6:目標を定めよう
たまに、自身が夢を見ていることを理解している状態に陥ることがある。
今この手にスマホやパソコンと言った文明の利器があればその症状の名前やら原因やらを簡単に調べることができるんだけど、私の夢はそこまで優しくないらしい。剣闘士になってすぐのころは幸せな夢、覚めてほしくない夢として、よく“昔”の世界のことを思い出していたけれど、最近はずっとこの世界の夢だ。
しかも、最悪な過去を思い出すものばかり。
よく『夢を見るのは頭の中を整理するため』とかいうけどこんなものすぐに捨てちゃってもいいのに。
ほらキミも見てみてよ、感じてみてよ。
人の胸に刃を突き刺すって感覚をさ。
始めて人を殺したのは剣闘士になってほんの数日。私がご主人サマ、今のご主人の父親に買われてから数日後の話だ。
今のご主人はより儲かる可能性があるのなら私たち奴隷の意見も聞いてくれるし、儲けた分だけ私たちに還元してくれるタイプの人だ。食事とか宿舎の改築とか、私の場合だったら試合の感覚を開けたりとかそういうの。つまり剣闘士を商品兼ビジネスパートナーとして見てくれる。性格もそこまで悪くないし、商才はもちろん政治感覚もある。剣闘士のオーナーとしてはかなりアタリの部類だ。
けど、先代のご主人は剣闘士を商品としてではなく、他の観客たちと同じように娯楽として見ていた。
つまり、趣味だ。いくらこっちが死のうともオモチャが壊れたのと一緒。多数の剣闘士を抱えることが出来て、しかも闘技場の興行自体に口出しができるほど権力と金を持つ商家の人だ、使い捨ての奴隷なんかいくらでも買えただろうし、むしろ彼の財産からすればあまりお金を使わないよい趣味だったのかもしれない。だって何千何億とする美術品を買うよりも、数万程度で済む奴隷の方が格段に安いのだから。
私も、私の同期達も彼の趣味のために、使い捨てられるためにそんな値段で買われた。
知ってる? ウチのオーナーが所有している奴隷の中で、剣闘士として生き残ってる年数の長さは私が二番目ってこと。一番はタクパルで、私が二番。まぁつまり私の同期や先輩はほぼ全部前のご主人に使い捨てられたってことだ。……もちろん、後輩も。
そんな先代は他の剣闘士と同じように、すぐに私を試合に出した。
これでも見た目で売ってる剣闘士だ、彼の思惑は『女が相手の剣闘士に叩きのめされ、組み伏せられるのを見ながら酒でも楽しもうか。』ってことぐらい簡単に分かった。実際そういう試合があった時に奴が酒を楽しそうに煽っていたのを覚えている。奴隷商人から買われた後、感染症対策のために体をまとめて洗われて、最低限の飯を食わされて、他の奴隷とまとめて寝床の冷たい地面に転がされる。数日そんな生活が続いたと思ったら、初めて剣を持たされて試合だ。本当にいい趣味をしている。
この体になる前は日本という平和な国でずっと過ごしていた、武術の心得があるわけでもなく、命の危険に陥ったこともない。身近な危険と言えば道路を走り回っている自動車程度で、それもルールを守って注意して生活していれば轢かれることなんてない。自身がこっちに来た理由が解らない以上、もしかしたら運悪く轢かれてこっちに転生したのかもしれないが、とにかく殺し合いなんて初めてだった。もちろん、剣を握ったのもそれが初めて。
『そこの剣を取って早く出ろ、せいぜい長生きするんだな。』
言葉は解るが、意味が解らない。
反論も許されず、そこの職員に剣を握らされ放り出されたのは、今とは違う裏の闘技場。単純な力や剣の技で殺し合うのがいつもの闘技場であるならば、裏の世界にあるソレはなんでもありな場所。武器の指定はされず、毒やクスリに対戦相手の買収。殺した相手を喰らう者もいれば、犯す者もいた。規模は表に比べればとても小さなものだったけど、刺激を欲する出資者たちが金を持っていたこともあり、動いていた額はとても大きかった。その分私たちに降りかかるものも、大きかった。
ただ強い奴が勝者で、ルール。奴隷だって人だ、表なら最低限同じ生物として扱ってもらえるが、あそこにはそんなものなかった。表なら試合中の男女の情事などご法度だが、裏なら何でもあり。私がどうなろうが、助けてくれるものはない。金という大きな力に守られたアイツは私たちを見下ろせる場所で酒を煽り、その所有物でしかない私は何も逆らうことができない。死んでくれた先代にとってはとても楽しい遊び場だっただろう。
表で数多くの市民の娯楽である剣闘士たち、勝者には栄光が与えられ敗者には死が与えられる。だが、そんなもんじゃ満足できない奴、もしくは表じゃ生きられなくなった奴が裏へと流れていく。光が大きいほどに、影も大きくなる。……このことは、アルに教える気はない。
『ひィッ!』
自分が挙げたはずの悲鳴なのに、それが自分の口から洩れたことに気が付かなかった。それほどまでに気が動転していた。
対戦相手が待つ広場へと投げ出され、真っ先に目が付いたのは放置された死体たち。戦いの邪魔になるからと端に避けられたソレには、等しく死が与えられていた。私と同じように連れてこられた同期の男、違う種族の両手両足のない死体、爬虫類のような化け物の頭、苦悶の表情を浮かべたまま焼けただれているもの。そして、しろく汚れた体のパーツが欠落している女たち。
私の、末路の一つだ。
恐怖で体が震える、だが時間は止まってくれない。欲望に染まった相手の唸り声でようやく相手へと向き直れば、未だ私の記憶を蝕み続ける死人の一人。全身が傷だらけで、口からは緑色の液体が漏れ出ている。目は完全に正気ではなく、その体もひどく歪。性別は男で、種族もおそらく同じ人間だったのだろう。だが、どうしようもないほどに、名も知らぬそいつは人間ではなかった。知恵ある者ではなかった。
あの時、私は『加速』という力に気づくことができた。故にあの獣が想定していない速度で動くことができ、修正される前にその腕を切り落とすことができた。がむしゃらに振るった剣は奴の体を切り落とすことができた。
獣故に、もしくは傷つけられるとは思っていなかったが故に絶叫を上げる奴の首をはねることができた。首を落とされてもなお動き続ける奴の胸に、剣を突き刺すことができた。今の速度と比べれば格段に遅い“二倍速”でも、殺すことができた。あの肉が裂けていき命が立たれていくような感覚を得ることができた。腕で感じることができた。
……だが、あの時失敗していれば?
『加速』が発動できなければ? 速度に対応されていれば? 奴が獣でなく人だったら? 痛みに耐え私の首を落としていれば? あの肉が裂ける感覚を、この身に受けていれば? 私はどうなっていた?
人の命を絶つ、表でも裏でも自分が生き残る限りずっとこの手に残り続ける感覚。すでにもう何人殺したか覚えていない。殺した奴の名前も、顔も、徐々に忘れていく。だが、この手に残る命を絶つ感覚は1つずつ積み上がり、忘れることを許してくれない。加速が使えずそのまま切り殺したときの感覚も、皆が遅くなった世界で落とした首の感覚も、ずっと残っている。
裏でただ死の恐怖に怯えながらがむしゃらに剣と能力を使い続けた時、表の試合にも出るようになりようやく剣の振るい方を理解するようになった時、ビクトリアとして初めて闘技場に立った時、アルという弟子を取ることになった時、彼女が私の生き残る理由の一つになった時、そして今日。死ぬべきではなかった人を殺した時。
首を落とした感覚、胸を貫いた感覚、腕を切り落とした感覚、数打ちの安い刃物で肉を断ち切る感覚、上質な剣で命を薙ぐ感覚。
その全てを、1つずつ。全て、ゆっくりと思い出しながら。
意識がようやく覚醒する。
「…………まだ深夜か。」
最悪な夢からようやく抜け出せたと思えば、まだ日は登っておらず真っ黒な世界が広がっていた。夜目はそこまで効かないが、どこに何があるかぐらいは解る。隣にある彼女の寝床から、いつの間にか私の場所に忍び込んでいたアルを起こさないように移動。近くに置いてあったろうそくに火をつける。
真っ暗な世界に、ようやく光が灯る。
「……うぇ、おなぁか……、ぅえへへ。」
「ふふ、いい夢見れてるみたいだね。」
アルのよくわからない寝言を聞きながら、顔にかかった髪をよけタオルを掛け直してあげる。
最初はどうなるかと思ったけどこの子は本当にいい子だ、自分の置かれている状況をちゃんと理解して、そこから毎日何かを得ようと頑張っている。ただ生き残るために殺し続けてきた私には眩しいほどに。だが、その眩しさを失いたくはない。それこそ外の世界に出るときは一緒に付いてきて欲しいと思うぐらいには。……母親、にはなれないだろうけど姉代わりならできる。そう思って接してきた。師と弟子、という関係性ではあるけど堅苦しいのか苦手な私にはこれくらいがちょうどいい。
「まぁ、なんで私の腹に興味津々になったかはわからんけど。」
生まれながらの性か? とどうでもいいことを考えながら彼女から離れる。明かり片手に向かうのは外の練習場。いつもアルと使っている場所だ。もちろん訓練用の剣を片手に。
まだ夜は明けそうにないけど、もう一度寝れば変な時間に起きてしまいそうだ。最低限の睡眠は取れたし、後は剣でも振って朝日が昇るのを待つことにする。幸い明日は試合ではなく、外回り。ビクトリアとしてお得意様への訪問があるだけだ。少しぐらい夜更かししても問題ないだろう。
「……今日の対戦相手のせいかねぇ。」
型、というほど大層なものではないが体に染みついた動きを繰り返しながら思考をまとめていく。
タクパルと全力の訓練をした後から数日後、今日の対戦相手はひどく真っ当な人間だった。犯罪者として奴隷に落された者ではなく、また裏にいるような身の毛もよだつ様な獣でもない。どこにでもいるような善人で、運悪く奴隷になってしまったような人間だった。そして奴隷になったとしてもそのまっすぐな心を失わなかった稀有な人間だった。対戦相手として私に礼を尽くし、ともに健闘を祈りながらどちらが死のうと恨まないとまで言いに来る男。名乗る前にその口を閉じさせたから名は知らない。……知っていれば重みが増えていただろうからそれでいい。
私の対戦相手になるぐらいだから身体能力も技量も高く纏まっていて、年単位で生き残ってるような相手。それを彼のオーナーに評価され妻でも貰っていたのだろう。観客席の方には彼のことを父と呼ぶ幼子と、母親がいた。奴隷から生まれた子は、最初から奴隷だ。生まれながらに誰かの所有物であるはずなのに、熱心に彼に向かって声援を送る彼らには家族という関係性が確かに存在していた。
試合形式は殺しありで装備は支給の数打ち、彼からの挑戦という形だった。実際は彼のオーナーが試合を組んだのだろうが。
「殺しナシの形式だったらまだ良かったんだけどね。」
私がここにいる時点で、結果はいわなくても解るだろう。
……剣闘士にはよく、『勝者には栄光を、敗者には死を。』という言葉が使われる。これはまぁその通りなのだが、実際は供給側の思惑が強いんじゃないか、と勝手に思っている。だって毎日のように新しい剣闘士が大量にやって来て、大量に消費されていくんだぜ? そりゃあ大きな商いでしょうよ。
殺さなければ剣闘士の需要は減っていく、殺せば需要は増える。しかも娯楽に飢えている市民からすれば殺した方が盛り上がりが良い。市民と供給側の思惑が完全に一致すればもう、殺るしかないよね、ってことだ。
「人の家族を壊して、生き残る。まったくいいご身分ですよねぇ?」
あの家族はどうなるのだろうか、気にしても仕方ないことだが、母親は他の男に宛がわれるのだろうか? あの子供も剣闘士になるのだろうか。……あの子が大きくなった時に、私はまだ剣闘士を続けているのだろうか。
「復讐は……、しに来るだろうなぁ。……私が死んでれば、アルちゃんにか。……いやな世界だよほんと。」
実際、とてもいい試合が作れるだろう。『自身の父親を殺された復讐を果たすため、若き剣闘士が雄たけびをあげる。』とかだろうか? 私が生きていれば復讐のために、私が死んでいればアルちゃん相手に試合を組めば大きな収益を見込めるだろう。良くも悪くもこの世界の住民はそういった娯楽に飢えている。
生き残るために、殺す。できるだけ殺して来た人たちのことを考えないように、すぐに忘れられるようにしてきたが、この手に残る血の匂いは消えそうにない。どれだけ洗っても、一生付きまとう死の香り。
「私に降りかかるのはいいけど……、あの子が迷惑を被るのは違う。」
すでに彼女は、私にとって無くてはならない存在になっている。一人だけだったらどこかで壊れていたかもしれない、狂っていたかもしれない。積み重なったものに押しつぶされていたかもしれない。……でも、あの子がいるおかげで私は前を向ける。血で汚れ、くすんだ世界に色を与えてくれる。帰ってくる理由になる。
「さっさと金稼いで、二人分の身分。買わなきゃね。」
剣闘士、という狭い世界飛び出し。火の粉が降りかからない場所まで逃げる。それにこの国の市民となれば、単なる奴隷である剣闘士は手が出せなくなる。やけを起こして襲ってくるかもしれないが、その時はこの国の法が私たちを守ってくれる。
折角異世界に来たのならば未知を求めて冒険してみたい気持ちはある。何故この体を得た時にはすでに捕まっていたのか、元々の体の持ち主がいてそこに自身が入り込んだのか、そんな疑問を解消したい欲もある。だがそれがメインではなくなった。あの子が本格的に剣闘士の世界に入り込む前にここから抜け出す。それが一番の目的だ。
その後彼女が元住んでいた村に戻りたいのならそれでいいし、私と共に世界を歩いてくれるならそれでいい。……まぁそこら辺は全部うまくいった後に考えることにしよう。
「ふふ、この帝都だって行ったことのない場所ばかりだからね。一緒に回れば楽しいのかな?」
この奴隷の身分から脱却するには、まず今のオーナーから自身の身分を買い取る必要がある。単なる奴隷なら買われた時の値段に少し上乗せされる程度で済むけど、私みたいな強い剣闘士は別。生み出す金額が金額なだけに、時価になる。
私の値段は、2億ツケロ。アルの値段は1000万ツケロ。多少上下するだろうがオーナーに聞けばこの値段が帰ってくるだろう。
合わせて、2.1億。
そしてそこから自身の市民権とかを買わないといけない。自分を買い直しただけじゃ、まだ安心はできない。奴隷から抜け出したとしても単なる人として扱われるだけで、まだ法の保護を受けれる市民じゃない。悪く言えば蛮族、よく言えば旅行者。そんな扱いだ。二度と奴隷落ちしないように市民権を購入する必要がある。普通なら伝手を作るのにかなり苦労するんだけど、ビクトリアとしての活動のおかげでそこら辺は何とかなる。結構上役の人とのコネクションがあるからね。
本来なら認められる前に賄賂とか色々用意しないといけなくなるらしく、何倍もお金がかかるらしいんだけど私の場合は別。自身が帝国の市民として保護する値のある人間だということを一定の金額を納めることで示すだけでいい。一人50万ツケロ。私の値段と比べれば安価だけどこれでも結構な額だ。
まぁ後は奴隷解放後の生活のこととか考えてある程度余裕をもって生活できるぐらいを考えれば……。
〆て、2.2億ツケロ。
まぁかなり盛ってるけど、これだけあれば外に出てからも問題なく生活できるはずだ。
ちなみに私レベルが一回試合して賞金が大体100万ツケロ、その八割がオーナー取り分なので手元に残るのは20万。大体1100回ぐらい試合したら稼げる計算だ。んで試合が二日か三日間隔で行われることを考えると……、約3300日。10年弱かかる計算になる。
「それ以外に収入源あるけど、ねっ!」
ずっと続けていた剣の型、体が温まって来たので大技を入れていく。
さっきのは収入を試合だけで考えた普通の剣闘士の場合だ。もちろん私はそれに当てはまらない。オーナーに持ってかれる心配のないファンからの貢ぎ物に、オーナーと契約して始めたこの世界では私が初めてやったグッズの販売。そういう副収入のおかげでそんなに長くの時間は必要としない。オーナーに儲かるからと頼み込んで色々やったかいがあった、ってもんだ。
「それに、これまで溜めてきた金もある。」
食事とか美容でかなりの額をつぎ込んでいるが、それでも全体から見れば些細なもの。賭け事にお金を使うこともないし、何か娯楽を得るためにお金を使うこともない。というかファンの人からもらったもので十分すぎてお金使わなくて済んだ。ま、貢がれたものはそのまま保管しているのもあるから、それを換金する手間もあるけど……、今の貯金額は、大体1.5億。
結構貯め込んでるでしょ? 私。額が額だからアルちゃんにも秘密にしてる。
「……あと、もう少し。」
何かもう一押しあれば目標まで届く。もちろんこのままコツコツ貯めるのもありだ。……でも、いつか人は飽きる。“ビクトリア”という剣闘士は人気商売だ。熱がある内はいいけど、何か些細なことで全て崩れる可能性もある。今はまだ大丈夫だけど、壊れるときは必ず来る。もしこのまま運よく続いたとしても老いは、平等。体の衰えがいつ来るか解らないし、花はいずれ枯れる。時間は私の敵だ。
だからこそ、急がないといけない。
「やっぱり、大きな大会に出て優勝するのが一番いい。」
狙うのは、“剣神祭”。こと帝都で行われる祭りのひとつで、剣闘士の最強を決めるお祭り。名高い実力者たちが参加して、命を懸けて最上の名誉を目指す。決勝戦ではこの国の皇帝も公式に見に来るかなり大掛かりなお祭りだ。出る賞金もそれだけ多く、そしてその分リスクが大きい。
これまではそのリスクを嫌って出場しないようにオーナーにお願いしてたんだけど……。
「せっかく見えてきたんだ。」
この、クソッタレな世界から出るために。
「……よし、目標も決まったし、そろそろ日も登る。部屋に帰るとしますかね。」
剣神祭に向けて準備、と行きたいところだけどまだ始まるまで三か月以上ある。それまでは普段通りの生活を進めていくことにしましょうか。これまでの積み重ねを放棄しても良いことなんかないからね。
「まぁそれでもビクトリアをやるのはしんどいんですけど! ……はぁ、今日元老院の奥様のところでしょ? なんかミスったら首飛ぶしなぁ……、今から気が重い。」
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