目覚めよ、クイーン

二晩占二

第1話 それは夢です

 ふわっふわの羽毛布団から飛び起きた私にモーニングティーを差し出したのは浮世絵調の絵画だった。

 ありがとう、と思わず受け取って口をつける。


 麦茶じゃん。


 こんなお嬢様みたいな天蓋付きベッドに、麦茶。

 似合わなすぎて当惑する。

 よく見るとモスグリーンの壁は色と模様を塗りたくっただけの土壁だし、床は畳だ。なのにベッドは金属製のゴシックな装飾にまみれてるし、すぐそばの文机もアンティークな欧風家具。


 雑。

 和洋わよう折衷せっちゅうがとんでもなく、雑。

 気持ち悪。


 おまけに絵画やら石像やらが動きまわっている。

 私の周りをギリシャ風のチュニックや兜を身に着けた仁王像がせかせか走る。

 額縁から、腕やら顔やらが飛び出て伸びる。


 てき。

 ぱき。

 てき。

 ぱき。


 次々にオートで身支度を済ませてくれる。

 何これ、魔法?

 あ、俗にいう異世界転生ってやつ?

 えっと、私、死んだんだっけ?


 ということで私は私自身のデッド・オア・アライブを検討するため、私は私について思い出してみる。

 われ思うゆえ我在われあり。

 こんなデカルトの名言がすらすらっと出ちゃうくらいには成績優秀な18歳の高校生。


 名前は、七条アカリ。

 美少女。

 あとなんだっけ。

 えっと、美少女。


 音楽好き。

 ギター好き。

 ピアノも好き。

 あ、そうか。音楽。カラオケいってたんだ。リッちゃんと、ミナミと。


 そんで?

 トラックにかれた?


 ううん、轢かれてない。

 アイドルソングを熱唱していたのが最後の記憶。

 私、生きていた。歌いすぎてノドが痛かった。コーラがちくちく刺さって美味しかった。


「まいった、私、死んでない」


 思わず、ひとりごと。

 異世界転生していない。なのに、ひとりでに芸術品が動き出す世界にいる。和洋が入り乱れた奇妙な世界にいる。


 ギリシャ風の仁王像が私の着付けを終える。

 きつめのコルセットで腰をぎゅっ、と絞られる。

 その上に白いブラウス。

 その更に上、紺色のザ・和風着物を着合わせてくる、仁王。


 白い梅の花柄が描かれている。

 きつめに帯でぎゅっ。


 拷問だ。下腹部の締め付けも、斬新すぎるファッションも。


 うなだれている私に、ノックの音が降り注いだ。

 反射的に、顔を上げる。ドアの位置を確認する。


 おおおお。

 部屋、広すぎ。

 ドア、遠すぎ。


 慌てて駆け出して裾を踏んづけてこける。

 何がいいの、このファッション。ダサいし、歩きにくいし。

 

「ご無事のお目覚め、何よりでございます。アカリ様」


 突っ伏したままの私に、声が近づく。

 この状態の人間が「ご無事のお目覚め」に見えますか。

 床を這うように眼球だけ向けると、三人分の靴がかろうじて見えた。

 一番手前の靴の近くから手が差し伸べられて、思わず掴む。

 引きずり上げるようにして立たされる。


 あらわれたるは靴と同じ人数の面々、男二名、女一名。


 髪の毛の希少価値がやたら高いおじさん。薄毛。

 婆ちゃんのおっぱいみたいなほっぺたをぶらさげたおばさん。ぽっちゃり。

 そんで不健康そうなガリガリのイケメン。イケメン。


 彼らの登場をきっかけに、絵画たちは慌てて額縁に戻っていく。ぺちゃんと平べったく、すまし顔を浮かべる。

 ギリシャ仁王像も全速力で壁際に走って、左手は腰に、右手はパー。決めポーズに固まった。


「体調はいかがですか、アカリ様」


 薄毛おじさんがそう尋ねる。


「うん、元気。お腹すいた」


 あらあら、まあまあ。

 私が本心を直球で告げると、ほっぺたおばさんが笑いながら近くの絵画に手を突っ込んだ。

 絵の中には貴婦人。彼女を囲った豪華な晩餐会の様子が描かれていた。

 そんなところへ突然、おばさんの手が侵入してきたもんだから、貴婦人の顔色がぎょっと変わる。

 円卓に並んだ手つかずの食事を、おばさんが次々に持ち去っていく。

 貴婦人は更にぎょぎょぎょっと表情変化。


 あっという間に私の前に美味しそうなフルコースが並んだ。

 焼き魚がステーキみたいに切り分けられていたり、熱っつ熱つ白ごはんの上に黄緑色の謎液体がかかってたりするけど、美味しそうなもんは美味しそうなのだ。色も匂いも絶品だった。

 絵画の中の貴婦人をちらりと見る。手をこちらに差し出して「どうぞ」のジェスチャーを向けてくれている。恨めしそうな顔で。


 ごめんね。

 心の声で謝って、でも空腹には耐えられず、私はナイフとフォークを手に取った。



「私はヒトリ。この国の宮廷画家で宰相を兼務しております。こちらが妻のナイヒ。そして、息子のレンです」


 無言でもぐもぐし始めた私に、薄毛ヒトリが家族紹介を始める。ほっぺたナイヒは隣でにっこり。イケメン息子レンは徹夜明けみたいにふらふらと立ち姿が頼りない。

 みんな、絶妙に和とも洋ともつかない名前。

 お腹が満たされてきた私の元へ混乱した脳みそが帰ってくる。


 で、ここはどこ?

 なんで私はここにいるの?


 脳内でつぶやく。


「で、ここはどこ? なんで私はここにいるの?」


 違った。声に出てしまっていた。

 初対面の人にめっちゃタメ口。現代人でごめんね。


「いるのではなく、いたのです」

「いた?」


 嫌な顔ひとつせず薄毛ヒトリは答えてくれたけれど、さっぱり要領を得ない。


「ええ、ずっとこの世界にいましたよ、あなたは。生まれてから今まで、ずっと、ずっと」

「いやいや。私、日本ってとこで高校生やってたよ。七条アカリ。成績優秀で音楽好きな美少女。この春、卒業して心理学科に進学する予定の美少女」

「それは夢です」

「夢じゃないし! 美少女だし!」


 即否定に対する即否定。フォークの先端を相手に向けながら。


「あ、いえ、そこではなく……」


 あまりに鋭くツッコミすぎて、薄毛ヒトリがたじろぐ。

 それをフォローするように、ほっぺたナイヒがぼろぼろの古い本を取り出した。真ん中ぐらいを開いて、こちらに見せる。


 文字の羅列。

 日本語だ。

 見たことないフォントの文字だけど、たぶん日本語だ、これ。


 でかでかと「就眠儀式」ってタイトルが書いてある。

 その横にマル禁。これ、未成年が見ても大丈夫なやつ?


「これは、あなたにかかっていた魔法の術式。就眠儀式、といいます」


 ほっぺたナイヒが言う。


「うん、そう書いてるね」

「読めるのですか、文字が」

「当たり前じゃん」

「この世では当たり前ではないのですよ、アカリ様」


 ほっぺたナイヒは説明を続けようと口の形を変える。

 そこに薄毛ヒトリが割り込んだ。


「就眠儀式は、禁呪。魔奪まうばいの儀と並び、長らく使用を禁じられてきた魔法なのです」


 もったいぶった口調。


「ああ、禁忌のマル禁なのね、これ。私、てっきり……。で、それが何?」

「この術にかかった者は長い眠りに就き、解放されるまで夢の世界に生き続けます。アカリ様。あなたは18年前、まだこの世に生を受けたばかりの頃、この術をかけられたのです」

「誰に?」

「当時7歳だった、この息子です」


 私は「この息子」を見た。

 イケメン。

 背が高い。

 線が細い。

 髪が白い。

 顔も白い。

 青白い。

 幽霊みたいに青白い。


「えっ、禁忌なんじゃないの? 使っちゃだめなんじゃないの? 違法じゃないの? 犯罪者じゃないの?」


 責めるように追求する私に、イケメン・レンがふらふらしながら優しく回答する。


「やむを得なかったのです。あなたを、次代女王候補のあなたを、宮廷内の闘争からお守りするためには。他に方法がなかったのです」


 次代女王候補? 渋い声で耳疑いワードが飛び出した。

 次代女王候補? 誰が?

 さらに追求しようとする私を、薄毛ヒトリが遮断した。


「さて、詳しく説明して差し上げたいが、時間がない。私にも執務がございますゆえ。息子を残していきます。後のことはご心配なく。何なりと使ってやってください」


 細部まで行き届いたサービスをご提供いたします、みたいな顔してるけど、いやいや。薄毛ヒトリさん。それは違いますよ。


 だって、こいつが犯人なんでしょ。

 私が魔法にかけられていた説を信用するのならば。

 このイケメンが。レンとかいう名前のイケメンが。いずれは薄毛になる運命かもしれない遺伝を隠し持つ白髪のイケメンが。


 何より、ここはベッドルーム。

 若い男女だけ残して立ち去るとはいかな事か。

 倫理観バグってるんですか。


「ベッドルームに若い男女だけ残して立ち去るとはいかな事か倫理観バグってるんですか」

「それではアカリ様、立派な女王になってくださいませ。期待しておりますぞ」


 再び心から直通のツッコミをぶちまけたけど、今度はヒトリの薄毛の上をつるんと滑ってスルーされてしまった。

 夫婦そろっていそいそと部屋を出ていく。


 ばたん、とドアが閉まったのを見届けて、私は残されたレンに目線を向ける。

 彼はこちらを一瞥するとソファに倒れ込むように座った。

 でかい音。両親が消えたとたん、急に態度がでかくなる。


「そういうわけだ。まあ頑張れよ、女王候補、アカリ様」


 そういうわけだそうだ。




 つまり、これはファンタジーな世界で私が女王様になるまでの物語みたい。

 私自身、たった今知ったんだけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る