第21話 占領軍参謀本部


 僕の息はもう続かなかった。



(アイゼやベラベッカだったらどうしよう!?)



 僕は死を覚悟して湯から飛びだしたが、そこにいたのはタオルを頭にのせて鼻歌を歌いながら気持ちよさそうに湯に浸かっている猫だった。

 その猫は長毛で顔の真ん中あたりだけが黒くて、目をつむっているのでどこが目なのか鼻なのかよくわからなかった。

 僕は今まで、その猫は屋敷の中で見かけたことがなかった。


「あの、こんばんは。」


「こんばんはニャ。」


 しばらく無言が続き、僕は沈黙に耐えられなくなった。


「僕は三毛神と言います。こちらで先日からお世話になっています。」


「聞いとるよニャ。」


「すみません、あなたはどなたですか?」


 長毛猫は目を片方だけ開けた。


「ワシはシャムシャム・バウムクーネルニャ。」


(確か、前院長の?)


「あの、よかったらお背中を流しましょうか?」


 僕の申し出に、前院長は湯を出て風呂椅子の上にちょこんと座った。僕はけむくじゃらの背中をせっけんで洗った。


「ミケガミ君。」


「はい?」


「お主は、アイゼとベラベッカのどっちがタイプかニャ?」


 僕はなにかの罠だと思ったので、質問に質問で返す手段に出た。


「ちなみに、前院長はどちらですか?」


「そりゃもう、アイゼちゃんニャ! だから院長に選んだニャ! ニャハハ。」


「はあ。」


 身構えていた僕は拍子抜けした。


「ミケガミ君。アイゼちゃんと、ついでにベラベッカのこと、よろしく頼むよニャ。」


「は、はい。」


 前院長は全くつかみどころの無い猫だった。




 次の日、僕は占領軍参謀本部を目指して猫の街を歩いていた。本部と言っても、元は猫王家の城を占領軍が勝手に使っているだけだった。門衛に召喚状を見せると敬礼されて通された。

 石造りの陸橋を渡って城内に入っていくと、あちらこちらに制服の兵士が立っていて、詰襟の軍服を来た将校が行き来していた。同じマークの垂れ幕や旗が方々に飾られ、ここにも猫女神の石像が壊された跡が方々にあった。

 


「レイ殿!」



 サバーバン大佐がこちらに手を振りながら駆けて来た。


「昨日は本当にすまなかった。あの後、大丈夫でしたか?」


「は、はい。なんとか。」


 僕は嘘をついた。



 あれからベラベッカは食事にも現れず自分の部屋にとじこもってしまい、夜の作戦会議にも現れなかった。


「レイにいちゃんの料理でおなかをこわしたのかニャ?」


「ま、まさか。」


 僕はユートの冗談に笑ったが、気が気ではなかった。アイゼは彼女抜きで会議を始めると宣言して、僕に事情聴取の台本を用意し、色々と細かい指示をした。


 大佐がおみやげにくれたケーキを皆で頬張りながら。


「美味しい! あのコも食べれば良いのにね。せっかくだから、食料も貰っておけばよかったのに。」


「ワイ、ベラベッカの分も食ってええか?」


「レオパルト、ずるいニャ!」



 今日、僕はその指示どおり台本を暗記して準備をしてきたが、うまくいくかどうか自信はなかった。


「では、部屋までご案内します。」


 大佐が歩きだそうとした時、刈り込んだ白髪まじりの頭で顔に傷のある年配の兵士が慌てて近づいて来た。


「大佐! 大佐! 大変ですぜ!」


「騒々しいな、軍曹。どうした?」


「ゲートで白い子猫が大暴れしてやして、2名ほど殴り倒されやした。」


「あ…。」


 僕と大佐は顔を見合わせた。



 ユキはお菓子とミルクを貰ってご機嫌だった。大佐のはからいで、僕が戻るまで空き部屋でユキを預かってくれることになったのだった。



「こんな所にまで追いかけてくるなんて、ダメだよ、ユキさん?」


「ゴメンね。レイが心配で追いかけてきちゃったニャ。」


 僕はユキのフカフカの頭をやさしく撫でた。


「すぐに終わるから、僕が戻るまで大人しくここで待っていてね。」


「わかったニャ!」



 大佐は兵士にしばらくユキの面倒を見るように命令すると、僕と再び城内を歩き始めた。なぜか大佐は僕の顔を見て笑っていた。


「いえ、すみません。子猫にここまで慕われている人間を初めて見たもので。貴殿は不思議なお方だ。」


「そ、そうですか?」


 歩幅の広い大佐を僕は慌てて追いかけた。ようやく目的の部屋の前に着いたが、明るかった大佐の表情が急に曇った。


「レイ殿。この中には非常に不快な人物がいますがどうか我慢をしてください。本官も同席いたしますので。」


 僕が緊張した顔でうなずくと、大佐が扉をノックした。


「入れ。」


 偉そうな声が聞こえて、僕たちは部屋に入った。中は赤いカーペットが敷き詰められ、豪華な調度品に囲まれていた。大きな旗の下に机があり、軍服姿であごひげのある禿げ上がった中年オヤジがいた。


「サバーバン大佐、遅かったな。待ちくたびれたぞ。」


「は。申し訳ございませんでした! ドリンケン大将閣下!」



(奴が占領軍のボスか。街中の肖像画はこの人だったんだ。)



「あらあ、また会えたわね。あの時のぼうや。」


 僕がその声の方向を向くと、パルミエッラが窓際に立っていた。彼女がこちらへ歩み寄ってきて、僕はきつい香水の香りで頭がクラクラした。

 大佐が僕を守るように間に割って入り、パルミエッラは露骨に顔をしかめた。


「あら大佐殿。そこをどいてくれるかしら? 大きくて邪魔なのよね。」


「この方は貴重な証人ですので、貴方は近づかないで下さい。」


 パルミエッラは怒りで顔を赤くして、ドリンケンに目で合図をした。


「もういい大佐。君は下がっていたまえ。」


「閣下! 本官も同席するはずでは?」


「下がれ、と言ったのが聞こえんのか。」



 大佐は納得できず不服そうだったが、敬礼をすると扉へ向かった。僕とすれ違いざまに彼女は僕の耳に口を近づけた。



「申し訳ありません。何かあればすぐに駆けつけます。」


 大佐は部屋から出て行った。



「ふん、身長だけが取り柄の使えない軍人ね。」


 パルミエッラは僕にもたれかかりながら、大将に親しげに話しかけた。僕は早くも助けをよびたい気持ちになった。


「大佐は名家サバーバン家の一人娘だからな。目障りでも無下にはできん。それよりも本題だ。」


 ドリンケンは尊大な態度で僕をにらみつけてきた。


「貴様か、あの憎き黒猫を葬ったとかいう奴は。」


「はい。」



(ここからは台本通りにしないと。)


 僕は気を引き締めた。



「とっさにぼうやに頼んでよかったわ! まさか本当に倒してくれるなんて! 奴のおかげで、今までどれだけ取引に損害がでたか、考えただけで腹わたが煮えくりかえるわ。」


(取引? 損害?)


 ドリンケンが咳払いをした。


「疑うわけではないが、証拠を見せて貰おうか。」


 想定通りの質問だったので、僕はポケットからある物を取り出した。


「これです、猫の牙です。ご覧下さい。」


 僕は進み出てドリンケンの机にそれを置いた。


「奴を倒したあと、口をこじ開けて抜きました。死体は蘇らないように油をかけて燃やし、灰は川に流しました。」


 ドリンケンとパルミエッラは猫の牙をじっと見ていた。


(信じるだろうか…。)



 作戦会議の時、アイゼは奴らは必ず黒猫を倒した証拠を見せろと言うに違いないと言った。


「占領軍は黒猫は大きな化け猫だと思ってるのね。好都合だわ。レオパルト、虫歯が一本あるのを隠してるでしょ。抜いてくれる?」


「絶対にお断りや。」


「三日間、酒と昼寝禁止とどっちが良いの?」


 というやりとりで決まった作戦だった。



「すばらしい! 実にすばらしい! アマガミさん、よくやった! 実は先日から黒猫は全く現れなくなったのだ。君の証言と一致する。いや、若いのにたいしたものだ!」



 ドリンケンは立ち上がり、拍手をしだした。


「あの時の続きをしなくちゃね。」


 僕は聞こえていないフリをして、台本通りに続ける事にした。


「閣下、報酬のことですが。」


「おお、そうだった。いくら欲しい? 好きなだけ金額を言え。」


「ありがとうございます。ですが、お金よりもお願いがあります。」


 僕は台本のセリフを思い出しながらドリンケンを見返した。


「ぜひとも、僕をパルミエッラさんの組織に加えてほしいのです。ながれ者の傭兵の生活はもううんざりなんです。」


「なんだ、そんなことで良いのか? どうだ、パルミエッラ?」


「願ってもないわ! 黒猫のにかなりやられたから人手不足なのよ。あなたみたいな腕の立つ人は大歓迎よ! うんと稼がせてあげるわね。」


 僕はパルミエッラの流し目にゾッとした。


「では、細かいことは君ら二人で話したまえ。もう帰っていいぞ。」


 ドリンケンはもう関心を失ったのか、机上の書類に目を通し始めた。思っていた以上にうまくいって、僕は内心ホッとして帰ろうとしたがパルミエッラに腕をつかまれた。


「あら、約束を忘れたの? 私の部屋でゆっくりと二人きりで打ち合わせをしましょ。」


(ど、どうしよう…?)



 ここからは台本にはなかった。

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