おしまい。

「始めにコイツからオマエの話を聞いた時さ、不思議だったンだ。なンで処刑されかけた場所からわざわざ国の中心部に戻ったのか。そのまま逃げればよかったのに、ってさ。でもいまの話を聞いて納得いったよ。母さんに、会いたかったンだな……」


 半透明の少年は泣きながら頷く。イルはそっかァ、と呟いた。


「わかるよ。俺も両親が死んですぐの頃はあちこち探しまわってた。家があったはずの瓦礫とか、一緒に花を摘みに行った森の中とか。なンか、そンなとこからひょっこり出てくるンじゃないかって気がしてなぁ……」


 そんな訳ないのになァ。そう思って目を細める。


 ぴょんぴょんと跳ねまわる灰色の小さな頭が、あの頃の自分と重なって見える。

 ただわけも分からず、泣くことしかできなかった自分と。


 それを優しく見つめて、


「母さんと離れたらなぁ、会いたいよなぁ」


『グズッ、そうだ……。僕は、母君に、会いたかった。あのお優しい母君に……』


「うん。会えたのか?」


『会えた……。西の果てから家に戻るまでに随分ボロボロになってしまったが、母君は一目で僕だとわかってくれた。泣いて喜んでくれた……』


「あァ! よかったなァ!」


『グスッ、僕も、嬉しかった……。そして少しでも長く皆と平和な時を過ごしたいと、魔獣を倒して、魔法を広めて、国中が豊かになるように尽力した! 事実、魔獣による被害も飢えや寒さによる死者も激減した! なのに、なのに……』


「思った通りには、いかなかったンだな」


 シリウスはイルの胸に頭を押し付けた。


 触れられない身体でそんなことをされたって、なにも感じないはずなのに。


 伝染したみたいにイルの胸にも重い空気が溜まり、息が苦しくなる。


『魔獣を倒したことで国交が広がり、最初の身体の弟の商売を継いでいたあの家はさらに裕福になった。そしていつしか――父君は母君以外の女性といることが多くなった。赤い髪をした、異国の女性だった。反対に、母君は父君と顔を合わせるさえ嫌がるようになり、ついには家を出て行くことになった。元は母の家だったのに……。僕は母君に自分も連れて行ってくれと頼み込んだ。けれど――母は拒んだ』


 だんだんと彼の声が小さくなる。聞き漏らすまいとイルは耳をそばだてた。


『悪いけれど、もうあの人を思い出させるあなたの顔も見たくないと……! あれだけの偉業を成し遂げたあなたを、成長しないあなたを、もう前みたいに見ることはできないと……!! っうぅ、ドラゴンの血を飲んだ影響か、僕の身体はその時より成長しなくなっていた……。そう言って、あれだけ優しかった母が、出て行ってしまった……! 僕を、置いて……!』


 ひぐっと肩を震わせ、握った拳を叩きつける。すり抜けたはずのその衝撃が、彼の口から伝わってくる。


『間違った……! 僕のやったことは、間違いだったのだ!! 魔獣を倒すなぞ、魔法を広めるなぞ……っ。国の平和や豊かさなぞ、求めなければよかったのだ!! そうすれば……っ。そうすれば、母君が出て行くことなど、なかった、のに…………』


「……一番大好きな母さんだったもンな。それが自分を置いて出て行っちまったら……悲しいよなァ。戻ってきてほしいって、思うよなァ……。それで魔人を、作ったのか……」


 泣きじゃくるシリウスを見て、ようやくこの戦争の始まりがわかってきた。


 母親に戻ってきてほしい。

 また両親と仲良く過ごしたい。


 それは確かに、外から見ればとても小さく些細で、どうしてそこまでと首を傾げたくなるほどささやかな願いかもしれない。


 けれど本人にとっては、大きくて、大事で、とても大切な願いなのだ。


 他のすべてがどうなってもいいと思えるほどに。


 あの日一瞬で両親も故郷も失くしたイルにとっても、その気持ちはよくわかった。

 とても、とても、よくわかった。


あの頃・・・に戻そうとして、でも魔獣はもういないから魔人を作った。最初に聞いた時はナニ言ってンだと思ったが――今ならその気持ちがよくわかる。痛ェくれェに、よくわかる。もしかしたら、俺も同じ立場だったら――同じことを考えたかもしれねェ。…………けど)


 触れない頭を撫でていた手を止める。

 長い息を吐いて、かける言葉を考える。


「――なァ、シリウス様。この魔法は、まだ必要か? 今のオマエには俺がいるけど――、まだ魔人にもいてほしいか?」


 たぶん、彼はわかってる。


 この戦争で死んだ人も誰かの親だったとか、人間を勝手に魔人に改造してはいけないとか。そんなことは言われなくたってわかっている。


 十歳になるたび殺されていても、そこから成長できなくても。


 千百年も生きているのだ。――いや、たとえ見た目通りの十歳だとしても。


 自分がやっていることがよくないことだとわかったうえで、罪悪感を抱えたうえで。


 それを覆い隠すように雪を降らせて、自分の感情を湖の底に閉じ込めて。

 全てを凍らせ、気づいていないふりをして。


 彼は初代魔王を演じてきたのだ。


「母さんに戻ってきてほしくて、他の人たちにも喧嘩してほしくなくて、平和になってほしくて、それでこンな魔法をかけたンだよな。やっぱりオマエは立派だよ、国なンてでかいこと、俺には考えられねェや。……そこから千年経った。どう思う? きっとオマエが生きてた時より国中が豊かになってるし、魔法も発展した。俺はそンなに詳しくねェけど、他の国ともうまくやってるみたいだ」


 半透明の少年はゆっくりと顔を上げた。


 それに目を合わせて笑いかける。


「……うん、全部オマエのおかげだよ、シリウス様。……でもさ、そろそろこの魔法がなくても大丈夫だと思うンだ。魔人がいなくても、わざとソイツらと争わせなくても、きっと俺たちは平和に暮らしていけると思うンだ。俺はそう思うけど――オマエはどうかな、シリウス様」

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