第2話

 日曜日は瞬く間にやってきた。

 駅の改札、服装にも少し気合が入り、待ち合わせの十分前には到着する。これが同性の友人だったりすると五分くらいの遅刻は当たり前なんだが、待ち合わせの相手がかわいい女の子ともなるとこんなもんだ。自分でもつくづく現金だと思う。



 ナナセは待ち合わせの五分前に現れた。


「こんにちは。お待たせしました」

「あ、おはよう。大丈夫、俺が早く着いちゃっただけだから」


 二人して微笑ましく緊張気味の挨拶を交わして、僕たちは待ち合わせの図書館へ向かった。



 アヤノさんとタマゴは藤色の日傘の下で待っていた。アヤノさんは日傘に合わせたのだろう渋い藤色の着物を着て、タマゴは相変わらずだった。……まあ、変わりようもないよな。


『遅い!』


 藤色の日傘に容赦のない言葉が表示される。


「すみません、私が着くのが遅かったから」

『違う。ナナセは悪くない。リョウの見積もりが甘いの』


 ……なんでこのタマゴ、僕にばっかりこう突っかかってくるんだ?


「まあまあ、良いじゃないの。今やっと開館したところなんだし、ねえ?」


 アヤノさんがのほほんと口を挟んで、僕らは図書館へと乗り込んだ。

 図書館に入り、空いたテーブルに陣取ってからナナセがアヤノさんに頭を下げた。


「はじめまして、七瀬夏海といいます。ナナセって呼んで下さい」

「潮崎綾乃よ。よろしくね、ナナセちゃん」


 アヤノさんはにこにこと頷く。


「ところでリョウ君、私考えたのだけれどね?」


 アヤノさんは僕の方へ振り向き、微笑んだまま首をかしげた。


「タマゴさんにもちゃんとお名前を付けてあげたいと思うのよ。いつまでもタマゴさんじゃ可哀想じゃありませんこと?」


 反対する理由も無いので、僕は素直に頷く。可哀想かどうかはともかくとして、まあ名前はあっても困らないよな。


「それじゃあ、みんなで考えましょう」


 アヤノさんは嬉しそうに両手を打ち合わせ、同じテーブルに座った面々を見渡した。


「そうだなあ……タマゴだから……」


 僕はあごに手を当てて考え込む。


「ゴマちゃん」

「タマちゃん」


 ナナセとアヤノさんは同時に言った。一瞬、二人の間に火花が走る。


「……どうでしょう、ここは」


 ナナセが不敵な笑顔を浮かべた。……笑ってるところ初めて見たよ。


「多数決、ということで」


 アヤノさんはいつもの優雅な笑顔。そして二人は、同時に僕の方を見た。

 ……多数決? ……と、言うことは、二人はもちろん自分の案に一票入れるんだろうから……だから、つまり……決定権は僕にあるんじゃないか!


「ま、待ってくれ!」

「リョウ君、何か別の案でもあるの?」


 ナナセが笑顔だ。なんとなくものすごく珍しいものを見たんじゃないかって気がする。気がするがしかし代案のない反対意見は却下だ、のオーラが出ている。怖い。


「……た……タゴちゃん……とか……」


 僕は苦し紛れに呟いた。


「でもねえ、こう言ってはなんですけど、あまりかわいくないですね」


 アヤノさんが言う。全くだ。僕もそう思う。でも代案を出せなかったらナナセが怖い。


「ゴ、という響きがちょっとねえ……」


 考え込むアヤノさんの肩を、タマゴが突っついた。アヤノさんは眉一つ動かさず(視線すら動かさず)準備してあった白いハンカチを両手で広げる。


『タコは?』


 映し出された文字は衝撃的だった。


「た……」


 僕は思い切り息を吸う。


「タコぉ!?」


 場所が図書館なだけにできるだけ音量は絞ったが、隣のテーブルの人がちらりとこちらを見た。


『悪い?』


 文字がぱっと切り替わる。


「だ、だってタコっていったら赤くてぐにゃぐにゃしてて足が八本で」

『何その化け物。リョウ、私のことからかってるの?』


 大誤解だ。言いがかりだ。タコは確かにこの地球上に生息している生き物だ。タマゴが世間知らずなだけじゃないか。何で僕が責められなきゃならないんだ?



 結局、本人の要望によりタマゴの名前は『タコ』に決定した。生物図鑑まで持ってきてたしなめたのに、聞いてくれやしなかったのだ。……調べ物を始める前から無駄に疲れた気がする。それにしても、タコなんて呼びづらいことこの上ない。ほとんど悪口じゃないか。いくら相手がタマゴだからといっても、これは気が引ける。

 図書館の一角、書架で四角く囲われた郷土史料コーナーの中で、中央公園に関する文献をめくりながら僕は深い深いため息をついた。


『何ため息ついてるの?』


 調べていた本の余白に唐突に文字が浮かび上がる。


「……いや、別に」


 僕は出来る限り小声でぼそぼそと答えた。


『何かわかった?』

「あんまり。特定の桜についてなんてあまり書いてないからさ。枝垂桜は一本しかないから何かあるかなとは思ったんだけど、なかなか見つからなくて。中央公園全体の桜の由来とか、世話をしてきた人たちの手記とかなら見つかったんだけど」

『世話をしてくれた人の手記!』


 タマゴの文字が嬉しそうな丸文字になって飛び跳ねる。


『読みたい、それ読みたい! 貸し手!』


 ……あれ?


「……誤字変換?」


 一瞬考え込んだ後、僕は半眼で呟いた。


「ずっと疑問に思ってたんだけどな、そもそもなんでお前日本語しゃべれるんだよ?」

『べべべ勉強したからよ!』


 タマゴは慌てたようにびよんと僕から距離をとり、開いたままの本の余白に文字を走らせる。


『これだってワープロの技術を私の星の高度な技術でもって組み込んだすごい装置なんだから。だから尊敬しなさいよ。あんたみたいなえせ理系大学生なんて私の技術力の足元にも及ばないんだから!』


 ……こいつは調子に乗っている。絶対乗っている。五百円くらいだったら賭けてもいい。


「で、結局のところ、お前は何なんだよ?」


 僕は持っていた本を書架に戻し、天井付近へ逃げたタマゴに手を伸ばす。


『宇宙人のタマゴよ!』


 自称宇宙人のタマゴは天井に向かってそう主張した。……ちょっと無理がある。


「どうせ遠隔操縦のおもちゃなんだろ? どういう原理で飛んでるのか興味あるんだけど、バラしてもいいかコレ」


 僕は図書館の備品である移動式の階段に登り、タマゴをふん捕まえてレンズの向こうにいるのだろう操縦者に向かって尋ねた。階段に乗ったまま、片手を書架にかけて見上げた白い天井に文字が躍る。


『やめてよ解剖なんてだめだめだめだめ絶対だめ! あんたなんかの技術力で生き物解剖したら死んじゃうから絶対!』

「だからお前が本当に生き物なのか確かめようって」

「図書館では静かにね?」


 僕の語尾を奪うように、きっぱりとした声が聞こえた。呆然と見下ろすと、いつの間にか配架にやって来ていた司書のお姉さん(たぶんアルバイト)が階段の下からにっこりと微笑んでいた。


「……すいません」

『ほれ見なさい』


 僕は階段から降り、生意気なタマゴを両手で締め上げる。タマゴは手の中でくにょくにょと暴れた。



 その日タマゴは、桜の世話をしていた中央公園の職員の手記と、桜を植えた近くの小中学校の生徒の作文を見つけてとりあえず満足した。


『この調子で来週もがんばるわよ』


 アヤノさんの日傘にタマゴの文字が揺れる。夕暮れに日傘も変な話だけど、アヤノさんが堂々としているのであまり気にならない。


「まだやるんだ……」

『当たり前でしょ』


 うんざりした僕の呟きに、タマゴは上機嫌なゴシック体で答えた。


「……まったく。仕方ないな。じゃあ、来週も今日と同じところで待ち合わせで良い?」

「ごめんなさいねえ、私は参加できそうにないのよ。今度の日曜日は茶道の教室があるものだから……」


 アヤノさんが心底申し訳なさそうに謝る。


「茶道……ですか?」


 ナナセが意外そうに聞き返した。


「ええ、お稽古のね、先生をしているんですのよ。似合わないかしら?」

「いいえ、そんなことないです。だから立ち居振る舞いが綺麗なんですね。……いいなあ」

「あらあら興味があるの? ナナセちゃんが習いに来てくれると私も嬉しいわ。ぜひいらして下さいな」

「ほんとですか? わあ、嬉しいです。じゃあ今度ぜひ」


 女性二人は茶道の話で盛り上がり、僕はなんとなくおいてけぼり感に浸る。


『ま、気を落とさずに。来週は私も遠慮してあげるからさ』


 前を行くアヤノさんの傘に、無神経なのか気を利かせたつもりなのか微妙な線のタマゴの言葉。

 僕の背中は今、すすけているに違いない。

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