術者が魔人なら
ふたりの間を一陣の風が吹き抜ける。草木がザワザワと不気味な音を立てる。
それが収まり再び静寂が訪れた時、翼竜族の男はゆっくりと口を開いた。
「俺じゃありませんよ。それをやったのは先代の十輝星です」
「――ッ! ソイツは――!?」
「術式を発動した直後、マナに還ったと聞いています。残念でしたね。貴方が一番復讐したかった相手はもう死んでいます」
「…………。そォかよ……」
イルはだらりと剣を持った腕を下げた。
自分の最終的な目標は魔王を殺してこの戦争を終わらせることだ。もちろん他の魔人をひとりでも多く殺す気ではいたが、それは通過点にすぎない。
けれど――目の前の魔人が言った通りだ。
一番復讐したかったのは、一番この手で殺したかったのは――自分の故郷をめちゃくちゃにした張本人だ。
それがもう死んでいると聞いた瞬間。
あんなに大きかった復讐の炎が。全てを飲み込むようだった憎悪の激流が。みるみる小さくすぼんでいくのを自分でも感じていた。
「それにしても、いいですよね。テウメスから街ひとつ超えての超長距離狙撃。数百年前と違って今はほとんど攻撃命令もないようだし。その狙撃手に選ばれるなんて実に名誉なことだ。しかも見事に当ててのけた、そうそうできることじゃありませんよ。……いいなあ。
「――テッメェエエエ!!!!」
その一言で。
イルの中の炎が、激流が。あっという間に大きく逆巻き渦を巻く。
鈍い光が宿った瞳に睨まれ、魔人はどこか楽しそうに口角を歪ませる。
「ああ、
「怖ェのかよ、ルイン」
「……二度目です。俺をその名で呼ぶのは許さない」
互いに静かな闘志を燃やし、ふたりは睨み合う。
その緊張がピンと引き伸ばされた時――
「
響き渡った声はイルのものでも翼竜族のものでもなかった。
雷光が集まり槍と成ったものが、突如としてふたりの間に突き刺さる。
「……はあ。時間を掛けすぎましたね」
「!? なンだ!?」
突然のことに混乱したものの、イルは目の前の敵から目を離さなかった。その後ろで、
――シュンッ。
軽い音とともに光が舞う。それも一度や二度ではない。何度も立て続けに。
――シュンッ。シュンッ。シュンシュンッ。
聞き慣れた音だ。振り返らなくてもわかる。空間魔法の一種。
「少年!! 何をしている!? さっさと逃げろ! ここは民間人立ち入り禁止だぞ!!」
後ろから怒鳴られイルは状況を理解した。
ここは夢幻の森と前線都市・アダラの中間地点。前方にあるのが夢幻の森。となれば背後から現れたのは。
「軍か……」
呟くイルの前に巨漢の男が立ちふさがる。彼が左腕にはめた赤い腕章は王国軍所属であることを示していた。
雷の槍を作ったのと同じ声で彼は叫ぶ。
「聞こえなかったか!? 目の前の相手が見えないのか!? クッ、脚がすくんで動けないのか!」
「ア?」
軍の乱入に行動を迷っている間にあらぬ誤解をされてしまう。けれど「民間人の保護を優先!」と叫ぶ彼に言い返す時間はなかった。
「
彼は魔法の弾丸に心臓を射貫かれ死んでしまったから。
「な――」
「まったく、わらわらわらわらと。虫かなにかですか? でもまあ、虫なら」
先ほどまでと同じ、なんら変わらない、どこか気だるげな声で魔人は言う。
「数打ちゃ当たりますかね」
その言葉と同時に。翼竜族のはるか頭上、地面に対してほぼ垂直に
魔法陣を形成する過程などなかったかのように。あらかじめ完成したものがあって、それを隠していた布を取り去ったように。
それは一瞬だった。
「
重複魔法は補助系の魔法の一種だ。続く魔法陣を同時に複数個形成できる魔法。
けれどその魔法を使ったって、個人の魔力と処理能力には限界がある。複製できる魔法陣はせいぜい二、三個で、大抵の場合、数が増えることによる有利よりも魔力や集中力が削られる不利の方が勝つ。
だからこの魔法を好き好んで使う者なんてそういないし、使ったとしてもたかが知れている。
――術者が人間なら。
「嘘、だろ……」
目を見開いたイルの口から、自分でも気づかないうちに言葉が漏れる。
この数年、強さを求めていろんな相手と戦ってきた。
学院の中には信じられない魔力量ととんでもない精度の魔法を放つ術者がいた。
護衛組合の仕事では魔法と武器を巧みに組み合わせ操る強者と何度も剣を合わせた。
けれど。
そのどれもが。
ままごとだったと思えるくらいに。
目の前の魔法は圧倒的だった。
翼竜族の青年が使った重複魔法の効果。
二、三なんてとんでもない。
十や二十でもまだ足りない。
大きく広がる真っ黒な翼の後ろ。夢幻の森を境に、壁のように。
百を超える魔法陣がきらきらと夜空に輝いていた。
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