第10話 先輩の好きな人
「私、実は紅葉君に謝らなければならないことがあって……」
三月の始めごろ、先輩が深刻そうな顔で謝罪してきた。すでに大学での講義は終わり、学食には人が少ない。紅葉はサークル活動のために大学に来ていた。学食でひとり、昼食をとっていたところに美耶が現れた。席はたくさん空いているが、美耶は紅葉の隣に座った。手には何も持っていない。美耶は四年生だが、何をしに大学に来たのだろうか。疑問に思ったが、美耶の言葉のほうが気になった。
「紅葉君は気づいていたかもしれないけど、私ね、好きな人がいるの」
その言葉に紅葉はようやくすっきりしない気持ちの理由がわかった。やはり、先輩は自分と誰かを重ねていたのだ。しかし、そこである疑問が生じる。
(美耶先輩の好きな人と、俺はどこが似ているのか)
好きな人と重ねるということは、その人と紅葉に共通点があるからだ。容姿だとは思いにくいので、性格や言動などが似ているのだろうか。
「それで、この前一緒に旅行に行ったときに、思い切って告白してみたの。でもさ、やっぱり結果はダメだった」
「それを俺に話して、どうしたいんですか?」
「そうだね。君に話しても仕方ないね。でもさ、少しくらい私の話をきいて慰めてくれたりとかしないの?私たちそれくらいの仲には進展していると思っていたんだけど」
いつもは明るく冗談が好きな先輩だったが、今日はどこか寂しそうな顔で笑っている。
「先輩のいいところに気づけないそんな人なんて忘れて、俺にしますか?」
そんな顔を見ていたら、自然と言葉が口から出ていた。初対面ではやばそうな人だと本能的に逃げ出そうとしていたのに、自分の気持ちの変化に紅葉自身が驚いていた。自分の言葉の意味を理解した紅葉は慌てて自分の口をふさぐが、先輩にはばっちり聞こえてしまっていた。
「そうだねえ。確かに私の魅力に気づけない人なんて、放っておきましょう。紅葉君なら私の望みをかなえてくれそうだし、ね」
かくして、紅葉の告白まがいの言葉により、二人は正式に付き合うことになった。
「出会いはわかったけどさ、そこからどうやって美耶が同性を好きだってことを知ったの?今の話だと、紅葉が美耶に告白したことになって、それに美耶が応じた、みたいに聞こえるけど」
弟と親友のなれそめなど聞きたくはなかったが事情はわかった。親友が弟を自分と重ねてみていたと聞いたときはまさかとは思ったが、美耶の家庭の事情を聞いた後ではなるほどと納得した。
「そうだよ。実際に二人の仲では俺から告白したことになってる。ここから、俺たちは楽しい思い出を作っていくのかと思ったんだけど。それが違ったんだよなあ」
何やら急に弟は不機嫌そうに頬を膨らませた。いったい、この後、二人の間になにがあったのか。楓子は弟に話の続きを促した。
紅葉は卒業式で初めて、姉と恋人が親友同士だということを知った。そして、そこで重大な秘密を知ってしまう。
(ああ、そういうことか)
好きな人に振られたと言っていたが、確かに先輩の好きな人は、絶対に先輩の告白を受け入れることは無い。付き合うこと自体が難しい人だった。まさか、自分の恋人の好きな相手が。
(姉だったとか。でも、これで辻褄が合う)
好きな人との共通点は容姿だった。容姿は候補から外していたが、それこそが美耶が紅葉に声をかけてきた理由だったのだ。親しげに話す様子を遠目に見ていても、美耶が一方的に姉に好意を寄せているのがまるわかりだった。紅葉と話しているときとは違い、焦点がしっかりと姉に定まっている。よく見ると、頬が紅潮して目が輝いている。いつも紅葉に話し掛けるときのような明るいのに空虚な笑顔ではない、本物の笑顔だった。
卒業式が終わり、紅葉は先輩に一つの連絡を入れた。
「美耶先輩の秘密を知りました。少しそのことで話があります」
連絡を待っていたが、卒業式当日に返事が来ることはなかった。
『引っ越しの準備で忙しくて会える時間が取れないから、私の秘密とやらは電話で聞いてもいい?』
ようやく返事がきたのは卒業式が終わって三日後の夜の事だった。すぐに紅葉は美耶に電話を掛ける。
「美耶先輩、改めて大学卒業おめでとうございます」
「挨拶はいいから、用件を話しなよ。いったい、私のなにを知ったのかな?」
電話越しに聞こえる先輩の声はどこか硬い緊張した声だった。
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