俺と他者の関係は全て破局するという結論に至った。それがまあ、文芸部を抜けると言い出した事のあらましというわけだ」


 平川は自分の指先を眺めながら、気のないように「ふーん」と呟く。

 そして再び視線をこちらに向けると、少し掠れた声で問うてきた。


「じゃあ、今更文芸部に戻って来たのは、どういう風の吹き回しよ」


「……夏休みの終盤、これからは人と深く関わるまいと引き籠っていたところに、あゆみ君が窓を叩き割って家に侵入してきてね。いずれ破局するとかしないとか、他人には関係ないんだって、分かったんだ」


 一呼吸置く。

 今も、あの情景は鮮烈な印象として脳に刻み込まれていた。


「だからまあ、いずれ破局するにしても、今ある関係は終わるまで続けたいと思えた」


 尤も、その一つが今にも終わりそうなのだから救えないわけだが。


 俺の話が終わると、平川は無言で立ち上がる。

 そして俺を見下ろし、一言だけ短く言った。


「文化祭準備、ちゃんと参加しなさいよね」


「……ああ」


 俺の返事を聞くと、彼女はスタスタと廊下を歩き去っていく。


 許されたのだろうか?

 言葉少なで、彼女が何を考えているのか分からない。


 それに、思えば自分の話ばかりで、まるで彼女の話を聞こうとしていなかった。

 とはいえやはり、怖いのだ。話を聞く事で、名倉さんのときと同じように平川を傷つけることが。


 知り合ったばかりの綾加と違って、きっと平川相手だと、話を聞こうとしたらもう最後まで止まれない。


「はぁ……」


 一つ溜息を吐いて、俺はトボトボと応援練習に向かった。

 もう、窓から覗く空は夕焼の紫に染まっていた。

 なんとなく、あゆみとダラダラしていたい気分だった。


 今日の応援練習は既に、終わっていた。


~~~「バカな大人観察日記:PART2」~~~


 今日は、晋作がつかれてるみたいだったので、ちょっとくらい優しくしてやろうと思って、ベッドにしばりつけてやりました。

 ぐにゃぐにゃしてて、ぜんぜん逆らってこないから、晋作をイスにしてゲームをしました。

 なんか、私に捕まってたときの方が元気だったので、学校行かなきゃ良いのにと思います。

晋作運動会ガンバレ☆!☆! ウソ!


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