魔王に敗れた勇者の物語

お茶漬け

第1話 魔王に敗れた勇者

——それは、絶望的なまでの、『絶望』だった。



「おいッ……返事しろよ、ランス……」



 百発百中の弓の名手、ランスは死んだ。奴の吐いた黒い煙を吸った直後に、痙攣しながら息絶えた。



「クレスは……クレスも死んだのか……?」



 中央教会のクレリック、クレスも死んだ。奴の瞳から放たれた閃光が、クレスの心臓を貫いた。


 目が見えない。瞼が熱い。全身が焼けるように痛い。まるで、地獄の業火の中に身を投げたかのようだった。



「アレンッ……アレン、立てッ!」



 誰かが、僕の身体を持ち上げた。全身が張り裂けそうなほどに痛むが、そんなことはお構いなしに、その誰かは乱雑に動き回った。


 やがて彼は立ち止まると、慎重に僕の身体を地面に預けた。その直後、全身が温かい何かに包まれていく。


 全身の熱が、少し収まった。瞼はまだ熱いが、開けないほどではない。焦点の定まらない瞳に映ったのは、大盾使いのレッドと聖女リストレアだった。


……2人とも、満身創痍だ。レッドは左腕が無いし、リストレアは腹に風穴を開けている。



「レッ、ド……リス、トレア……」


 声のような、風の音のような。そんな掠れた音だけが喉から出てきた。


 弱々しく伸ばした手を、レッドが掴む。痛いくらいに力強く、だけどそれが優しくも感じられた。


「アレン……気をしっかり持て。今、リストレアがお前を治してる」


 ふと視線を横にずらすと、リストレアが膝をついて僕に治癒の魔法をかけ続けていた。先ほどから感じていた温かい何かは、彼女の魔法だったのだろう。


「君の、腕は……」

「無理です。私に残された魔力では、アレンさんの傷を治すのが……ごほっ……精一杯なんです」


 吐血しながら、そう話すリストレア。自らの腹部に大きな穴が空いているのにもかかわらず、それを治す素振りも見せない。


……間違えていた。満身創痍なのは2人だけではない。僕もだ。ここにいる生き残った3人全員が、戦闘続行が不可能なほどの致命傷を受けている。


 再び視線をレッドに戻すと、彼はいつになく真剣な表情でこちらを見つめていた。パーティーのムードメーカーで、いつも冗談ばかり言っていたレッドが、だ。



「……よく聞け、アレン。傷が治ったら、俺たちが魔王を引きつける。その隙に、お前は逃げるんだ」



 冗談のような内容の言葉を、冗談らしからぬ表情で告げる。


「何、言って……2人は……」

「俺たちも、隙を見て逃げ出して——いや」


 嘘を、吐こうとしたのだろう。レッドとは一番付き合いが長い。僕を逃すため、嘘を吐こうとしたのだ。『後から追いかける』と。けれども、敢えてそうしなかった。


 いつもなら、そうしていたはずだ。死を覚悟して戦って、なんだかんだと、生き残り続けてきた。だけど、今回はしなかった。つまりは、そういうこと・・・・・・だ。


「いいか……アレン。俺たちは替えが効く存在だ。だが、お前は違う。お前だけは違う。お前の力じゃなきゃ、魔王は倒せない」


 リストレアの魔法で少しずつ傷が治り、手にも力がこもるようになってきた。だからだろうか。僕の手を握るレッドの力が、段々と強くなっていくのが分かってしまった・・・・・・・・


「お前が生きてる限り、人類は負けない。俺たちが死んでもな」

「そうですね。短い間でしたが……楽しかったですよ、アレンさん。こうしてこの場にいられることを、幸せに思います」


 普段からよく笑うリストレアは、これまで見た笑顔の中で一番の笑顔を、こんな状況で作ってみせた。耐え難い苦痛に泣き出しそうなのを我慢しながら、表情が歪まないように、笑顔で矯正して。


「待、て……待ってくれ、2人とも……そんなこと……そんな、別れの挨拶みたいな……」

「馬鹿野郎、みたい・・・じゃねぇ。別れの挨拶なんだよ」


 今度は、レッドが豪快に笑ってみせた。自慢の白い歯を見せびらかしながら。


「誇りに思うぜ。魔王こそ倒せなかったが、お前を生かすために戦うことができる。戦士として、これ以上ない名誉だ」

「ええ。私たちはそれで……それだけで、十分なのです」


 レッドも、リストレアも、こんな状況なのに笑っている。おかしい。2人とも、何かがおかしい。


 だって、これから死ぬのに。間違いなく死んでしまうのに、何で笑っていられるんだ。僕を生かすために、死ににいくようなものなのに、何で。


「いやだ……やめて、くれ……2人も、一緒に……」

「ばーか、この状況で仲良く逃げられるかよ。そんな生ぬるい相手なら、そもそもこんな状況になってねぇよ」


 『それに……』と、レッドは付け加えた。


「……あいつらも、2人だけじゃ寂しいだろうしな」


 レッドの視線の先には、僕たちの姿を隠す大きな壁があるだけだった。だけど、壁の向こうには、既に息絶えた2人の友がいる。



「リストレア」

「はい……これが、限界です」



 リストレアの魔法が途絶える。彼女の顔はまるで病人のように真っ青で、魔力が枯渇気味の人間に現れる症状とよく似ていた。


 それはつまり、僕を治すために魔力の殆どを消費したということ。2人はもう、生き残ることを考えていない。


 そして、傷の大部分が治った僕の身体を、レッドが抱き上げる。


「ちと痛むが……我慢しろよ、アレン」

「レッド、やめッ……!」


 静止する声も聞かずに、レッドは僕の身体を、いつの間にか壁に空いていた大きな穴に向かって投げた。


 ごろごろと転がり、起き上がると同時に、レッドがこちらに手を向けているのが見えた。今からあいつがやりそうなことなんて、1つしかない。


 レッドとリストレア、2人がこちらを見つめている。これから死地に向かう者とは思えないほど、穏やかな表情で。




「……生きろよ、アレン」

「さようなら、アレンさん」




 そうして、レッドの手から放たれた魔法が、壁を砕く。降り注いできた瓦礫が、先ほどまで空いていた大きな穴をすっかりと塞いでしまった。


「レッド! リストレアッ!」


 瓦礫を手でかき分ける。だが、その程度では到底向こう側に辿り着けないし、辿り着いたとしても、その頃には。


「なんで……なんで皆、僕を助けるためにッ……!」


 ランスも、クレスも、レッドも、リストレアも。皆が僕を信じてついてきてくれたのに、皆を死なせてしまった。


 聖剣を抜き、力を込める。いつもなら巨大な岩の塊でさえも簡単に切り裂いてみせる聖剣は、こんな時に限ってうんともすんとも言わない。先の戦いで、僕も力を使い果たしてしまったのだろう。


「くそッ……こんな時に何もできないのかッ……何の力もないのかよ、勇者ってのは!」


 拳を作り、壁を叩き付ける。レッドと違って特別力が強いわけでもない僕では、ヒビを入れることすら叶わない。


 

……2人は、死んだ。2人は、僕を逃すために今もまだ戦っている。だけど、力の尽きた僕1人が参戦しても、犠牲者が1人増えるだけだ。


 正しいのはきっと、皆の方だ。レッドの言い分が正しいはずだ。ここで時間を無駄にして死んでしまうよりは、逃げて、体勢を整えるべきなのだ。



「そんなこと、頭では分かってるんだよッ……!」



 2人を『見殺し』にして逃げることが正しい。そんなことは分かりきっている。奇跡的な逆転劇など、そう簡単には起きない。神を崇拝していたクレスでさえ簡単に死んでしまった。なのに、神頼みなんて出来るはずもない。


 そうだ。ここで死んだら、2人の覚悟を無駄にしてしまう。きっとこれが、正しい選択なんだ。



「……ランス、クレス、レッド、リストレア……ごめん」



 皆に謝ったのか。それとも、自分にそう言い聞かせただけなのか。それは、今でも分からない。とにかく僕は、諦めて、逃げてしまった。


 今でも戦う2人に背中を向けて、惨めにも、哀れにも、逃げてしまった。




 そこから先は、どうやって逃げたのか、いまいち覚えていない。気が付いたら魔王の根城の外にいて、土砂降りの中を走っていた。


 あちらこちらに魔物がいる。魔王の根城に踏み込む前にある程度は片付けたはずなのに、虫のようにどこからでも湧いてくる。


「死んで、たまるかッ……こんなところでッ!」


 ろくに機能しない聖剣を振り回しながら、走った。走って走って走って、とにかく走った。


 ここに来るまでの道は覚えている。海岸まで出れば船がある。船に乗れば、あとは死ぬ気で沖に出ればいい。船には強力な結界が張られているから、並の魔物では近付くことも出来ないはずだ。



 何度も戦った。何度も何度も戦った。数多くの魔物を屠った。リストレアが最後の力で治してくれた身体が、みるみるうちに傷まみれになっていく。


 気付けば、左腕は折れていた。肋骨も何本か折れていた。右手の小指の骨も折れた。もうまともに剣を握ることも出来なくなったから、小指の骨を無理やり元に戻した。剣を振るうたびに激痛が走るけれど、皆の痛みに比べればどうってことはない。



 そうして……船に辿り着いた。もう戦えない。そう思えるほどに満身創痍だった。


 魔導石を起動し、船を動かす。ゆっくりと、船は海岸から離れ、沖に向かって走り出した。飛行型の魔物の群れが攻撃を仕掛けてくるが、対魔物用の結界が壊れることはなかった。



 どれほど経っただろうか。魔王の根城がある大陸から離れ、何もない海をゆらゆらと船が進み続けている。船の動力源である魔導石は、定期的に外部から魔力を注入しなければならない。だが、連戦で魔力の枯渇している今の僕ではそれも出来ない。


 波に任せた、どう転ぶかも分からない船旅。幸い、対魔物用の結界は動力を必要としないし、魔物たちは追撃を諦めたようだったが、この状況がどこまで保つのかは分からない。



——さらに時間が経って、最悪な状況に見舞われた。嵐に巻き込まれたのだ。この船の結界は魔物の襲撃を想定したものであって、嵐に巻き込まれることを想定してはいない。嵐に対して、この船は全くの無力だ。


 ここに来るまで雨に打たれ続け、嵐の中でさらに体温が奪われる。激しく揺れる船の上で失われた体力が戻るはずもなく、傷が癒えることもない。



 死を覚悟した。この状況では、もはや祈る他ない。



——だが、その祈りも虚しい結果に終わった。



「く、そ……船がッ……」



 激しい嵐に見舞われ、船が転覆する。結界の範囲の関係で、小さな船しか用意出来なかったことが災いした。航海に詳しいレッドがいないために、この状況から逃れる術も思いつかない。


 荒波で破壊された船の残骸にしがみつき、沈まないように体勢を整える。しかし、元々が満身創痍の身。そんな状況で耐えられるはずもない。


 数秒後には、完全に波に呑まれ、息が出来なくなった。何とか水面に浮上しようとした僕の後頭部に、何か重々しい物体が凄まじい勢いで衝突する。


 目の前が真っ暗になる。駄目だ。ここで意識を失っては、確実に助からない。皆が繋いでくれた命を、ここで捨てるわけにはいかないんだ。



(み、んな……)



 死にもの狂いで生きようともがく。そこへ再び、強い衝撃が走り、僕は遂に意識を手放してしまった。










——目が覚めると、僕は薄暗い部屋にいた。蝋燭の火だけで照らされているような暗い空間で、僕は眠っていたようだった。


「……ここは」


 ここはどこだと思い出そうとする。頭に意識を集中すると、途端に激痛が走った。


「うぁッ……!」


——痛い。あまりにも激しい痛みに、僕は思考を放棄してしまった。そして、それと同時に気付いてしまった。



「……僕は——」













































「——誰だ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る