第13話 訪れる変化

 上辺と風見が退学処分になってから一週間が経った。

 二、三日はクラスメイト達も落ち込んでいたが、いつの間にか初めから二人共いなかったかのように過ごしていた。

 人は慣れる生き物だ。

 最初こそ、明日は我が身だと気を張り詰めさせていた。

 しかし、大抵の人間は大して仲良くない奴が退学処分になったところで会話のネタにして終わりだ。

 最後に醜態を見せた上辺、誰にでも優しく接していた乾以外に碌に友人のいなかった風見。

 二人が消えたところでクラスメイト達の心は痛まなかったのだ。

 ゾッとするようないつも通りの教室。そんな中でも変わったこともある。


「友田、放課後一緒に買い物いこうぜ!」

「アニメショップとか巡ろうよ!」


 蒲生と小山内がよく話しかけてくるようになったのだ。

 二人は俺が庇ったことでペアの女子である大阿久と里口との仲が険悪にならずに済み、そのことで俺に恩義を感じているようだった。

 大阿久と里口も段々と成長していく二人を見て、態度はペアの発表時よりも軟化しているとのことだ。


「悪い、今日は風鈴と約束があるんだ」

「何だよ、うまくやってんじゃん」

「このこの~」


 ダル絡みは多いが、蒲生も小山内も悪い奴じゃない。それがここ最近二人と接していてよくわかった。


「二人も大阿久や里口と遊んでくればいいだろ」

「ほら、それは、なぁ?」

「そうそう、ねぇ?」

「いや、伝わらないから。二人だって用事がなけりゃ断ったりしないだろ」


 前よりは打ち解けたみたいだが、蒲生と小山内は煮え切らない返事をした。

 どうやら、まだ二人切りで遊ぶほど仲良くはなれていないようだ。単に誘う勇気がないだけかもしれないが。


「それにそろそろ中間試験だってあるんだ。ちゃんと勉強とかしておいた方がいいだろ」


「「うげっ……」」


 中間試験。その言葉に蒲生と小山内は顔を曇らせた。

 また誰かが退学になるかもしれない。そして、それは自分達のペアかもしれない。

 そんな不安が過ぎったのだろう。俺もそれは例外ではない。


「ぶっちゃけ他の科目も怪しいけど、一番の問題は恋愛実習の試験だよなぁ」

「また退学が掛かってるんだよな……」

「こんな頻度で退学が掛かってるなんて冗談じゃないよ……」


 俺達は再び始まった退学の危機にため息をつく。

 恋愛実習の試験内容は〝相互理解〟だった。

 どれだけお互いを理解しているか、今回の恋愛実習の中間試験ではそれが試される。

 他の科目と違い、恋愛実習の場合は明確な試験対策ができない。

 何故なら恋愛実習の場合はペアごとに回答が異なるからだ。

 数学ならば公式を暗記すればいい。

 化学ならば元素記号を暗記すればいい。

 英語ならば英単語や文法を暗記すればいい。

 国語に至っては、大して勉強しなくてもそこそこ点が取れるだろう。

 その理由は単純だ。どの科目にも明確な答えが存在するからだ。


「勉強も普段からしっかり授業を聞いて予習復習してれば直前に慌てる必要はないって言うし、恋愛実習も普段からペアとしっかり向き合えってことなのかもな」

「な、何か、勉強できそうな奴の言葉だね」

「悪いけど俺は万年平均点を下回るくらいの微妙な成績だ」

「何だ仲間かよ。驚かせんなって」


 結局のところ、俺達の中に特別勉強ができる人間はいない。

 どうせ勉強するのならば、バカ同士で集まるよりもペア同士で絆を深めながら勉強した方がいいだろう。

 この後、俺と風鈴が集まるのも中間試験関連だし、そのまま勉強会に移行しても問題はなさそうだ。

 俺は蒲生や小山内と別れると、寄り道せずに自分の寮へと帰る。

 部屋に入っても、以前のように淀んだ空気が溢れることはない。

 掃除は週二回のペースでやっているのだ。喚起も毎日行っているし、部屋の汚さはかなり改善されたと言えるだろう――足元に散らばるプリントがなければ。

 配られたプリントをテーブルの上に置いて邪魔なときは払いのけるという行為を繰り返した結果がこれだ。


「ワンチャン、新聞紙敷いてる的な感じで問題ないんじゃないか……?」


 現実逃避をしたところで、時間は刻々と過ぎていく。

 そして、風鈴との約束の時間十分前になって俺はようやく重い腰を上げた。


「こうなったら最終手段だ……!」


 俺は床に散らばった物をまとめて救い上げると、部屋に備え付けのクローゼットの中へとブチ込んだ。その場しのぎではあるが、見かけだけは人を入れて大丈夫な部屋にはなったはずだ。

 俺が力技で部屋を片付け終わるのと同時にインターホンが鳴った。


「はろはろー、ごめん早く来すぎた?」

「大丈夫だ、問題ない」


 ドアを開けると、風鈴の他にも来客がいた。


「やあ、友田君」

「やっほー」


 浦野と乾が風鈴の後ろから姿を現した。

 元々二人は今日の話し合いに呼んでいた。

 中間試験に向けて大事な話があると、浦野から相談を持ち掛けられたからだ。

 浦野は成績こそ普通だが、頭はキレる方だと俺は睨んでいる。

 多くのクラスメイト達が恋愛実習の課題を誤解していた中、浦野は課題の本質を見抜いていた。きっと勉強嫌いなだけで頭の回転は速いのだろう。


「立ち話もなんだし、入ってくれ」

「お邪魔しまーす」


 俺が三人を招き入れると、乾が一言告げて遠慮の欠片もなく部屋に上がってくる。

 それから怪訝な表情を浮かべて一見片付けられた部屋を見て呟いた。


「へぇ、意外と綺麗にしてるんだ……」

「意外で悪かったな。てか、少しは遠慮しろよ」

「別にいいじゃん」


 乾はニヤリと笑うと、俺が先ほど強引に片づけをした残骸が詰まっているクローゼットに手をかけた。


「あっ、そこは」

「こういうとこに何か隠れて――んぎゃ!?」


 乾がクローゼットを開けた途端、彼女は雪崩に飲まれた。


「片付けが間に合わなくて放り込んでたんだよ……」

「だと思った」


 大量のプリントに埋もれながらも、乾はどこか楽しそうに笑っていた。その笑顔はつい先日、友人が退学処分になってしまったとは思えないほど明るかった。

 それから視線を部屋の奥に飾ってある俺のスノーボードへ移すと、興奮したように目を輝かせた。


「って、これ! ステッポンじゃん!」


 ステッポンとは、スノーボードの有名ブランドが発売したボードとブーツを固定するビンディングの装着を限りなく楽にしたものだ。

 通常はビンディングについているラチェットでブーツを固定するのだが、ステッポンは踏むだけでボードとブーツを固定できるのだ。

 リフトから降りた後、そのまま両足を固定して滑りだすなんてことも可能で、とにかく滑りたいスノーボーダーには人気の商品なのだ。もちろん、値段も相応のものになる。


「ああ、貯金にお年玉足して何とか買えたんだ」

「こんなん持ってたらガンガン滑っちゃうでしょ。いいなぁ」


 俺のボードを間近で見ながら乾はうっとりとした表情を浮かべていた。


「くるみんって、思ったよりズカズカ行くタイプなんだね」


 そんな乾を風鈴は少し引き気味に眺めながら散乱したプリントを片付けていた。


「あはは、男子の部屋だしあんま遠慮する必要もないかなーって」

「異性の部屋は普通遠慮するでしょ……」


 朗らかに笑う乾に対して、風鈴は呆れたようにため息をついていた。

 コミュニケーション強者同士だから相性がいいと思っていたのだが、思ったより二人は真逆なタイプなのかもしれない。


「いきなりで悪いんだけど、本題に入らせてくれないか」


 それぞれが好き勝手に行動する中、先ほどから黙っていた浦野はいつの間にかテーブルの前に座っていた。


「それもそうだな。ほいこれ、座布団代わりに使ってくれ」


 俺は学園内に設置されたゲームセンターで取ってきたキャラ物のクッションを二人に手渡した。


「サンキュ」

「えっ、あ、うん……」


 風鈴は慣れた手つきでクッションを受け取り、乾は困惑したようにクッションと俺を交互に見ると、おずおずと座った。

 俺が飲み物を持ってきてから全員が座ったことを確認すると、浦野は真剣な表情を浮かべて話し始めた。


「まず、今回の中間試験ではまた退学者が出ると思う」

「さ、さすがに、上辺達の退学は事故みたいなもんだろ。そんなにバンバン退学者を出したりはしないって」

「残念だけど、この学園はそんなに甘くはない。友田君も本当はわかっているんじゃないか?」


 浦野の鋭い視線に射抜かれ、心臓を鷲掴みにされたように息が詰まる。

 本当はわかっている。ただ現実を認めたくなかったのだ。


「……入学式の先輩達の人数、か」

「ああ、おそらく一年の間に半数が退学になるようにできているんだ」

「えっ、それってかなりヤバくない!?」


 浦野の言葉に風鈴が目を見開く。


「ヤバいさ。この学園では恋愛弱者は生き残れない。恋愛スキルを磨いて結果を出さない限り、待っているのは退学だよ」

「そうならないための作戦会議なんだけどね」


 浦野の言葉に続くように乾が発言する。


「私は他のクラスや先輩達に聞き込んで情報仕入れてたんだよねぇ。先輩達はペナルティがあるみたいで情報を漏らさないようにしてたけど、ちょっとカマをかければボロは出してくれたよ」

「そうやって乾さんが仕入れた情報を元に僕はいくつも推測を立てたんだ」


 話を聞く限り、二人は役割分担をして恋愛実習に真剣に向き合っていたようだ。

 うまくいっていないなんて言っていたが、とんでもないコンビネーションである。


「上辺君達の退学は学園側としても最初から狙っていたんじゃないかと思う」


「「なっ」」


 俺と風鈴は驚きのあまり絶句した。

 そんなこと許されるわけがない。頭ではそう思っていても、この学園ならやりかねないと思ってしまう。

 ふと、終始笑顔だった冠城先生の姿が頭に過ぎった。


「じゃあ、上辺達は最初の課題で落ちることを想定してペアを組まされていた?」

「その可能性が高いと思うよ」

「一体何のためにそんなことしたし!」

「見せしめ、じゃないかな。本気で恋愛実習に取り組まなければ君達もこうなるぞって具合にね」

「そんな……」


 ショックを受ける俺と風鈴を置いて、二人は話を進めていく。


「たぶん、蒲生君と小山内君も危ないラインだったと思うよ。多々納さんが大阿久さんや里口さんにアドバイスしてなかったら、退学になってた可能性は高かったんじゃないかな?」

「マジか。二人にちゃんと言っておいて良かったぁ……」


 風鈴は蒲生と小山内のペアである大阿久や里口と仲が良かった。きっと雑談ついでに二人の改善点について指摘するようにアドバイスしたのだろう。


「乾さんの情報によれば、他のクラスでも二、三組のペアが退学処分になっているんだ。男女共に、上辺君のように容姿が整っていたり、世間一般的に〝陽キャ〟に見える生徒がね」

「それって、まさか陽キャでも油断したら退学になるから、陰キャのお前らは死に物狂いで努力しろってことか」

「暗にそう言っていると僕は思ったけどね」


 だとしたらとんでもない話である。

 学園側は名門校の推薦を餌に、生贄となる生徒も予め用意していたことになるのだ。


「だからこそ、ペア同士だけじゃ生き残るのは難しいと思った。少しでも退学を避けるためには仲間が多い方がいい」

「でも、それだったらあたしらじゃ足りなくない?」


 浦野の話を聞く限り、目的は仲間を集めて退学に抵抗できるように情報を集めて協力するということになる。

 その場合、俺と風鈴のペアだけと結託しても仕方ないように思える。


「ああ、だから友田君にはクラスの中心人物になってほしいんだ」

「ふぁっ!?」


 予想外の言葉に素っ頓狂な叫び声が口から漏れた。


「上辺君の退学の一件で、友田君の注目度は上がった。元々多々納さんのペアってこともあったけど、あの男気に感心した生徒は多いはずだよ」

「女子の間でも、大勢の前で自分の非を認めて謝れるなんてすごいって言われたしね」

「そ、そうなのか」


 こうも褒めちぎられるとむず痒くなる。

 俺は風鈴に謝りたいから謝った。それもどちらかと言えば自己満足のためだ。

 それを評価されるとなると、どこか複雑だった。


「あと、よく見れば割とカッコイイ顔してるって」

「そうか、だったらそれは風鈴のおかげだな」

「へ、あたし?」


 まさか自分に話が飛んでくると思っていなかった風鈴は、珍しく呆けた表情で自分を指さした。


「俺が変われたのは風鈴がいろいろとアドバイスしてくれたおかげだ。だから、俺の評価が上がってるのなら、それは風鈴の評価だよ」

「いやいや、変わったのは主税自身でしょ。あたしはただのきっかけだって」

「きっかけがなきゃ動こうともしなかった。だから、ありがとな」

「意地でも認めない気だこいつ……わかったよ、どーいたしまして!」


 風鈴は何故か頬を膨らませ、そっぽを向きながら俺の感謝の気持ちを受け取った。

 それから浦野は再び話をこれからのことに戻した。


「話を戻すけど、上辺君が抜けたおかげでうちのクラスには男子のまとめ役がいなくなった。固まってたグループもバラバラになったし、男子には周りを引っ張っていく存在がいない」

「それを俺にやれと?」

「主税は男子同士ならコミュ力に不安はない。女子だってこの環境下で慣れてきたはずだ。多々納さんや乾さんと普通に会話できているのが証拠だ」


 俺のクラスの男子にはコミュニケーション能力が高い者はもういない。

 女子は女子同士で固まっているうえに、男子は一人で過ごしている者も多い。


「多々納さんと乾さんがいれば、グループとしても華がある。蒲生君達も君に懐いているし、不可能じゃないはずだ」

「浦野はどうするんだ?」

「僕は裏で動く方が性に合ってるからね。そっちのグループには入らない予定だよ」


 浦野はどうやら表だって動くつもりはないようだ。


「わかった。やるだけやってみるけど、期待はするなよ?」

「友田君が周りをコントロールできれば退学者は減らせるかもしれないんだ。挑戦してくれるだけでもありがたいよ」


 こうして、退学者を減らすために俺達は動き始めたのであった。

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