スキャンダル女王
オメガ
第1話
「照明さん次のシーンは、泣きに入るシーンなんで暗めで頼むわ」
「カメラさんは最初引きから入って、演者が泣き崩れるところをピークに寄せていって」
「じゃ今からテストいきまーす」都内某所にあるハウススタジオで監督の声高が響き渡る。一般家庭のLDKをモチーフにしたセットに現場スタッフがせかせかと往来していた。
「では、みなみさん本番まで少々お待ちください。」
現場で最高責任者であるプロヂューサー兼監督は顔色をうかがうがごとく、揉み手を作り主演である相楽 みなみ に言った。
ハウス内で簡易的に作った休憩所のソファーに深々と座り、みなみは溜息をつく。
「あのーこんな事言いたく無いんですけど」怪訝そうな顔を作り、監督を見返す
「段取り悪くないですか?待ち時間多いから撮影、全然進んでないじゃないですか」語気を強めたためか頬が強張っていく。
「申し訳ございません。ですがこの局で新しく始めるドラマ枠でして、既存のチームではなくスタッフを一から編成したので、まだコミュニティケーションも取れておらず」
監督は額から溢れ出た汗をハンカチで拭き取る。
「仲良しこよしじゃないと仕事が出来ないって事ですか?」みなみの嫌味な発言に、いえいえと、 かぶりふって応える。
「そういう事ではなくてですね。この業界は同じチームで動く事が多いんですよ。
理由は意思疎通がしやすく、長年連れ添う事で生まれる阿吽の呼吸ってやつですかね。細かい指示を出さなくても、各々が理解して作品にあった演出を模索してくれる。スムーズに事を運ぶようになるには、それなりの時間が必要なわけです。まだ第1話ですのでどうか寛容な目で見て頂くわけにはいかないでしょうか?」監督は体をくの字に曲げて頭を下げた。相楽みなみは小さくうねりを上げ、首を曲げ横顔を向けた。
風采の上がらない50手前の男が、居丈高な態度の20代半ばの女性にこうべを垂れる。
滑稽に見えるであろうこのさまは、ドラマの撮影、テレビの収録、芸能界全体で垣間見れる業界独自の風習となっている。
今行われてる撮影は、深夜の枠に空きが出た、なら今までその枠でやってなかったドラマを作ってますか。という試みを局が急遽提案して議決となった。
その煽りを受ける形になるのが現場スタッフであり、プロデューサーだ。
監督も兼任している彼は、スタッフの編成、現場の指揮、脚本家と演出家との板挟み。
並大抵では出来ないような仕事量と奇抜な演出を求められる。
それに加えて主演女優の機嫌取りまでやらねばいけないのだから、
彼の頭の中は労苦によりキャパオーバー寸前だ。
ゴールデンタイムと呼ばれる20時〜23時に放送するドラマのプロデューサーはキャスティング権という、芸能事務所から役者を選出し、それぞれ役に合った俳優を振り分ける権利を持っていて、それがあれば演者とは対等な関係になれるのだが、深夜ドラマということもあり彼には持たしてもらえなかった。
スポンサーの意向や、業界特有のコネによって選ばれた俳優達を上から言い渡される。
そのため演者達からは、私が出てあげてるんだからね、と侮られることも珍しくはない。
権力のない監督には媚びを売ってもしょうがない、というのは周知の事実であり、現に今主演である相楽みなみは、うだつの上がらない年も倍はあるであろう監督に、冷ややかな目線を送っている。
「裏方の事情は知りませんけど、こっちも映画のリハが来月末に迫ってるんで、巻きでやらないと間に合いませんよ?」
お試しということもあり、全4回という比較的少ない話数だがスケジュール的に余裕かと言われればそんな事はない、1日フルに撮影して5分の尺も埋めれないというのはザラにあるからだ。それほど繊細で芸術見溢れる仕事なのだ。
「はい、誠心誠意努めて期限までには間に合わせますので。」
そっちの都合なんて知らねーよ、という思いを飲み込んで淡々と言ってみせた。
「もっと要領よくやって下さいね。そんなんじゃゴールデン帯のドラマやらせて貰えませんよ」みなみは高飛車な口調で言った。
監督は握り拳を作り、眉間に皺の寄った目で彼女を睨みつけた。彼は年齢とキャリアが釣り合ってない現状に焦燥感を常日頃から募っていた。そんな心中を小娘に土足で踏み込まれたからだ。
「なにか?」みなみはそんな彼の思いを一蹴する言葉を言い放つ。スラリとした脚線美を見せつけるように足を組み直し、男をまじまじと見つめた。その目には挑発と蔑みが込められていた。
「いえ、ごもっともです。」ハッと我に返り、すぐさま感情を押し殺して監督は答えた。
「本場の準備ができ次第お声かけ致しますので、しばしお待ちください。」
彼はそう言うと、白毛が混じり始めた頭をペコリと下げ踵を返した。スタッフの元へ歩く彼の背中には、目を逸らしたくなる程の憎悪がこみ上げられ、足取りも重そうだった。
ふん、と鼻息を鳴らし相楽みなみはソファーの背もたれに体重を預けた。
「みなみ言い過ぎよ」後ろから声を掛けたのは、マネージャーの神崎 詩織だ。レディススーツを身に纏い、後頭の毛束を束ねた彼女の出で立ちは、手腕の優れた敏腕さを感じる。
「あら、詩織さん見てたんだ。」
「最後の方だけね。私が飲み物買いにちょっと持ち場を離れた隙にこれじゃない。
勘弁して欲しいわ。」
嘆息を吐いた詩織は、水の入ったペットボトルを差し出す。化粧の乱れを防ぐためストローが差し込まれていた。彼女はそれを受け取り、常温じゃないのか、と呟いてから飲み始める。
「で、何があったの?」腰に手を当て、やれやれと言わんばかりの表情で詩織は問いただす。
「あいつらが仕事遅いから発破かけただけよ。こっちは来月から映画も控えてて忙しい身なのにさあ。仲間と連携取るのに、時間が掛かりますとか言っちゃってさあ、そもそもあの連中からは気概が感じられないのよ」お手上げのポーズでみなみは首を傾げた。
事の勃発を端的に聞いた詩織は額に縦皺を寄せた。そして深呼吸をして胸を膨らませる。
「あのね、みなみ。映画が公開を控えてのスケジュール調整は、こっちの都合なの。だから私たちが無理を言ってお願いしたの。」
「でもそれを了承したんだから、やってもらわないと困るでしょ」
「だからって文句付けるのは違うでしょ。私たちが無理を言わなかったら、ここの現場はもっとゆとりを持って撮影できたんだから」
詩織は子供に諭すように言った。みなみが事務所に所属した時からの仲であり、ここまで二人三脚でやってきた。ひと回り程年が離れているが、姉妹の様な態度で接していて懇意の間柄である。
「だいたい社長も映画が決まったんだから、そっちに集中させてくれれば良いのに、欲張ってこんな当たるかも分からない、お試し深夜枠の仕事入れちゃってさあ。私は試金石じゃないってんの」みなみは冷笑して腕組みをした。笑みの端には苛立ちが浮かび上がっていた。
「そんな事言ったってしょうがないでしょ。所属タレントに空白ができたら埋めるのが事務所の仕事なんだから。」
「分かってないねぇ」みなみは、やれやれと顔を俯け首を左右に振った。
「役者っていうのは緻密な生き物なの。役作りに膨大な時間を要する事を厭わない。役によっては精通した知識がないと人柄に深みがでないから。演じる職業によって知悉になる為に専門的な勉強をしなくちゃいけないの。」
「じゃあ、医者とか弁護士の役なら国家試験受けるって事?」
詩織は揚げ足を取った言い回しをした。だがこれは嫌味ではなく、単純に興味本位からくる言葉だった。
「そこまでする必要は無いけど、様相を掴むぐらいは、しとかないと話になんないわ」
彼女は腕組みをしてまっすぐな目で言い放った。つぶらな目からは、信念による熱い想いが込められている。
「それにね」みなみは肩をすくめて続けた。
「クランクアップして、はい矢継ぎ早にクランクイン。なんてわけにはいかないのよ。他の役者がどうか知らないけど、私の場合は役の人物像を構築して具現化するの。それを私とシンクロさせて演じるわけだけど、クランクアップする頃には順応に混ざり合って、リセットするには時間が必要なわけ。」
役者というのは色んな演じ方があり、みなみが言ってるのはその一つで憑依型と呼ばれる手法であり、役を降ろして演じる。演じ終われば役を抜く。この抜くという作業は個人差があり、一瞬で切り替えれる人もいれば、大御所と呼ばれるベテランといえど1、2ヶ月掛かる場合もある。
「人格が変貌するリスクだってある。それを承知の上で命賭けてやってんの」
相楽みなみの熱のこもった役者論を聞いて、詩織は感心して頷いた。だがこれはこれと、がぶりを振って表情を引き締めた。
「社長にはスケジュール面においては、空白期間を出来るだけ設ける様に進言しておくわ。
でも」といい詩織は顔を近づけた。目元はつけて間もないラメアイシャドウが輝きを放っている。
「監督さんには私から謝っとくから、もう二度と横柄な態度を取るんじゃ無いわよ」
念を押すかの様に人差し指を突き出した。
「この業界は特にだけど悪い噂が回るのなんて、あっという間だからね。札付き女優なんて言われて見なさい、あんたの役者人生に障害が出来るわよ」
キャスティングにおいて、突出した能力があるならまだしも横ばいに並んだ役者を選ぶ際、その人物の人柄や評判で決めることが多い。それゆえ、この業界は我が物顔の実力者と、際立ったものはないが、そこそこできる人格者が割合を占めている。詩織は前者になる事を危惧して談義した。みなみは十分に実力があるので、みんなに愛される国民的女優になって欲しいという願いも込められている。
「分かったわよ」みなみは膨らませた頬をしぼませた。詩織の想いがひしひしと伝わったのだろう。
「分かれば良いのよ」そう言ってみなみの頭部をくしゃくしゃと撫でた。急に触られて一瞬目を細めたが、彼女たちの口には笑みがこぼれていた。
「相楽みなみさん。本番始めますのでスタンバイの程お願いします。」
そんな時監督からの呼びかけがあった。
「さあ、みなみ行ってらっしゃい」
詩織は華奢な背中をポンと叩いた。
その瞬間みなみの雰囲気がガラッと変わった。
人柄というより、人が変わったと言った方が伝わりやすいだろう。
役が憑依して別人になったのだ。相楽みなみは立ち上がり、群集の方へ颯爽と歩いていく。
皆なが固唾を飲んだのが分かった。その堂々たる後ろ姿を見て神崎詩織は思った。
相楽みなみは天下を取る逸材だと。
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