第4話 終わりと始まり④

「えっと、あの、もし変な事をするつもりなら、大声を出しますよ……?」


 倍近い身長差がある男性3人に囲まれた私はすっかり怯えてしまっていた。リアルの姿だったとしても、この状況では怖くて身動きすら出来ないだろう。何しろ相手は見知らぬ他人を誰かに売りつけようとしている極悪犯罪者達だ。これから何をされるか分かったものじゃない。大声で叫んで助けを呼ぶという選択肢が真っ先に浮かんだけど、彼らに対しては威嚇にもならなかった。


「がははっ、それがどうした? こんな辺境なんて誰も通らないぞ。お前が大声で泣いたところで、助けに来る奴はいねぇさ!」


「暴れたりするなよ、面倒だからな。亜人のガキなんて大した力もねぇんだ、大人しくしておいた方が痛い目を見ずに済むぜ」


 浅黒くてゴツゴツした手が迫ってきた。今すぐにでもここから逃げ出したいのに、足が竦んで動けない。まるで恐怖が全身を固く縛っているようだ。


「あうぅぅ……」


 私は情けなく狼狽える。"メル"の身体を借りたところで、どんな恐ろしい相手でも立ち向かう冒険者みたいになれるわけじゃない。ましてや平凡に生きてきたアラサー会社員ともなれば尚更のはず……でも、それを言い訳にしたくない気持ちもあった。ひたすら薄暗いダンジョンに籠もってモンスターを1人で狩り続けてた"メル"は、弱音なんて一言も吐かなかったのだから。

 

「……こんなの、大丈夫」


 弱い意志を否定する小さな独り言。長い時間をかけて育ててきた彼女の事は、私が一番知っている。こんな時なら、"メル"はきっとこうするはずだ。


――ガブリ!――


 肩へ触れようとしていた太い指に齧りついた。どうやら"メル"には鋭い牙が生えていたらしく、それが皮手袋の上から突き刺さる。相手が怯んだ隙を見て、私は彼らの間をすり抜けた。


「痛ぇ!? このクソガキッ……やりやがったな!」


「チッ、躾けてやるしかねぇか」


「傷は付けるなよ。売れなくなるぞ」


 ならず者トリオが一斉に追いかけてくる。あちらには馬もあるし、走って逃げ切れるとは到底思えない。だから一直線に森を目指すことにした。木陰に身を隠せば、何とかやり過ごす事ができるかも。


「そうだ、魔法……魔法が使えれば時間稼ぎになりますね!」


 草原を駆けながら魔法の存在を思い出す。魔力が低いので大して威力は出ないだろうけど、もし放つ事ができれば時間稼ぎができるかもしれない。ただ、どうやったら魔法が使えるのかが分からなかった。アニメや漫画みたいに長ったらしい詠唱をすればいいのか、それとも念じるだけでいいのか、はたまた魔法陣でも描かないといけないのか……さっぱり想像がつかない。ゲームでならファンクションキーを押すだけで出せてたのに。


「とりあえずスキル名でも叫んでみるとか……?」


 NeCOのキャラクターはスキルを発動するとき、当たり前の如くスキル名称を吹き出しで表示するという仕様になっていたのを思い出した。それならスキル名を発言するという行為がトリガーになる可能性が高い。早速私は使える中で最も出の早い初級魔法を叫んでみることにした。素早く振り返り、馬に乗った追手達に手の平を向ける。


聖なる光撃ホーリーライトッ!」


 指定した相手を対象として、小さな光の弾を飛ばす初級の攻撃魔法、それがホーリーライトだ。でも私が期待したような現象は起こらず、草原を吹き抜ける風が私の声をかき消すように流れるだけ。


「なんだよ、魔法かと思って驚いたじゃねぇか……!」


「あの歳の獣人が魔法を使うなんて無理に決まってるだろ。足は随分と早いようだが、このあたりは草が深くて子供には走り辛い。とっとと距離を詰めるぞ」


 歯茎を剥き出しにして、3匹の馬が私の方へ猛進してくる。彼らが言う通りこのあたりは見通しが悪く、視点の低い"メル"だと移動が困難だった。それにお腹が空いてるせいか、足元が妙にフラフラする。子供の身体がこんなに疲れやすいものだったなんて知らなかった。


「手間を掛けさせやがって! 拠点に連れて帰ったら、たっぷりとさっきの礼をしてやるぜ! へへっ、楽しみにしてろよ!」


 逃げようとした私の背中に刺さる野太い声。ついに追い付かれてしまったのだ。でも諦めたりはしない。魔法が使えなくても抵抗はできる。この身体には牙も爪もあるのだから。意を決して男達の方へ向き直った瞬間、私の背後から稲光が走った。


「うちの知り合いに手を出してんじゃないわよ! 魔法の光弾エナジー・ショット!」


 女の子らしき声と共に、眩い光の弾丸が私のすぐ隣を通過する。そしてそれは暴漢の1人に直撃し、その巨体を数メートル近く吹き飛ばした。焦げた匂いが鼻を突く。


「攻撃魔法だと!?」


「クソがッ! 亜人の子供が他にもいたのか!」


 慌てふためく男達を視界に捉えたまま、私はキョトンとしていた。窮地から救ってくれた魔法のエフェクトは、NeCOで見た覚えがある。だとすれば、この魔法を使った人は――


「メル! イメージして! アイツらを殴り飛ばす自分を想像するの!」


「えっ? あっ、はい!!」


 背後から聞こえてくる声に突き動かされ、脇目も振らず前へ踏み出す。ピンチの時に的確なアドバイスが飛んでくるこの感じ……NeCOで何度も経験したものだ。だから私はの言葉を信じ、頭にイメージを描く。馬から降りてきた巨漢――彼の繰り出してきた拳を掻い潜り、鳩尾へ強烈なパンチを見舞う"メル"の勇姿を。


「覚悟してくださいな! はぁぁぁぁっ!!」


「このガキッ、何をッ!?」


 すんなりと相手の懐に入ることができた私は、想像した通りの動きで握り締めた拳を突き出す。"メル"が成長していく様子をずっと見続けてきたのだから、攻撃モーションの一挙一動だって完全に覚えている。これが幾多のモンスターを倒してきた、殴りヒーラーにしての一撃……その名も素殴りっ!


――ドゴォォォッ!――


 インパクトの瞬間、衝撃波が草原を駆け抜けた。さらに男性の太い足が地面から離れ、ふわっと宙に浮く。


「なんなん、だよ、こいつッ……!?」


 苦痛と驚嘆が混じった顔のまま、彼は草原のはるか向こうへと飛び去ってしまった。1人残された男性もポカンと仲間が飛んでいった方向を見上げたままだ。


「えぇ……」


 流石にパンチ1つでこれほどの威力がでるなんて想定しておらず、自分でも唖然とする。ともかく、これで助かるかもしれない。魔法を貰って伸びた男性は気絶したままで動きそうにないし、残り1名が諦めてくれれば済む。私は拳を握ったポーズを見せつつ、すぐ近くにいた暴漢を見上げた。


「まだやるつもりだったりします?」


「ひいっ!? 化け物!!」


 そう吐き捨てると、男は馬に飛び乗った。可愛い猫耳娘を見て化け物とは随分と失礼な話だけど、別に争いたいわけじゃないので今回は見逃してあげよう。それよりも、私には確認すべき事がある。


「……ココノアちゃん、ですよね?」


 魔法が飛んできた方を振り返ると、そこには小柄な少女が立っていた。私と同じような衣装を身に付け、紫水晶みたいに煌めく瞳をこちらを見つめる彼女は、NeCOで一緒に長い時間を過ごした友人の1人にそっくりだ。


「それ以外の誰に見えるっていうの?」


 悪戯っぽく微笑む少女の耳は長く尖っており、人とは全然違う形をしている。でも艶のあるベージュのセミロングは、まさしくココノアちゃんのアバターそのものだった。背丈は私とほとんど変わらないくらいだけど、肌の色は私よりも白くて手足も細い。触れたら壊れてしまいそうな、そんな繊細さすら感じる。


「うちはエルフっぽい見た目になったみたいだけど、メルは猫か狐の獣人っぽいのよね。ひょっとしてアクセサリの見た目が反映されてる感じ……?」


 興味深そうな表情を浮かべて歩いてくるココノアちゃん。何か考え事をしている様子だったけど、私の方はそれどころじゃなかった。初めて訪れた不安ばかりの場所で、見知った顔に出会えたのだ。しかもそれが大好きな人ともなれば、衝動を抑えきれなくなっても仕方ない。無意識のうちに両足が地面を蹴っていた。


「ちょっ、近い! 近いってば!?」


「ココノアちゃん! ほんとにココノアちゃんです♪」


「何よ、もう……そんなにしなくても逃げたりしないわよ。まったく、良い歳して寂しがり屋なんだから」


 勢い余って抱きついたせいか、ココノアちゃんは少し驚き気味だったけれど、そっと背中に手を回して受け入れてくれた。ほんのりと暖かさを感じる華奢な彼女を抱きしめ、私は異世界での再会を心の底から喜んだ。

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