湖と大樹と燃える炎

この戦争が千年も・・・・・・・・終わらないの・・・・・・おかしいと思わない・・・・・・・・・?」


 魔王の眼に宿る炎がイルの瞳にも飛び火する。


 おかしい、までは言い過ぎだが――確かに疑問を持ったことはある。どうしてこの戦いはいつまで経っても終わらないのか、と。


 前線に立つ軍が悪いのか? 作戦を指揮する教会が悪いのか?


 ――否、否。

 軍が、教会が、人間が悪いはずがない。


 全部魔人が悪いに決まってる・・・・・・・・・・・・・


 この疑問が浮かんだのは一度や二度ではない。そして浮かびあがる疑問を追いかけるたび、毎度この結論に辿り着く。


 それは今回も同じだった。飛んだ火の粉がたちまちすぼむ。掠れた声で、


「そンなん、テメェらが抵抗するから……」


「あは、そりゃ抵抗もするよぉ。誰だって死にたくはないさ。それにさ。そういう筋書き・・・なんだもん」


「筋書き、だと……?」


 何を言ってるンだと言わんばかりのイルに魔王は笑いかける。三日月形の双眸の奥は真っ暗闇だ。


「この戦争――。君はどう思う?」


「――!!」


 息を呑む。


 消えかかっていた火の粉が大きくなる。


 霧がかかっていたような思考がハッキリし、ドクドクと血が全身を駆け巡る。


 そンなことが可能なのかとか、どォしてそんなことを、とか。溢れ出る疑問を押さえ――、その中からひとつだけを選び取る。


 最初に確認しておかなければならないこと。


「――それはオマエのことなのか」


 わざとこの戦争を長引かせているような者がいるなら、自分がやるべきことはひとつだ。少年の答えが「はい」でも「いいえ」でもやることは変わらない。変わってはならない。


(でも、できるなら――)


 拳を握るイルに魔王は、


「……あは」


 否定も肯定もせず――ただ笑いだした。


「あははははは、あは、あーーははははっ」


 上を向いて笑うその姿は壊れた人形みたいで感情が読めない。


 血の匂いが充満する部屋の中に、ただ乾いた笑い声がこだまする。イルは唇を噛んだ。


(どっちだよ。――いや、)


 否定しないということは。


「そういうこと――なンだな」


「馬鹿言うなよ」


 ぐりん、と音がしそうな勢いで。


 魔王は首をこちらに向けた。


 長めの前髪の奥の両目は見開かれ、ぎょろりとイルを睨みつけた。


「千年続くこの戦争。駒は僕ら、指し手はひとり。全て決められた終わらない戦い。ただひとりの願いのために演じられた、壮大な、そして馬鹿馬鹿しいほどくだらない茶番劇。僕はそれを終わらせたい・・・・・・・・・・・。そのために君を呼んだんだ」


 夜の湖をさらに真っ暗に沈ませて。


「僕はね、うんざりなんだ。魔王であることに。この戦争を続けることに。千年前の亡霊の玩具として、一生を終えることに――っ! 僕には、僕らには。もっと別の、自由に選べる道があったはずなんだ。――だからさ」


 右手をイルに差し伸べる。


 歯をむき出すような笑みと求める以外の答えを塗りつぶすような声で。


「手伝ってくれるよね、イルさん」


 ぞわり。背筋が粟立つのを感じる。「開けるな」と書かれた箱を面白半分で開けたら想像以上のおぞましいものが入っていたような。


 自分は何かとても厄介な、いや、厄介なんて言葉じゃ足りないような、およそ手を出してはいけないことに巻き込まれようとしているのかもしれない。


 直感がけたたましいほどに警告音を鳴らしている。


 予感がする。


 ここで頷いたらもう後には戻れない。

 全てが上手く終わったって、きっと元のようには戻れない。


 だからイルは首を振って――、


 彼が求める以外の答えを振り払った。


(この子ども魔王が戦争を終わらせようって言ってるのに――断る理由がねェよなァ?)


 懺悔も後悔も今じゃない。


 過去は変えられないけれど――未来がまだ手遅れじゃないのなら。


 雪の積もった大樹みたいに灰色がかった緑の目に、夜の湖みたいに真っ黒な眼が映りこむ。


 不安そうにわずかにさざめく眼が。


 そのさざめきを受け止めるように、イルは力強く笑いかけた。


「当たり前だろ、ロキ」


「…………」


 魔王は何も言わなかった。右手を差し伸べたまま、イルの顔をじっと見ている。


 ……いや、見ているというより、ただ動きが止まっただけなのかもしれない。


 その口は閉じるのを忘れたみたいに少しだけ空いていて、その目は瞬きを忘れたみたいにじっと見開かれていた。


 イルはだんだんと居心地が悪くなってきて、ついに目を逸らした。


「ンだよ、なンか言えよ……」


「……あっ、や、いや……。うるさいな、なんでもない!」


 差し出していた手をパッと引き、魔王も慌てたように顔を逸らした。


「ニャにやってるの、ふたりして……」


 呆れたように尾狐に言われ、魔王はわざとらしく咳払いをした。そして喋り出した口調はもう元のように、どこか底の知れない高圧的なものだった。


「いいのかい、イルさん? 一歩進めばもう戻れない。君は勇者になるかもしれないけれど、大罪人になるかもしれない。こんなのただの馬鹿げた一人芝居なのに、そうと知らない演者はごまんといる。従うことこそ絶対だと、そう思う奴らはごまんといる。魔人からも人間からも追われることになるかもしれない。それでも――」


 魔王は再び手を差し出した。さっきの狂気と不安にまみれた顔ではない。


 真剣な表情で、真っ黒な目に強い光を宿して。


「それでも君はこの手を取るかい?」


「当たり前だ」


 今度は迷いも恐れもない。


 同じように、真剣に、真っ直ぐと育った大樹の葉のような目で。


「俺はそもそも、この戦争を止めるためにここに来たんだ。今までその方法は、魔王、テメェを殺すことだと思ってた。けど、違うってンなら――他に方法があるっていうなら。この戦争を止めるため――これ以上犠牲者を出さないために、俺はなんだってする!」


「――いいだろう」


 魔王は笑う。


 その笑みはどこか嬉しそうでもあって――彼がそんな顔をするのは、イルがここにきてから初めてかもしれない。


「じゃあ、行こうか」

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