第27話 はい、握手で仲直りして

~~~「バカな大人観察日記」~~~


 8月22日 月曜日


 大人はみんなバカバカバカバカ!

 あの大人が私の話聞いてくれなくなるのもヤダ。

 あの大人がいっしょにいてくれなくなるのもヤダ。

 私がつかまえたのに、にげたのもヤダ! あと名倉花香は頭おかしいし、名倉桃子も私の話ぜんぜん聞かないし、名倉信一郎はだまってるだけでなんにもしない!

 全員バカだから、どうしようと思いました。

 バカの考えることなんか分かんないです。分かんないから、ちょっとだけ考えることにしようと思いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


 窓から空を眺めていた。いや、というよりも雲を眺めていた。


 夏の雲というものは良い。

 じっくりと眺めていれば、小さな変化が無限に繰り返されて飽きが来ない。

 夏休みの宿題を進めるのに疲れ果てた今のような状況では、殊更眺めるのにうってつけなのである。


「……はあ」


 気を抜くと鎌首をもたげるのは後悔。

 それらを意識的に脳から締め出すように、俺は呆けた顔で雲について思考を巡らせていた。


 独りでいなければならない。

 昨晩はつい気が緩んだが、とはいえ俺は女子小学生に絆されてなどいないのだ。

 自らの限界を知り、諦めによって理想の自分を守る。

 大丈夫、今までもしてきたことではないか。


 しかし何故だろう?

 今の俺は誰かに話を聞いてほしいと思っているのだ。


「……はあ」


 気が付けば後悔に浚われていたことを自覚し、溜息で思考を白紙に戻す。


 雲、そう雲だ。

 白くて、あの上には何かとてつもないものが蠢いているのではないかと思わせる積乱雲。

 いや、事実蠢いているのかもしれない。空とはつまり、宇宙なのだから。


 真っ青で、果てしない、無限。

 そんな底知れなさを感じるから、俺は雲一つない快晴が嫌いである。

 故に俺は、空ではなく白雲を見るのだ。


 突然、玄関から「ビー」とブザーが鳴った。

 この音はつまり、我が家に来訪者があったということを意味している。


 誰だろうか? 郵便物を頼んだ覚えは無いし、火災報知機の点検があるという予定も聞いていない。

 寝そべったまま考えているうちに面倒くさくなって、どうせもう来訪者も諦めて帰っただろうと見当をつける。

 いっそ昼寝でもしてしまおうか?

 そんなことを考えた矢先、二度目の「ビー」が鳴った。


 俺は観念してノロノロ玄関へと向かう。

 何故、人と相対するという行為はここまで面倒くさいのか?

 数日前まで毎日人と顔を突き合わせていた自分に辟易とする。


「…………」


 覗き穴の向こうには、平川と芥屋先輩の姿があった。

 恐らく、文芸部を辞めると言ってブロックした件で話があるのだろう。

 何とか言い逃れできないものかと数秒考えたが、俺は諦めてドアを開けた。 


「やっと出てきた! アンタ大丈夫だったの!? メッセ送っても全然返事しないし、あゆみさんはアンタが首絞められたって言うし! そもそも何でっ——————」


 矢継ぎ早に言葉を羅列した平川を、芥屋先輩は手で制する。


「一度落ち着こう? 後輩ちゃん。後輩くんも戸惑ってる」


 平川はその言葉で静かになったが、しかしその瞳にはありありと不安の色が浮かんでいる。


「さてと、後輩くん……先輩が来たよ〜」


「はい」


「はい、て……釣れないねぇ。これでも先輩、心配 、無問題(モーマンタイ)って感じだったのにさ」


「無問題なら良いじゃないですか」


「無問題は語呂が良いからなんとなく言っただけだよ。寧ろ、先輩心配大問題の方が心情的には正しい」


 芥屋先輩は掴みどころの無い笑みを浮かべてそう言った。

 何とも接し辛いというのが正直なところだ。


「大した説明もなく混乱させたことは謝ります。部員数の問題で文芸部の存続が難しいと言うのなら、退部ではなく籍だけ置いておきます。合宿の件でキャンセル料が発生するなら支払いますし——————」


「ちょっと! な、え? 待ちなさいよ。なんでそんな、淡々と……」


「…………」


 平川を見る。

 気がつけば彼女は可哀そうなくらい不安げな目をしていた。

 俺が退部するくらいで何だと思ったが、しかし平川は人一倍善良な人間である。

 日頃あれだけ駄目人間扱いしていた相手でも、いなくなるというのはショックなのかもしれない。


 俺と平川の間に息苦しい空気が流れ始めたところに、先輩が割って入る。


「はいはい後輩ズ、そんな顔で見つめ合わないでよ? 先輩は悲しい。思うにね、二人とも会話が足りないよ~。後輩ちゃんは素直じゃなさ過ぎるし、後輩くんは自己完結が過ぎる」


 その言い草に、少しだけ心中がささくれ立った。


「自分の中だけで完結できるのなら、そうすべきだと俺は思いますが」


 その言葉を聞いた平川が、悲しいとでも言いたげに目を細める。

 優しい人の価値観だと、今の言葉は憐れむべき人間の虚勢にでも聞こえるのだろう。

 不愉快だった。


 俺は不快感の正体を探るように、半ば無意識的に自らの言葉を反芻する。


 ……嘘偽りは無かった。本心だ。

 本心から俺は、自己完結できる物事は自らの内で完結すべきだと考えている。

 しかし、ただ意見を述べるにしては少々語気が強くなっていたことに気が付いた。


 無自覚に生の感情を出してしまった。


 耳の裏に熱が集まるような感覚。

 俺は酷い羞恥心を覚え、誤魔化すように口角を上げて俯いた。


「後輩くん……」


 先輩は俺の心情を知ってか知らずか声を掛けてくる。

 しかし、続く言葉を発さない。


 最悪だ。いくらでも伝え方はあった。

 平川の目、先輩の目、それらが更に羞恥心を煽る。

 そして俺は、自分が思いのほか大きく平静を欠いていることを自覚した。


 そもそも、今までは特別な理由でもない限り先輩や平川と部活外で会うことなんて無かった。

 俺達はもっと希薄な関係だった。けれども無意識に、話す際の心の距離が近づいていた。

 だからあんな風に感情を表に出してしまったのだ。


 一定の境界線を越えず越えられないあの部活特有の距離感を、今の俺は思い出せない。

 この夏休みが、俺を不可逆に変えていた。


「……分かりました。俺としても、一度交わした約束を反故にするのは不本意ですから合宿には参加します。ですが、合宿が終われば俺は退部しますよ」


 そんな言葉が出たのは確実に関係を終わらせるためか? 或いは寂しさから出た言葉かもしれない。

 女子小学生と出会う前の自分がどんな存在だったのか、どう振舞っていたのか、それがどうにも分からない。

 何をどうしたら俺という存在は変わっていないことになるのだろうか?


 果たして俺は無様にも、答え合わせを先輩の反応に求めた。

 先輩は仰々しく頷く。


「ま、妥協点としてはそんなもんだね」


「……えっ」


 平川は焦ったように先輩を見た。


「先輩はね、あんまし部活を縛り付ける場にしたくないんだ。だから後輩ちゃんは合宿中に後輩くんを説得するか、話したいこと話しちゃうか、とにかく頑張んなよ~」


「はい……」


 呟くように返事をした平川の背後で、カラスがカァと鳴く。

 気が付けばヒグラシが鳴いていて、空は朱に染まっていた。

 逆光で陰る二人の顔が、どこか哀愁を誘う。しかし、その哀愁が存在するとすれば、その原因は俺なのだ。


 変わっていく自分、羞恥心、終わりかける夏の気配が、孤独へと向かう俺の意思を固くさせる。

 何よりもただ、分からなかった。何が分からないのかさえも。

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