第2話『私』と『俺』
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さて、ここで私——いや、『俺』の人生を振り返るとしよう。
俺はこの世界の人間ではない。
正確に言えば、元々はこの世界の人間ではない、というべきか。
あるいは、魂がこの世界のものではないとも言えるかもしれない。
何が言いたいのかと言ったら、端的に言えば異世界から生まれ変わったということだ。
元々の世界では平凡に生きていた。いや、平凡というよりも、無意味と言った方が正しいかもしれない。
ただ親に言われるがままに育ち、適当な学校に進み、それなりの会社に勤め、五十半ばまで誰かと結婚することもなく、何も成せずに病にて死んだ。急に病に襲われたというわけではなく、おそらくは前々から何かあったのだろう。時折体の調子が悪いと思うこともしばしばあったのでな。
そうして死んだわけだが、そのことを十歳になった時に突如として思い出したのだ。
何かあったわけではない。転んだわけでも、殴られたわけでも、魔法の事故に遭ったわけでも、本当になんでもなく、ただ突然「ああそうだ」と頭の中に浮かんだ。
そうして生まれ変わったのだと理解したわけだが、この時の感覚はなんとも表現し難い。昔からよく知っていたような、忘れていたそれをふとした拍子に思い出した、といえば理解してもらえるだろうか。ただし、その思い出した量が半端ではなかったのでしばらくは混乱したが。
十歳まで生きた記憶と、五十余年を過ごした記憶が混ざり合ったのだから、混乱も当然といえよう。
だが、混ざり合ったといっても完全に混ざったわけではない。元々あった『私』を核とし、その周りを『俺』が覆っている状態、といえばわかるだろうか?
基本的に物事を考えたりする意識は『俺』なのだが、個人を表す本質のような部分は『私』がいる。
『俺』はこうするべきだと考えても、『私』の意思に反していればそれを選ぶことはできない。
だが、その〝選ぶことができない〟という状態も、無理やり押さえつけられるようにして〝選ぶことができなくされている〟のではなく、自然と思考が選ばない方へと傾いている状態だ。
ふとした拍子に〝昔はこうではなかったな〟、と思ったことでそう推測しただけなので実際はどうなっているのかわからないが。
なので現状は、混ざり合っているというよりも、上手く同居している、といった方が正しいかもしれない。
さて、そんな風に生まれ変わった俺だが、アルフレッド・トライデンという、まあ貴族の生まれだった。それも、そこらの木端ではなく、一国において最上位の貴族。王族に次ぐ力を持つ、公爵位の家系。
しかも、その公爵家の次期当主だというのだから笑えない。なぜ平凡な人間だった俺がこんな立場に、と思いもした。
だが、〝なぜ〟など意味はないのだろう。たまたまこの体に入り込んだ魂がかつて『俺』だったというだけのこと。
アルフレッドは天才だった。凡庸な俺に比べ、大抵のことはなんだってできた。勉強も武芸も魔法も、全てが高水準でこなせ、しかも研鑽することを忘れないのだからタチが悪い。
才能がある者が努力を重ねたのだ。それも、ただの努力ではなく次期公爵家当主にふさわしくあるための努力を、だ。
そのせいで、と言おうか、アルフレッドは他者を虐げるようになった。
強者を折り、弱者を砕く。
公爵家という立場を使って他者を虐げるなど、それは人として褒められたことではないだろう。
だが俺は、そのことを理解しつつも周りとの接し方……それまでのアルフレッドの振る舞いを変えることはなかった。
変わらず他者を見下し、暴言を吐き、虐げる。そんな振る舞いを続けている。
それは『私』の考えだからではない。『私』に抑えつけられて考えを変えられたからではなく、『俺』がそれを間違っているとは思わなかったから。
確かに、『私』の……アルフレッドの行いは間違いではあったかもしれない。
だがそれは、俺の育った世界の住人——日本人としての感性で考えればの話であり、この世界の、この国の貴族としてみればその生き方は間違いではなかった。
何せアルフレッドは、自身の生まれを誇り、先祖の願いを尊び、貴族として民を守ろうと鍛えていたのだから。
だからこそ、才能があるにも関わらず、どんな分野のことであっても研鑽し続けてきた。
そして、だからこそ現在俺達が通っている学園に来る者には相応の努力を求める。
平民だから見下しているのではない。見下すに値する生き様を晒しているから侮蔑するのだ。
この学園は貴族は強制で通うことになるが、各分野における才能があるものであれば平民であろうと通うことができる。だがそれは、貴族に関わって生きることを承知してのことだ。強制ではないのだから、そのまま平民として生きることはできる。
平民としてそれなりに真っ当な幸せを手に入れることができるにもかかわらず、貴族社会に関わることを望み、そこで生きていくことを選んだくせに、自分は平民だからとろくに努力もしないからこそ見下す。
故に、他を隔絶するほどの才能や、普通とは違う特殊な才能があるから、と強引に学園に入れられた者に対しては寛容さを見せる。彼らは自身の意思でこの場所に来たわけではないのだから。
無意味に暴言を吐くのではない。それがその者のためとなると知っているから言葉にするのだ。
それが暴言となってしまうのは、貴族社会では誰かと仲良くしただけで隙となることがある。それは言葉を受けた者もアルフレッドも、どちらも幸せにならないとわかっているからこそ、過度に距離を近づけないように、暴言という形で言葉を贈る。
故に、アルフレッドの助言を受け、それを真摯に受け止めた者は誰一人としてアルフレッドのことを恨んでなどいない。その助言は、本当に彼らの糧となったのだから。
根拠なく誰かを虐げるのではない。その者が正しくない行いをしたからこそ罰を下すのだ。
ともすれば私刑と言われる行いだが、貴族であり、次期公爵であるアルフレッドにはそれが許されていた。貴族としてふさわしくない振る舞いをしている者がいて、その者を教師や衛兵に伝えたとして、多少注意される程度で終わってしまうだろう。だが、それではその者らは反省することなどないだろう。
だからこそ、アルフレッドが手を下すのだ。そうすれば、その者らはアルフレッドのことを気にして粗暴な振る舞いをしなくなるから。
故に、虐げられた者の中には真っ当に生きているものはただの一人も含まれていない。その者らは皆、悪意を持って他者に接していた者達だったから。
『民を守るための刃であれ』
それがトライデンの家に伝わる言葉であり、アルフレッドが心に抱いた信念であった。そして、その言葉に相応しい人物となろうと研鑽し続けていた。
だからこそ、他人から見れば横柄であろうと反感を買おうと、そんな生き方は間違いではない。そう思ったのだ。
俺が憑依したのか生まれ変わったのかはわからない。だが、この信念は曲げさせたくない。
そう思ったからこそ、俺は悪役が如き振る舞いであろうと、それを貫くと決めたのだ。その結果死んだとしても、それならそれで構わない。信念を曲げてまで無様に生きるのは、無意味に息を繋いでいただけの『俺』となんら変わらない。そんな人生はもうごめんだ。
だからこそ『私』として生きていきるため、それまでとは態度を変えることがなかった。
先ほどまでの振る舞いもそんな思いからのことだった。
私自身は戦ったあの生徒に何かしらの恨みがあったわけではない。だが、それでもあの衆人環視の中で完膚なきまでに叩きのめした。それがハタから見れば好感を得られない行いであるとわかっていても。
なぜならば、あそこで叩きのめして、理解させてやらなければ、あの者はいずれ重大な事故を起こしていただろうから。
だから、暴言という形ではあったが、戦いを終えた後に助言をした。
その後生徒に絡み、攻撃をしたのもそう。
あの場には〝四人〟いたが、そのうち三人組は一人の生徒を虐げる振る舞いをしていた。だからこそ叩き潰した。
調子に乗って先へ先へと進む者は叩き潰し、他者を虐げる者はその頭を押さえつける。
才があろうと、家柄があろうと、誰であっても変わらない。等しく虐げる。
私がそんな振る舞いをしていた結果、この学園内ではいじめの類いは減り、事故も減った。
いじめをしているとアルフレッド・トライデンの耳目に触れれば、自分達がやられるから。
調子に乗って失敗すれば、アルフレッド・トライデンに叩きのめされるから。
その分他者から恨まれることになるが、それで構わなかった。誰ぞに理解され、褒められるための行動ではなく、してほしいとも思わない。ただの自己満足なのだから。
しかし、『俺』が『私』になってからもう七年がすぎて私は十七歳となったが……実際に過ごしてみると面倒なことだと思う。
もっと楽に生きられたらと思うし、全てを捨てて冒険に出たいと思った事もあった。何せ魔法の世界だ。貴族などという柵に縛られて生きるなど、窮屈だと思ったし、世界を見て回りたいと思うのは地球の人間なら普通の反応だろう?
だが、アルフレッドとしての意識がそれを許さない。
貴族であれ。
どんな振る舞いをしても構わない。だが、『貴族である』ことを捨てることだけはできなかった。その想いだけは、色々と混ざり合った心の中でも決して消える事も陰る事もなかった。
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