メスガキのバカな大人観察日記

ニドホグ

夏休みの倫理学

第1話 女子小学生に背中を蹴られた日

 物語の悪役が好きだ。

 その性質が正しくなくとも、間違っていると言われようとも、己の信念に基づいて戦っている姿に惹かれる。


 正義の味方が好きだ。

 一人だろうが、仲間と一緒だろうが、正義という信念に基づいて常に正しく在ろうとする姿に惹かれる。


 大衆が嫌いだ。

 場当たり的に正義を応援し、場当たり的に正義を罵る。周りを見て悪に怯え、周りを見て悪を罵倒する。その姿は弱くて、流されやすくて、救いようが無い。


 しかし、悪の怪人と正義の味方が主役になれるのは、いつだって物語の中だけだ。

 現実ではいつも、大衆を多く味方につけている者が正義を名乗り、少数派は正義も悪も関係なく疎外される。


 大衆は理不尽でカスで、圧倒的に強い。だから、戦っても意味が無い。

 それが、俺の十七年にわたる敗北の歴史から導き出した結論だった。


 ここで俺が今まで敗北を喫してきた理不尽の例を挙げてみよう。

 教師、体育会系、イケメン……そして、この持久走大会だ。


 俺は今、テストも終わり夏休みも目前だというのに、汗水を垂らして必死で街道を走っている。


 それは何故か?

 今年から教務主事の任に着いた山田が阿呆だからである。


 テストも終わってやれやれと一息つく間もなく、奴は生徒を体育館に集めて語り始めた。


「えー、皆さん。テストでお疲れのところ集まっていただきありがとうございます。ですが、テストが終わり、これから夏休みだからと言って気を抜いてはいけません。昨今は世間からの声も~~~(中略)~~~今年から、持久走大会をする事に決定しました。新たな伝統を皆さんの手で……」


 山田の自己陶酔に赤らんだ顔。

 思い出す度に腸が煮えくり返りそうになる。

 というか実際、ふとした瞬間に思い出しては唇を噛みしめ、怒りを噴出させていた。


 こんな真夏日に外を6キロも走らせようとするな。

 熱中症で死人が出るぞ。というか俺が死にそうだ。


 きっと傍から見たら、俺の走る姿はヘロヘロとしていて滑稽な事だろう。

 周囲に誰もいなくて良かった。

 体育会系の連中に馬鹿にされでもした暁には、不登校になりかねない。

 俺はプライドが高いのだ。


 でも何故、周囲に誰もいないんだ?

 スタートを切った直後は沢山の男共がひしめき合っていたというのに。

 ……って、俺の足が遅すぎるから先頭集団どころか、後方集団にも置いて行かれたんでしょうが~!


 足の速さなどという自転車一つで転倒する価値基準に、俺は興味などない。


 畜生、俺も女子に生まれていたら今頃体育館でちょこっと走ってダラダラだべっていたはずなのに。そもそも、何故運動部の女子より圧倒的に貧弱な俺が6キロも走らされているのか? 全くもって理不尽である。


 そんな風に脳内で文句を垂れながら、ほとんど歩くようなペースで無様に走っていると、一人立ち尽くす女子小学生が目に入った。

 いかにも迷子といった様子で、不安そうに周囲を見渡している。


 よし、声をかけよう。

 迷子の案内という大義名分は、持久走大会をサボるのにうってつけだった。


 俺は今にも声をかけよう、すぐに声をかけよう、と頭の中で繰り返しながら、女子小学生の前をおもむろに通り過ぎた。

 ちょっと、こう、いざ知らない人に声をかけようとすると……無理だった。

 いや、無理というか、やっぱいいかなって。


「あのっ……!」


 突然、背後から声をかけられる。

 驚いた俺はビクリと肩を震わせた。


「へぁ、なんですか」


 咄嗟の事だったので、俺の声は酷く小さく掠れている。

 そして案の定聞き取れなかったのか、女子小学生は「は?」みたいな顔で俺を見ていた。


「は?」


 ……みたいな顔というか、実際に「は?」と言われてしまった。


 遺憾である。突然話しかておいて何だその態度は。俺だって本当はもう少し良い感じに返事したかったさ。何なら、俺はよく答えた方だろう。貴様は聞き取れなかったかもしれないけれど、俺には俺の返事が聞き取れたし。というか、そもそも知らない人に声をかけるな。俺が小学生の頃は常識だったはずだが? 今の小学生教育はどうなっているんだ、全く不用心だな。そんな風に世間を舐めているから迷子になるんだよ。俺は頭の良い子供だったから、小学生の頃も基本的に人と目を合わせずヘラヘラと笑って生きてきたぞ。尤も、その態度が可愛くないと周囲の大人共には不評だったわけだが。俺は絶対に間違っていない。


 半自動で脳内に溢れ出す自己正当化の本流。

 俺が現世を生き抜くために習得したスキルだった。


 俺は社会を変えられなくとも、社会の方だって俺を変えることはできないのだ。


「……さて、君は迷子かな?」


 自己正当化によって精神の安定を取り戻した俺は、先ほどと打って変わって大人らしい悠然とした態度で女子小学生に挑む。

 なんと、話しかける際に屈んで目線を合わせるという特別サービスつきである。


「じゃあ、お兄さん、ちょっとね、ついてきて……」


「ん? えっと、いや、迷子なんだよな? 俺が君ついて行くのか? 逆なのでは……あ、待っ、あぁ」


 勝手にトコトコと歩き始めた女子小学生を前に、俺の言葉は尻すぼみになって消えた。


 何だ、この子供は。これでは保護者同伴で迷子を続行しているだけではないか。

 俺が小学生の頃は絶対にもっと頭が良かった。

 でも、俺以外の小学生は馬鹿だったし、普通はこんなものなのか?


 自分が小学生だった頃を思い出す。


 ……あ、思い出した。

 くそ、大吾くんは明らかに華那ちゃんが花瓶割ったの見てただろうが。

 そのくせ教師が俺を疑った瞬間に記憶を改竄し、俺が花瓶を割ったなどという事実無根の供述をしやがる。

 もうあれ、馬鹿というより狂人の類だろ。

 あのとき「いいわけをするな」とか偉ぶって理不尽に俺を怒鳴った担任の池谷、貴様も許してはいないからな……。


 子供のトンチンカンさと、理不尽な教師の罪悪を再認識していると、突然女子小学生が立ち止まる。


「ここ、私の家。お兄さんも上がって!」


「え?」


 俯き思考に没頭していた顔を上げる。

 目の前には一般的な民家。

 既に女子小学生は玄関の前まで行っており、早く早くと手を振っていた。


「いや、あの、帰れたなら俺は……」


「もー! お兄さん遅い!」


 女子小学生はタタタッと俺の元に戻って来て、グイグイ手を引っ張った。

 俺は訳も分からないまま、女子小学生に続いて民家に入る。


 ……いや、これまずくないか?

 この子は特に迷った様子も無くこの家に辿り着いていた。

 途中で知っている道に出たのかもしれないが、それにしても俺を家に入れる理由が分からない。


 俺は、酷く嫌な予感を覚えていた。

 しかし小学生の手を強引に振りほどくわけにもいかず、知らない家の二階に上がっていく。

 そのまま俺が連れて来られたのは普通の子供部屋だった。


 大きな勉強机、その横にかかったランドセル、ベッド、ぬいぐるみ、衣装ダンス。

 子供らしすぎて妙に嘘臭く感じるのは、考えすぎなのだろうか?


「こっちきて」


 小学生はベッドに腰掛け、俺に手招きする。


「なあ、君。あまり知らない人を家に呼ぶというのは……」


「後ろ向いてから、手、こっちに出して」


 小学生は俺を無視して言葉を続ける。


 ……まあ、持久走大会に復帰するには少々疲れが残っていることだし、少しくらいなら遊びに付き合ってやるのも構わないか。


 俺は指示通り大人しく小学生に背を向けて、逮捕された囚人のように両手を後ろに差し出した。


「もっと、親指くっつけるみたいにして」


 なんだその指示は?

 疑問にこそ思いはしたが、どうせまた無視されるのだろう。

 俺は黙って言われた通りに親指をくっつける。


 自分の意見がまともに聞かれることは無い、俺は十七年間の人生でしっかりと学習しているのだ。


 カチチチチチ


 親指が締め付けられる感覚。


「ぇ?」


 気が付くと、手も足も結束バンドで縛られていた。


「ちょっと、え、何? あまり、こういうことは……うわっ!」


 俺が縛られた足をちょこちょこ動かしながら振り返ろうとしたした瞬間、後ろから背中を蹴飛ばされる。


「痛っ……!」


 受け身も取れず、俺は床に思いっきり顔をぶつけた。

 訳も分からないまま痛みに苦悶の声を上げていると、背後で小学生が立ち上がった気配を感じる。


「ばーか!」


 聞こえてきた突然の罵倒。

 俺は目を白黒させながらも、一先ず寝返りを打って仰向けになった。


 視界に映ったのは、心底見下したように俺を見る女子小学生の笑顔だった。

 訳が分らない、泣きそうだ。

 泣きそうだったけれど、堪えた。


 俺は負けない、プライドが高いから。


「えっと……何故、俺が床に転がされているのか説明してもらっても良いでしょうか?」


 無意識に敬語が出た。

 俺の本能は普通に負けを認めているようだ。


 あまりプライドとかは、俺の強さと関係ないみたいだ……。


「自由研究」


 女子小学生がボソリと呟く。


「え、自由研究?」


 予想外の言葉に、俺はそのままオウム返しする。


「そう、自由研究。大人ってバカのくせにエラそうだから、大人の観察日記を自由研究にまとめて、客観視させてあげようと思ったの」


「あー、なるほど、だとしたら申し訳ない。俺は世にも珍しい馬鹿じゃない類の大人なんだ」


 俺は不敵に笑って見せる。床に転がされたまま。


 女子小学生は、ふんっと鼻を鳴らした。


「しっかり小学生の私につかまったくせに、よくそんなこと言えるよね」


「…………」


 全くもってその通りだった。

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