第51話貴族は『悪』である

 

「——なんだか、やけに慣れてない? 普通貴族ってこんなことしないものでしょ?」


 去っていった女性の背を見送っていると、ルージャが話しかけてきたが、まあそう思うのも無理はないことだ。何せ、普通の貴族は露店をやれと言われても今のように対応することなどできないだろうから。

 だが、俺には前世の記憶がある。この程度のことであれば、特に難しいこともない。


「だろうな。もっとも、俺は〝元〟貴族だが」

「だとしても、これまでの生活でこんなことしたことないんでしょ? なんでできるのさ」

「軽く話をして品を売るだけなのだ。誰でもできよう」


 もっとも、その〝話して売るだけ〟という行為を平民相手に行うとなると、貴族には難しいものがあるだろうがな。特に、高位の貴族であればあるほど。俺の父である公爵に同じようなことをさせれば、まず間違いなく問題が起こる。


「……というか、あんたはそれでいいの? こんな状態でさ」


 こんな状態、というのは、殺し合いをした俺達がこうし隣りに座り店を開いている状態のことだろう。

 確かに、殺し合いをした相手と共に、それも、まだ和解も何もしていないのに隣に座り商売をするなど、常識では考えられないだろう。

 だが……


「良いとは思わん。だが、貴様を捕まえるために動けば、貴様は抵抗するだろう?」

「まあ、そうだね。大人しく捕まるわけがないよ」

「その際にはまた魔創具を使うだろうが、それではこの辺り一帯が火に飲まれることになるではないか」


 こいつを倒そうと思えばすぐに倒せるが、その場合は周囲を巻き添いにしての大規模攻撃を行うことになる。

 それを避けて時間をかければ、その影響で周囲が破壊されることとなる。

 どちらしても、俺達が戦うことになればそれなりの被害が出ることになるのだ。であれば、ここで見つけたからと言って戦うわけにはいかない。

 これがどうしても避けられない戦い……例えば、話し合いの余地もなく相手から急に襲われたような状況であれば仕方ない。こちらも応戦するが、そうではないのであれば無闇に戦うことはできない。


「……目的のためなら、下民の暮らしなんて気にしないのが貴族なんじゃないの?」


 だが、ルージャは俺の言葉を聞いて眉を顰め、奥歯を噛み締めてからそう問いかけてきた。


「その言葉の全てを否定することはできぬ。が、それは個々人の考え方次第だ。俺と貴様の考え方が違うように、貴族と一括りにして断じることができるモノでもない」

「じゃあ、あんたは違うって言うんだ。自分は下民のことをちゃんと守るいい貴族なんです、なんて」

「いや。貴族など、所詮は貴様の言ったように全員が悪だ」


 そう。貴族に『いい貴族』など存在しない。全ての貴族は悪い存在だ。


「……なんなの? さっきから言ってることが全然違うよ。馬鹿にするんだったらどっか行ってくれない?」

「要は、その『悪』の在り様ということだ。貴族など、自身の統治する民の暮らしを良くするためならなんでもする存在であり、それは平民から見ればなぜやったのか理解できない悪だろう。俺とて、百の犠牲で千を救うことができるのなら、躊躇わずにそちらを選ぶ。そうすることが民のためだと知っているからだ」


 以下に良い治政を行い、民を幸せにしたところで、全ての者を幸せにすることなどできるはずがない。

 であれば、幸せになったものの陰で悲しんでいる者がいる。苦しんでいる者がいることになる。

 貴族とは、それを理解しながらも大多数を救うために少数に犠牲を強いる者だ。


『お前は辛いだろう。だがお前の犠牲でそれ以外のみんなが幸せになれるんだ。だからお前以外の大多数のために、お前は大人しく死んでくれ』


 そう命令するのが貴族であり、必死に生き足掻く者の意志を踏み躙り地獄へ歩かせるのが政治家というものだ。

 たとえその結果が多くのものから支持されたのだとしても、自身の考えを実現するために誰かに不幸を押し付けるのだから、それが悪でなくてなんだというのか。


「……なにそれ。じゃああんた達の勝手な決めつけで平民が死んでいくことになるじゃないか。みんな必死で生きてるのに、それが他の奴らのためになると思ったから死んでくれだなんて、そんなの傲慢が過ぎるだろ!」

「そうだ。だからこそ貴族は『悪』だと言った。そして、私達は己の下した決断から逃げることはせず、悪業から目を背けてはならないのだ」


 政に関わるものは、自身が悪であるということを理解していなくてはならないのだ。

 もっとも、そんなことを貴族の間で言ったところで、ろくに理解などされないだろうがな。


「はっ! そんなの口先だけだろ? よくこの街を見てみなよ。そこかしこに苦しんでる人がいる。税が払えなくて家庭が壊れた人がいる。言いがかりをつけられて殺された人がいる! それで何か良くなったのかっていうと、なにも変わってないじゃないか。しかも、命令を下した当のお貴族様はなんの苦痛もなくのんびりと生活してる。それのどこが悪業から目を背けてないっていうのさ! 答えてみろ!」


 立ち上がり、俺を見下ろしながら歯を剥き出しにして怒声を上げるルージャ。

 その声に引かれて周囲にいた者達はこちらを見るが、この女はその視線を気にした様子もなくこちらを睨んでいる。


「……前回も言ったが、全員が全員真っ当な貴族というわけでもないということだ。人は腐る。どれだけ素晴らしい能力を持っていても、どれだけ賞賛されるべき功績を残したとしても、その心は年月という毒によっていずれ腐っていく。それが人だ。故に、仕方ない面がある」


 初めは偉業を成し遂げた素晴らしい人物であったとしても、その子孫までが素晴らしい人物なのかと言ったら、そうではない。

 長く続いた歴史ある家、あるいは国家であろうと、長く続いたからこそ腐っていく。それはもう仕方のないことなのだ。


「仕方ない? そんな言葉で済ませられるわけないだろ!」


 ルージャはその表情にさらに怒りで染めて叫び、ついに魔創具まで生成した。


「落ち着け。ここで暴れるつもりか? であれば、それはお前の嫌う貴族と同じ振る舞いだな。他者を顧みず、自身の願望だけを叶える下劣な存在だ」

「ボクは違う!」

「であれば、座れと言っているのだ」


 魔創具を装備したままこちらを睨んでいるルージャと、座りながらルージャを睨む俺。

 周囲は面倒ごとに巻き込まれないようにと、静かに退避していたのだが……


「たっだいまー!」


 そんな緊迫した空気の中、スティアと、その肩の上で無表情のままこくりと頷いた少女が戻ってきた。


「ふむ。ちゃんと戻ってこれたか」

「な〜に〜? 私が帰ってこれないと思ったわけ?」

「可能性としては考えていた。その場合は面倒だったが、なんにしても帰ってこられたようで何よりだ」


 ないとは思いたかったが、そう信じ切れるほどの結果を残していない。むしろ、迷うのではないかと思わせるような結果ばかりが残っているのだ。万が一をを心配するのも当然のことだろう。


 そうして俺が自分のことを無視してスティアと話し始めたからか、ルージャはそれまでの怒りの感情を鎮めて魔創具を消した。

 相変わらず立ったまま俺のことを睨んでいることは変わらないが、どうでもいいだろう。少なくとも今攻撃する気ではなくなったようなのだから、それでいい。


「だが、その様子だと親は見つからなかった様だな」

「あー、うん。そうなのよねー。色々見て回って大声で叫びながら探してたんだけど、ぜーんぜん見つかんないの」


 頭ひとつ分だけとはいえ、銀色の髪が周りよりも飛び出ていれば人混みの中ではそれなりに目立つと思うのだがな。

 こちらにも銀髪の者は通らなかったし、迷子を探しているような者もいなかった。

 ではさて、この少女の親はどこにいるのだろうな?


「んでんで、そっちはどう? 目立った? 売れた?」


 スティアは肩から少女を下ろし、少女と共に俺の隣に座って話しかけてきたが、こいつはもう少し距離感を考えた方がいいのではないだろうか。場所が狭いから仕方ないという面もあるはあるのだが、それでもな……。


「いくつかは売れたな。だが目立ったかというとさほど……いや、まあ、一応は目立ったことになるのか? 周りを見てみろ」


 目立ったは目立ったな。隣にいる本来の露店の主のおかげで。それがいいことか悪いことはかさておき、今もまだ目立っている状態だ。肩車をされた銀髪の少女の話も広まるかもしれない。


「あ、ほんとだ。——あ!」


 周囲を見回して人がこちらに意識を向けていることを理解したスティアだったが、何を思ったのか急に立ち上がった。


「皆さーん! ここにー! 迷子がいまーす! この子この子! どっかで迷子探してる人がいたら教えてあげてねー!」


 確かに、叫べば迷子の存在を広めるのは早いか。そんな粗暴と言える振る舞いは思いつかなかったが、効率的ではあるな。

 だがそんなふうに叫ぶのであれば、初めから叫んでいれば良かったのではないかと思わなくもない。まあ、こいつも今思いついたのかもしれないし、思いつかなかった俺が言えることでもないが。

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