第7話 酒場の大猫


 あまりの美しさに、僕は失礼だとは思いつつじっと彼女を見つめてしまった。


 落ち着いた淡い青い瞳に長い睫毛。

 肩までの長さの輝く金色の髪はミディアムロング。

 小さい顔に細い顎のライン。


 アクセサリーは身につけていないし化粧もしていなさそうだし、着ている服ははっきり言うとかなりみすぼらしかったが、彼女の輝くばかりの美しさには全く影響がなかった。

 僕は彼女の突然の謝罪への返事に困ってしまい、かなり考えてからようやく口を開くことができた。


「それは、あげたのです。盗られたのではありません。」


 でも、彼女は全く人の話を聞かないタイプらしくてひたすら頭を下げて僕に謝り続けた。


「何卒、何卒、占領軍への通報だけはご容赦くださいますよう何卒お願い申し上げる次第です。食べ物は弁償いたしますので、何卒。」


 俺は彼女が何卒と何回言うのか数えるのに疲れてしまった。


「だから、盗られていませんよ。その子にあげたのです。」


「へ?」


 彼女は自分の聞き間違いかと思ったのか、驚いた顔をした後に今度は猛然と僕にお礼を言い始めた。


「まさか、人が猫の子に施しとは。しょぼい焼き魚の串とは言えあなた様のご厚情に深く感謝申し上げます! ありがとうございます!」


 まれに見る美しさだが、僕はこの人とはあまり関わり合いにならない方が良い様な気がしてきたのでそのまま立ち去ろうとした。すると突如、彼女は僕の間近まで近づいてきた。


「ですが! ですが、二度とこのような施しはなさらないで下さい! 望みさえすれば何でも努力せずに手に入るなどと、子供たちに思わせては教育になりません! そもそも、貴方は相手が望めば何でも与えてしまうのですか?」


 僕は彼女がいったい何を言いたいのかがさっぱりよくわからなかったが、謝まられた後に感謝され、最後には怒られているという事だけはわかった。

 とにかく早く切り上げたくて、僕は適当に謝ってから逃げようと考えた。


「はい、それはすみませんでした。では。」


「おまちください!」


「まだ何か?」


 灰色の子猫は退屈なのかしきりに目をこすりながら欠伸をしていた。彼女はなぜか顔を赤くしてモジモジしていた。


「あ、あの、残念ながら今は手元に持ち合わせがありません。後で『こねこの家』まで来てください! その時に、食べ物の代金をお返しします!」


 そう言いおえたとたんに、彼女はものすごい速さで去って行った。その速さのあまり、手を繋いだ子猫が宙に舞っていたくらいだった。


(いったい、彼女は何だったのだろう。)


 こねこの家の意味も場所も彼女の名前も全て聞きそこねてしまい、僕は首を振ると再び歩きはじめた。



 結果から言うと、僕は宿にはどこにも泊まることができなかった。簡易な宿泊だけの所や、居酒屋兼宿屋や、少し豪華なホテルなどはいくつもあったが、どこにいっても満室だの一点張りだった。

 おかしいと思い、数軒目でよく聞くと占領軍から『怪しい奴は泊めるな』との通達があり、それが更に厳しくなっているということだった。


(僕は怪しい奴か…。)


 お金を見せても駄目だったし、人間が経営している宿も猫の宿でも同じだった。



 そうこうしている内にまた日が暮れてきた。街を出ても行くあてがないし、僕は黒猫の事をもっと調べたかった。今夜はどこか目立たないところで一晩をすごそうとして僕は街をさまよった。

 その前にとにかく夕食だけでも食べておこうと、僕は適当な酒場のカウンター席に着いた。その酒場は、猫と人間の客でごった返していた。店の中を見わたすと、猫たちは酒で憂さを晴らしているようで酔い潰れている猫がたくさんいた。


 僕はメニュー表の内容がさっぱりわからなくて、値段もよく分からなかった。注文をどうするか迷っていると突然、隣の席の客が僕のほうに身を乗りだしてきてメニュー表を指差した。


「兄ちゃん、それはやめとき。こっちのこれがうまいで。」


 いつの間にか、僕の隣の席には巨大な猫が座っていたのだった。僕を見てニヤっと笑うその巨体は長毛種で、迷彩柄のような毛並みはボサボサだった。こういう毛並は確かサビ柄という筈だった。その巨大な猫がいったいいつからそこに座っていたのか僕にはわからなかった。


「あ、ありがとう。」


 僕はとりあえず礼を言い、巨大サビ柄猫の指示通りに注文して待っていると、大猫はまた僕に話しかけてきた。


「兄ちゃん、これ飲めや。ワイのおごりや。」


 大猫はジョッキに入った正体不明の飲み物を僕に突き出してきた。相手の顔を見ると、またニヤッと牙をむいて僕に笑いかけてきた。宿に泊まれずにすこし不機嫌だった僕は言った。


「ありがとう。でも、もう僕にはかまわなくていいよ。」


 でも、迷彩猫は僕の背中をポンポンと肉球で叩きはじめた。


「まあまあ、飲めや兄ちゃん! マタタビ酒や、うまいで! ニャハハハハハハ。」


 豪快に笑った大猫はよく見ると、かなり酔っぱらっているようだった。僕はタチの悪い酔客にからまれているとわかり、更に機嫌が悪くなったので無視することにした。でも、酔った大猫は更に僕に絡んできた。


「兄ちゃん、ええ話があるんやけどな。どや、話だけでも聞かへんか。」


 僕はうさん臭げに大猫を見返した。巨大な長毛サビ柄猫は、こちらの返事も聞かずに勝手に椅子を僕の真横に近づけて来た。長毛が僕の顔にあたり、くすぐったかった。あからさまに迷惑そうなはずの顔の僕に構わずに、大猫は一方的だった。


「実はな、ものすごいええ仕事があるんやけどな。高給で3食の飯に寝床もありや。しかも、みんなから尊敬される崇高な仕事や。こりゃやらな損やで!」


 大猫は一人で、いや一匹で勝手に自分のいったことに納得していた。


(怪しい…。)


 この手の怪しい連中は猫の街にもいるのだなと僕は思い、即座にきっぱりと断ることにした。


「結構です。」


 大猫はいかにも意外そうな顔をした後、急に怒り出したみたいで持っていたジョッキをカウンターに思い切り叩きつけて置いた。


「なんでやねん! どこの宿屋にも泊まるんをことわられて困っとるやろ、見てたから知っとるねんで!」


 そう言ってから、大猫はしまったという顔をしてでかい肉球のある手で自分の口を押さえた。


(僕の跡をつけていたのか!?) 



 僕が大猫を問い詰めようとした時、酒場の入口から物凄いはやさで誰かが飛び込んできた。

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