第10話 押しの強い女性は好きですか?

 古都の部屋で食事を終えた後、ワインを飲みながら談笑する二人。まだ二人ともお酒を飲み慣れた年齢ではない。酔いが回ることで普段隠そうとする気持ちをなぜか口に出してしまうのが良くも悪くも酒の性質である。古都の口調も徐々にオフの砕けたものに切り替わっていった。


 紗良からしてみればそれは計画の内で、酒を味方につけて古都との関係性を深めるつもりがあった。勢いに任せて、今までの思わせぶりな言葉よりさらにはっきりと自分の好意を口にしてみる。


紗良「今その人の家にいるー」


 私は今、気になる人の部屋にいるのだと、紗良はその部屋の住人である古都にそう告げた。古都は当然、その言葉の意味を数秒かけて正しく解釈し、言葉を詰まらせて少し驚いた顔を見せた。


紗良「・・・なにか言ってよ?」


古都「あ、うん。。ええと、、」

  「ごめん、驚いたから。」


紗良「意味、わかってる?」


古都「多分。」


 (驚くかなぁ?休日に会いたいと言って、部屋にまで押しかけてるのに?ここまでして伝わらないってあるの?多分ってなに?)


 そう煮え切らない気持ちになる紗良のほうがまともではないだろうか。しかし、どこまでも古都の返事は煮え切らないものだった。それはそのはず、古都は紗良のことが好きである。本来なら喜ぶしかない状況であったが、自分はすでに別の女性との関係を進めてしまっていたのだ。まして昨日までは佳奈との付き合いを決意までしている。


 まだ紗良には押しの一手が必要なようだ。


紗良「古都君が気になりますって言ったんだよ。古都君は?」

  「私のこと、どう思う?」


 人の煩悩は108つと言うが、不思議なものでいかに理性で己の考えを決め自制していたとしても、欲求の高まるその時になると素の願望が思考を支配する。人の決意など簡単に崩れてしまうものだ。


 古都はこの時、少し前までの自分の考えの全てを放棄した。




古都「俺は、、紗良のこと、気になってる。」


紗良「良かった・・・。」



 黙ったまま見つめ合う二人。腹の中の探り合いなどもうする必要はないでしょ?と言わんばかりの、紗良の目線は熱を帯び、古都の次の行動を待っているのだと示している。


 場の空気に飲み込まれた古都は、「まんまと」と言った方が良いだろう。紗良の目線の重圧に押し負けて、紗良にゆっくりと吸い込まれるように近づいていった。


 そして、ためらいがちにゆっくりと、顔を傾けて紗良の顔のすぐ目の前に寄せると、紗良が受け入れるように目を細めて古都の唇に目線をやった。


 そして触れるだけのキスを1秒、2秒、として、ゆっくりと唇を離した。


 その後はお互いに思考などしている場合ではなく、今流れる空気のままに動いた。紗良が体をさらに古都の前に寄せると、二人はどちらからともなくさらに唇を求めた。


 ついばむようなキスを数回繰り返し、また体を寄せた。紗良が古都の首抱きつくような動きを見せると、古都は両腕を紗良の脇から背中に回し抱き寄せた。


「んっ、はぁ・・・ん、んっ」


「もっと・・・もっとして。」



 次第に深いキスになり、数分間二人は互いの唇を欲し続けた。紗良に取っては念願で、自然と甘い呻きや求める言葉が出てしまった。それが古都の興奮を煽り心臓をさらに跳ねさせる。次第に落ち着きを取り戻し、唇を離す間隔が長くなる。荒くなった息を整えきれないまま、紗良が甘い声でささやく。


「好き。古都君が好きだよ。」

「私のこと好き?」


「・・・好きだよ。」


「本当?」


「うん。」


「じゃあ、」

「付き合う?」


「・・・・」


「ねぇ、」



 古都は断る言葉を思いつかなかった。この退路を塞ぐような女性の押しにとことん弱い男なのだ。言いたいからというより、言うべきであろう言葉を思いつくまま小さな声で発した。



「俺と、付き合ってください。」


「はい。お願いします。」



 紗良の目的は完遂した。


 古都は、考えるべき大事なことを後回しにした。




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 さすがにというべきか、古都はそのまま紗良を抱く気にはならなかった。昨日には佳奈が一緒に寝たベッドのままである。後ろめたさよりなにか自分の不都合がバレることに不安があったからだ。


 年齢的に、このままそうなってもおかしくはない二人だが、今日のところは駅まで送るという古都の申し出に、紗良は少し物足りなさを感じたものの素直に応じた。すぐに手を出してこない古都に対して、紳士的な対応をしてくれたのだろうとすら感じていたが、実際はちがう。単に古都が自分の後ろめたい事情を思い出したからだ。


 しかし、紗良にとっては念願叶って浮き足立つ思いしかない。顔を赤らめつつ、口元はしまらない。喜びを隠せない笑顔のまま、駅までの道を古都の腕に抱きついて身を寄せていた。そして駅に着く。


紗良「じゃあ、また連絡するね。」


古都「うん。帰り、気をつけて。」


紗良「ありがと。今日から恋人だね。」


古都「だね。」


 名残惜しそうに紗良は寂しそうな顔を見せたが、すぐに切り替えるとニコっと笑い、改札を抜けて軽く手を振ってホームへと歩いて行った。


 古都は離れがたい気持ちで紗良を見送りはしがた、早く一人になって考えたい気持ちが優先していた。嬉しさと切羽詰まった思いが交差する。


 スマートフォンには佳奈からのメッセージが数件、着信が1件入っていた。早くそれに対して返事をしなければならない。


 家に戻る足取りは重く、だんだんと気持ちが沈んでいく。自分に好意を寄せる女性、そして自分自身も明らかに好意を持っている佳奈に、なにをどう伝えれば良いのかまるでわからなかった。


 昨日までは、自分がいかに相手に流されるままだったとしても佳奈の気持ちに応えれば無責任にはならなかった。しかし、今日の自分が取った行動は明らかに昨日までとは違う無責任なものだとやっと身にしみてきた。


「どうしよう・・・。」


 結局、古都は自宅に戻ると、当たり障りのない返信を佳奈に送って問題を先送りした。


 




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