第3話 人間味って、結構気持ち悪い

 この女子小学生と名倉さんの関係はどういったものなのか?

 俺は思考を巡らせた。


 普通に考えれば姉妹という線が妥当である。が、それにしては余りにも顔が似ていない。

 無論、似ていない姉妹というのもいるにはいるのだろうが、先ほどのやり取りもある。

 何かしら事情があると見た方が自然だろう。


 本人に聞こうか……?

 いや、止そう。興味はあるが、答えてくれるとも思えない。

 何より、そういった事情に興味津々で突っ込むのは如何にも体育会系らしくてプライドが許さなかった。

 変わらない、戦わない、頑張らない。それこそが俺の信じる道である。


 ……それにしても。


 俺はベッドに寝転び、横目で女子小学生を盗み見た。


 名倉さんが部屋を出てから、女子小学生は随分と荒れている。

 苛立たしげに手の甲を噛み、時折思い出したかのように唸っている。

 居心地が悪いことこの上ない。


 俺の視線に気づいたのか、ジロリと女子小学生はこちらを見た。


「……降りて。そこ、私のベッド」


「降りたいのは山々なんだが、生憎と手足を拘束されていてね。解いてくれたら降りられるのだが」


「うるさい!」


 女子小学生は癇癪をおこし、ずかずかとこちらに歩いて来る。

 そして、おもむろにベッドに上がると、俺を落とそうとして執拗に背中を蹴ってきた。


 けりっ、けりっ、けりっ。


 貧弱な子供の足では、抵抗する俺を動かすことさえ敵わない。


 けりっ、けりっ、けりっ。


 しかし、女子小学生は諦めない。

 流石のハングリー精神だ、大人をバカにするために拉致監禁を実行するだけの事はある。


「落ちろ! 落ちろ! 落ちてよ! バカ!」


 けりっ、けりっ、けりっ。


「……もっとこう、蹴るのではなく、座りながら背中を壁に当てて、足で俺を押し出す感じでやったら良いのではないだろうか?」


「うるさい! バカ! バカ!」


 女子小学生はそう言いながらも、俺の助言通りにしゃがみながら壁に背を当てた。

 存外素直である。


 ぐい~。


 ゴッという鈍い音。

 俺はベッドから落下し、強かに顎を打ち付けた。

 痛い。


 痛いので、恨みがましい視線を送る。

 女子小学生は疲れたのか、ベッドに座り込んで、ふぅふぅと息を切らしていた。

 どうやら、少しは落ち着いたようだ。


 今なら少しは冷静に話し合えるかもしれない。


「現在、俺は拉致監禁されている訳だが、俺の親や友達が異変に気付く可能性とか、君の親族が君の邪魔をする可能性とか、そういった不安要素についてはどう考えている?」


 女子小学生は顔を顰めた。


「キモ……」


「失礼だな、俺のどこが不快感を催すというんだ。愛嬌のある顔だろう」


 精一杯目をかっぴらき、ニッコリを笑って見せた。

 大きな目と笑顔、愛嬌の基本である。


「別に見かけのこと言ったわけじゃないし。ずっと私みたいなガキからバカにされてて、大人のくせに冷静ぶっててキモいって言ってんの」


「ああ、なるほど、そこか。俺は人前で感情的に怒ったり泣いたりしないようにしているんだよ。どうにも、感情を露わにした人間に対する周囲の白々しい反応が苦手でね」


「ふーん……」


 ばっさり切り捨てられると思ったのだが、存外反応は悪くなかった。

 女子小学生は、俺の目を見る。


 彼女はベッドからトンッと降り、俺の頭の横でしゃがみ込んだ。


「私の親とか、お前の親とかに、私がどうやってたいしょするか知りたいんだっけ?」


「ああ」


 女子小学生はにんまりと口角を上げ、得意そうに目を細めた。


「別に私、適当にお前を捕まえたわけじゃないよ? 名倉花香がね、夜ごはんの時間に毎日出席番号順でローテーションしながらクラスメイトの話をするの」


「……な、るほど、そうか。というかそもそも、君は名倉さんの妹なのか?」


「まあ、うん。お姉ちゃんなんて、絶対呼ばないけど」


 女子小学生は不快そうに鼻を鳴らした。


「とにかく、私は名倉花香の話で友達いなさそうなやつを何人か選んだの。で、中でもあんまり家族と連絡とってなくて一人暮らしだったのが、お前。あと、実際に仕掛けてみて、お前バカそうだったし」


 なるほど、人との関わりが薄い人間は拉致監禁にうってつけという訳か。

 やはりこの小学生、賢いな。


「では、君の両親についてはどうする? 流石に夏休みの間、俺を家族に隠し続けるのは現実的でないだろう。実際、既に名倉さんには見つかった訳だし」


「名倉桃子と名倉信一郎は新婚旅行、夏休み中ずっと。それに名倉花香は、つうほうしないよ。あいつ、人の目ばっかり気にしてるだけだもん」


 女子小学生は、そう言ってせせら笑った。

 名倉さんとはあまり上手くいっていないらしい。


「では、俺が力尽くで逃げようとしたらどうする?」


「それこそ私の勝ちじゃん、観察日記に大人はバカゴリラって書いて終わり。だって、大人のくせに、小学生をダマして逃げるのも、説得するのもできなかったってことでしょ?」


「ん? いや、脱出のために一番効率の良い方法が力尽くだったという話だから、別にそれだけでは小学生を騙したり説得したりできないという根拠にはならなくないか?」


 数秒、小学生は考える。


「うるさいバカ! お前、名倉花香よりチビだから、力尽くでも逃げらんないじゃん! それなのに、エラそうに言うな!」


 失礼極まりない子供である。確かに身長という観点から俺と名倉さんを比較し場合、いささか向こうに利があるかもしれないが、とはいえ高校生の男女である。筋力差は明白だ。たとえ俺が文芸部で、名倉さんが陸上部だとしても。きっと遅れはとらない……ただ、戦闘は避けようと思う。別に負けるとは思わないが、俺の主義ではないので。

 俺の主義ではないので。


「夏休み明けに、俺が報復として警察に通報するとは考えないのか?」


 俺は別の反論を提示した。

 しかし、女子小学生の余裕は崩れない。


「私が大人を捕まえたなんて、大人が信じるわけないじゃん。バーカ!」


「まあ、確かにその通りだ」

 そもそも事情聴取とか面倒くさそうだし、通報するつもりも無い。

 それに、そこまで脱出意欲が高い訳でもないしな。


 しかし、このまま観察生物を続けるには、一つ問題がある。


「……なあ、逃げる気は無いんだが、拘束は解いてくれないだろうか? いいかげん、手足が痺れて仕方がない」


 俺の足の指、なんか真っ青になってるし。そもそも数分前から感覚が無い。


 可哀そうな俺の愛らしく庇護欲を誘う瞳を、女子小学生はジロリと覗く。


「ふーん、じゃあ、名倉花香の部屋でだったら、結束バンドじゃなくて、手かせ、足かせでいいよ」



++++++



「じゃあ、夜ごはんの時間になったら迎えに来るから」


 結束バンドを外し、俺に手枷と足枷を着け終えると、女子小学生はさっさと出て行った。


 現在地、名倉さんの部屋。

 パステルピンクの床に、水色のカーテン。

 ベッドの上には、ところ狭しと犇めくぬいぐるみの群れ。

 俺は監禁されている筈なのに、自らが不法侵入者であるという存在しない自覚が湧き上がった。

 先程よりも、圧倒的に居心地の悪い空間である。


「やあ、名倉さん。君の部屋で突然監禁されることになって済まない。しかし、私としてもずっと結束バンドを着けっぱなしというのは些か以上に堪えてね。安心しろとは言わないが、一先ずこの手枷足枷で納得して欲しい」


「え……あ、うん。えっと、何だか浅野君、二人きりだとよくしゃべるんだね……学校だと静かだから、びっくり」


 名倉さんは目を丸くした。


「いや、学校ではさ、複数人での会話だろう? 私はアレがどうにも苦手でね。ほら、暗黙の決め事が多いじゃないか。全員が知っている話題でないといけないとか、全員が平等に話さなければいけないとか、状況によっては自分の意見を言ってはいけない場合があるだとか。別にできなくはないけれど、自分から進んでやりたいとは思えない。それに対して一対一の会話は、もう少し自由が許される。人間に相応しい意見交換、会話らしい会話だろう? そういう観点から言えば、俺は決して会話が苦手な訳ではないんだよ。そして、苦手でないのなら普通程度には話せる。つまり二人きりだとよく話すのではなく、複数人だと口を慎むという訳だ。分かってくれたかな?」


 のべつ幕なしに言い訳を並べる。

 もしここで言葉少なに言い訳したら、名倉さんからの「学校では陰気なのに、やけに喋るな」という指摘を気にしていると思われるからだ。

 そんなこと、俺のプライドが許す筈もなかった。


 しかし名倉さんは、ただ穏やかに笑っている。


「あ~、二人きりの方が自由に話せて良いよね。うん、分かるなぁ……」


 次に、名倉さんはコロリと申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「それとなんだけど、さ。あゆみちゃんが迷惑かけて、ごめんね? ちょっと難しい子なの。もし浅野君が困ったことあったら、私なんでもするから! その、夏休みの間だけでも、あゆみちゃんに付き合ってくれたら嬉しい、な……みたいな?」


 お願いっ! とばかりに手を合わせている彼女の姿を見て、なるほど、これは女子小学生に嫌われる訳だと納得した。

 たしか女子小学生は、名倉さんを「人の目ばっかり気にしてる」と評していた。それは決して珍しい特性ではないが、ここまでくると些か不気味だ。


 普通、女子高生は突然自室を侵した大して仲良くもない男子高校生の気を遣ったりしない。


「……恐らく俺の身体能力は総合的に君を下回っている。更に、手枷足枷も着いた状態だ。不快であれば目隠しでもして廊下に放り出せば良い。だから、うん、そこまで俺の気を遣っても得は無いよ」


 要するに、そこまで気を遣う必要は無いと言いたかった。だが、女性と話した経験の少なさから、少々迂遠な言い方になってしまった感が否めない。

 そして案の定、俺の言葉はしっかりと誤解されたようだ。


「あ、あの! ごめんね! 何か気に障ったんだよね? ごめんなさい! えっと、そうだよね、捕まってるのに、あゆみちゃんに付き合えなんて、そんなの通らないよね? ごめんなさい。私……えっと、手枷は、外せないけど。でも、本当に、何でもするから! 何でも言って……ごめんなさい」


 かつてない程に不安そうな目。

 恐ろしいほどの脅迫観念。


「まあ、えっと、はは、名倉さんが疲れない感じであれば……」


 俺は、割と引いていた。

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